⑥ 日猶同祖論私考(その1)

 

■解決不可能な謎
「日猶同祖論」というのはずっと昔からある考え方で言うまでもないほど有名だが、「古代にユダヤ人が日本に来ていて彼らが日本民族のルーツとなった」という説のことである。これに関してはこれまで星の数ほどの人々が論じてきて未だに何一つ進展は見られず、また今後も見られないであろう「解決不可能な謎の一つ」である。
ユダヤ人が中国まで来ていたことは証明されているが、そもそも古代の民族や人々の移動範囲・規模がどの程度だったのかが未だに釈然としていない。航海技術の程度にしても何故か定説は無いようである。それらに関しては現在でも新しい見解が生まれているようだが、未だ諸説あり定説というのは無いようだ。ユダヤ人が日本民族のルーツかどうかはさておき、両者の間に強い関係があった(ある)ことは事実である。もちろん日本以外にも「韓猶同祖論」「英猶同祖論」等もあるそうで、それはユダヤとの繋がりがあればある種の権威が伴うゆえ希望的に流布されることもあるだろうし、世界各地にそういう説や痕跡は見られるので特に日本だけに限ったことではない。
今回はとりあえず、私の現在の時点での日猶同祖論に関する見解をいくつか述べてみたい。

■秦氏について
日猶同祖論を語る際に必ず挙がるのが秦氏の名前である。何故この名前ばかりが挙がるのか不思議なほどだが、まずこれについて述べたい。
秦氏の中興の祖として秦河勝がいる。「河勝」というのは「水から拾い上げる」ということからついた名前だと言われるが、旧約聖書のモーセも「水から拾い上げる」というのが語源である。モーセは誕生当初葦の船に入れられて川に流されるが、それを拾い上げてもらったことからこの名がついた。つまり両者は同じ名前である。「古事記」には同じように葦の船に入れられて海に流されそのままどこかへ消え去ってしまう、イザナギ・イザナミの第一子「蛭子(ヒルコ)」が登場する。この三者は同じモチーフを持っているが、ではヒルコとは何か。ヒルコは読んで字の如く「蛭のように手足が無かった」奇形児で、つまり手足が無い=蛇と同じである。これが葦の船に入れられて海に捨てられる。高天原ファミリーの第一子ゆえ最も敬われるべき存在であるが同時に最も忌避される存在でもある。これが蛇と同じであればヒルコ=悪ということになる。
秦氏が朝鮮からの渡来人なのは明白である。では「秦」という字であるが、これは始皇帝の秦と同じで、更にペルシャの中国名(中国での呼び名)でもある。アケメネス朝ペルシャ帝国と中国の秦帝国がよく似た支配体制を採っていたのは有名だが、日本の秦氏の末裔と称する某政治家は家系図を遡ると秦の始皇帝の名が書いてあるそうだ。実際秦氏は応神天皇の時代に朝鮮半島から弓月君に率いられ渡来したと言われるが、元々秦帝国の残党だったとも言われる。

古代イスラエル王国が南北に分裂し、北王国の10支族・南王国の2支族に分かれるが、北はアッシリア帝国に滅ぼされて住人は皆連れ去られその後行方不明になり、いわゆる「Lost Ten Tribes(失われた10支族)」となる。南はその後新バビロニア(カルデア)王国に滅ぼされていわゆる「バビロン捕囚」の状態になるが、これを解放したのがアケメネス朝ペルシャ帝国で、よってユダヤ人はペルシャに大変な恩義を感じている。この後ユダヤ人の一部はペルシャに留まりやがて国へ還るが、それゆえユダヤ教にはペルシャの影響が多分に入っていることは有名である。では消えた10支族はどこへ行ったのかだが、当然ペルシャに滞在していた者たちもいたはずである。
ここで面白い話があり、ペルシャの都のスサで総督の座に就いていたのはユダヤ人で、スサはヤサカ川という川の上流にあり、そこでGIONという神を奉っていた、という説がある。これの詳細について私は知らないが、国東半島に八坂川という川があり、国東は以前述べたように秦氏の初期の拠点があったと思われる土地である。「祇園」という語は元々サンスクリットだが、複雑な経路を辿って成立した語かもしれない。
もし消えた10支族のうちの何某かがペルシャに滞在し、その影響下に置かれたまま東へ向かい、その名前を「ペルシャ=秦」と名乗ったとしたら、彼らが秦氏と呼ばれるようになった部族かもしれない。秦氏の「弓月君」という王の名は「弓月=弓型の月=三日月」ゆえ、CRESCENTすなわち月信仰の側の存在であることを知らしめるためだったろうか。

ヒルコに話を戻すと、これは不具の子であったため誕生直後に海に捨てられた。だがどこにも死んだとは書いていない。よってどこかで生きているはずであるが、瀬戸内海に最初の島が作られた以上ヒルコもその周辺に流れ着いたはずである。実際西宮にはヒルコを祀った神社があるしその周辺には大避神社もある。「大避」というのはダビデの漢訳だとの説があり、祭神の「大避大神」は秦河勝である。また酒造も盛んだが酒の神バッカスはデュオニソスと対応し、スサノヲとも対応すると言われる。
以前述べたように秦王国が現在の中国地方の広島の辺りにあったとすれば、ヒルコはそこまで流れ着いたかもしれない。上述の三者が共通のモチーフを持っている以上繋がりがあると考えるのが自然である。要するにヒルコのモチーフが意味するものは、もし秦氏がユダヤの一部族であったならば、「民族の象徴たるモーセのモチーフと蛇のモチーフを重ね合わせ、同時に自らの存在が忌避されるものである」ことを暗喩していると言えよう。スサノヲは高天原ファミリーの厄介者だがヒルコもまた同様ファミリー内で忌むべき記憶・存在である。この両者が組み合わさったものが秦氏と秦王国だと言えるだろう。

■支配カーストと奴隷カースト
日本にはいわゆる差別問題が昔からあり、これに関する正確な歴史的情報を一般的に入手することは不可能である。何故なら「その立場だった」と主張する者たちがその研究をすることを妨げているからだ。正確には彼らが自らのルーツを解明されることを妨げていて、それゆえ日本という国は歴史に関して明確に全てを把握することは出来ない。結果的に未だに天皇家のルーツも邪馬台国の場所も日本語の言語系統もそれ以前のことも一切解明されていない。
日本の最上位カースト=支配カーストは天皇家だが、もし秦氏がユダヤ人であるとすれば、この両者はどういう関係か。日本の最下層カーストがいわゆる賤民だったとすればこれを纏めていたのは弾左衛門であるが、これは穢多頭である。弾左衛門の屋敷は浅草にあったがそこには待乳山聖天つまりガネーシャが奉ってある。「弾=ダン」という語であるが、周知の通りイスラエル12支族の中にダンという部族があり、北王国の一部であった。彼らはそのシンボルとして蛇のマークを持っており、蛇が邪悪の象徴なのは言うまでもない。旧約聖書に「ダンは獅子の子」とあるが、獅子はユダ族のシンボルである。ではユダ族とダン族が親子(のような)関係にあったとすれば、これが日本で現れるケースはどのような場合であるか。
日本で獅子が見られるのはただ一つ、神社の狛犬である。狛犬=高麗犬であり、そのルーツについても定説は無いが、高麗の名がついている。高麗というのは現在のKOREAの語源であるから、つまり朝鮮である。これが獅子の姿をしている。では獅子=朝鮮であり親ならば、子の蛇は誰でどこにいるのか。
秦氏がユダヤ人ならばその名にペルシャという語を名乗っている以上、ペルシャ的なユダヤ人のはずである。よって邪悪の象徴である蛇をシンボルにしても不思議は無い。では秦氏=ダン族だとすると、これが獅子=朝鮮の子ということになる。現在の部落解放同盟つまりかつての賤民たちは「同胞融和=同和」という語を使用しているが、彼らは(北)朝鮮と親密である。以前も述べたがこの団体のシンボルは「荊冠旗」で、イエスの象徴である。何故彼らがユダヤ人の中に現れ殺された者の象徴を自らのシンボルとするのか。また秦氏がスサノヲを主神としていたのなら、ダン族の英雄サムソンと同様の「髪を剃られ目を潰される」モチーフが存在するのも自然だろう。もし穢多と呼ばれた身分の者たちがユダヤ人であり秦氏と大部分で重なるのであれば、彼らがダン族でありそれゆえ弾左衛門という者がそれを纏めていたのかもしれない。

秦氏という部族は謎の多い部族であり、どこでどう推移して行ったのか釈然としない。もちろん古代には強大な豪族であり天皇家とも血縁があったし聖徳太子の後見人も彼らであったと言われる。だが結局明確な推移がわからず、これは他の豪族も同様であるが、いつの間にかどこでどうなったのかわからないまま歴史から消える(ように見える)。
古代から賤民はいたはずだし、それは例えば東大寺門の仁王像が鬼を踏みつけていて鬼の指が四本しかないというのも一例である。鬼というのは昔から日本では悪の存在としていろいろな場面で登場するが、つまり「頭に角が生えている」のが特徴であり且つ「体が赤い」のも特徴である。以前「クシャトリヤは赤い」「現在赤色人種というのはいない」と述べたが、仏教の開祖ゴータマはクシャトリヤの出身、仏教は牛を崇拝するインドで生まれた宗教である。また「赤」という色は中国の秦帝国のカラーと言われCRESCENTと同様CRIMSONも語源はCRである。以前述べた通り国譲りの際ニニギノミコトを道案内したサルタヒコは天狗と同様赤い顔をしており、サルタヒコが天孫族以前から日本列島にいて彼らを迎え入れた。つまり秦氏は「赤」という色と繋がりがあり、またいつの間にか賤民に落とされ「蛇≒牛」であるゆえ頭に角が生えた赤い鬼として描かれ、賤民ゆえ仁王像に踏まれる彼らの像には指が四本しかない。豪族が賤民に落とされるケースというのも、朝鮮からの渡来人であれば百済・新羅・高句麗の強弱関係で立場が逆転することもあったわけだし、他にもそういう豪族はいるから明確にはわからない。しかし現在でも古事記に「ヒルコは不具の子だったので海に捨てた」と書かれまたヒルコがモーセのモチーフを借用している以上、彼らはユダヤ人同様公には忌避される存在のはずである。

■悪の枢軸
では朝鮮=KOREA=高(句)麗がユダ族で日本の奴隷カーストがダン族であれば、「悪の枢軸」と現在地球上で呼ばれるイランと北朝鮮は、イラン=秦=ダン族というラインで繋がる。悪の枢軸というのはキリスト教(原理主義?)から見ての悪であるが、実際には絶対的悪だと言っていいだろう。つまりアーリア人が南下しインドに来て、その後イランとインドに分かれる。バラモン教が神人一体思想であり且つ「自分たちだけが人間だ」という選民思想であれば、それはナチズムと同様であるしまたユダヤ人の一部おそらくパリサイ派の考え方と同じはずである。言うまでもなくパリサイという語は「ファールス」を語源としペルシャと同義であるし、イエスを殺したのも彼らである。
イランの影響下に生まれた宗教はキリスト教にとって異端であることが多いが、要するにキリスト教にとっての悪の根源はグノーシスである(と私は思う)から、例えばプロメテウスが内臓を永遠に啄ばまれるのはゾロアスター教の鳥葬の暗喩だし、そもそも「人が死ねば土=アダムに還す」のと「人が死ねば火で燃やして灰にする」のは全く異なり後者は拝火的である。グノーシスのシンボルは蛇であるが、蛇をシンボルとするダン族が秦=ペルシャという名を名乗っている以上「悪の枢軸」というのはイランと北朝鮮に加え、彼らの配下である日本の奴隷カーストたちもだろう。日本の支配カーストがどの部族なのかは私にはわからないが、ヒルコもスサノヲも高天原ファミリーの一員である以上彼らと血縁関係にあることは確かである。
水平社の設立の際の文言に次の一文がある。「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」 彼らは「人」と「人間」を使い分けているが、人の世を火で焼き払い、自分たち人間には光を与えてほしいと堕天使に願ったのだろうか。ゆえに彼らは旧約聖書の中に、つまり何千年も前にこう書かれている ― 「ダンは道のかたわらの蛇、小道のほとりの蝮。あなたの救いを待ち望む。」(創世記:49章16-18節)

■日本におけるサタン
ヒルコは蛭子と書くがこれは「えびす」とも読む。恵比寿は七福神の一人だが海の彼方から来る客人神で、「夷」もえびすと読むがこれは古代中国で異(邦)人を意味した。つまり海のABNORMALな者たちである。スサノヲは海原の支配者であり秦氏(を含む渡来人)の主神と考えられる。源氏平氏について少し述べると、源氏=白旗/平氏=赤旗であり平氏は海民であると思われ、平氏は広島の厳島神社を氏神としたがここはスサノヲ信仰の拠点である。源氏平氏ともに出自は明確でなく朝鮮との関係も深いと思われるが、平氏は秦と同じく赤を自カラーとし、また赤はコミュニズムの象徴でもある。彼らは一時栄華を誇り「平家にあらずんば人にあらず」と選民思想を喧伝した。山民と海民の関係も明確ではなく日本において様々な部族がテリトリー的に各職能を分担して持っていたようだがその明確な事実の解明も殆どなされていない。仮に平氏が海民と関係があり以前述べたように「赤≒AQUA」であれば、彼らは秦氏やダン族と同一カテゴリーの存在だと思われる。渡来人にしても全てが同一のグループではなく祭神も異なるだろうしどこかで分化するケースもあったろうから、一概に一括りにするのは困難である。
鬼には角が生えていて悪の存在であるが正確には「障碍」としての存在だと言える。そう表現された者たち=秦氏がバール=牛神を崇拝するダン族と同一であるため鬼は角が生えた生物として描かれ、また百済仏教(大乗)の日本では新羅仏教(小乗的?)の彼らはその障碍であった。「牛≒龍」ならば要するに彼らは単純に邪悪な存在であり、ゆえに公には古来より忌避される存在だった。キリスト教におけるサタンが現在の「悪の枢軸」であれば、つまりサタンも鬼も同じ者たちということになり、イコール「人類の普遍的な敵」である。
ニューヨークの911テロ事件後に日本でも政治的な変化があった。現在自民党で最盛なのは清和会だがこれは清和源氏に由来する名称だろう。同時に賤民と繋がりがある(ことを一般的に言われる)者は主流から外された。アメリカと日本の思惑が合致した結果である。結局地球は二極に分かれておりそれは資本主義と共産主義ではなくて、善と悪もっと言えば太陽信仰と月信仰であることが自明になったのが911テロ事件以降である。
日本語で太陽の出ている時間を「昼=ヒル」と言うが、つまりイエスを信じる者たちがCRのついた語を唱えるのと同様、多くの人々は欺かれている。結論を言えば「月信仰側の蛇として存在している日本の奴隷カースト=サタン(の一部)」であり、彼らの行動言動がそれそのものであるがゆえ古来より彼らはそう呼ばれたに過ぎず、よってキリスト教(原理主義?)にとってまた太陽信仰にとっての絶対的悪であり、ゆえに彼らはインドでも日本でも太陽信仰の人々をアウトカーストとして社会の外に置き「自分たちだけが人間だ」と選民思想を依代にする。ずっと昔から平氏もナチ党もユダヤ人(の一部)も全く変わらず今後も変わらない「救われざる哀れな魂」であるがゆえに、上記の旧約聖書の一文が存在するのだ。

(2009/02/05)