⑦ 日猶同祖論私考(その2)

 

■謎の民族
ユダヤ民族が12の支族から成っていたことは誰でも知っており、北王国が10支族・南王国が2支族により成っていたこともまた知られている。結果的に北の10支族が消えてしまい「Lost Ten Tribes」となるわけだが、そもそもユダヤ人がなぜこれほど大昔から常に人々の話題に上るのかといえば、結局「いろいろな場所にその痕跡らしきものが現れるが何一つ立証されていない」からである。特に南北アメリカ大陸は新大陸と呼ばれ、コロンブス以前は「存在していなかった」ので、それ以外の土地=ユーラシア大陸とアフリカ大陸において東西南北いろいろな場所に彼らの痕跡が現れるため、彼らつまりユダヤ民族は「謎の民族」であった。
例えば我々が歴史の授業で「四大文明」と習う四つの文明のうち、インダス文明は単なる「謎の古代遺跡」で、誰が作ったかもわかっていない。またエジプト文明は最古の王国が初めから完全な文明構造を成して突然現れると言われ、最古層はセム族の痕跡が見られ、ある者は「それは黒人系のユダヤ人である」と言う。つまり人類文明の最初期からユダヤ民族は謎の存在であり、その後も例えばエジプトでミイラ制作を担っていたのはユダヤ人であったり古代ギリシャでもユダヤ人が金貸しをしていた記録があったり、もちろん真偽の程は定かではないが、そういういろいろな有象無象の情報がある。
他にもソロモン王がいわゆる「鍵十字(鉤十字)」をシンボルとし、ナチ党のシンボルと同じものを自身のシンボルにしていたことは知られている。ナチ党が魔術やオカルト団体と関係が深かったことは有名だし、初期のメンバーに仏教徒が多かったとかベルリン陥落の際にチベット兵の死体が大量に見つかったという話もある。ナチ党と魔術・オカルティズムについては映画「インディ・ジョーンズ」のモチーフにもなったし、聖杯伝説やファティマの予言など、私のような日本で生まれ育った日本人にはまだ理解するのが難しい考え方がキリスト教社会には存在するようだ。

数年前「ダヴィンチ・コード」が大変話題になったが、その中に「占星学上、西暦2000年までは魚座の時代、その後2000年間は水瓶座の時代になる」とあった。昔からキリスト教では魚をシンボルにし、それはギリシャ語で「イエス_キリスト_神の_子_救世主」の頭文字を並べたものが「魚(イクトゥス)」になるからだと言われる。こういうのが言葉や言語の面白いところで、必ずしも言語学上証明されたような変遷を辿って現在の語になったとは言えないことがある、という例である。言語というのは人工的に変更・調整されたり人造されることもあり、日本語の標準語も同様なのは知られている。特に英語は現在の世界標準語で、非常に明確な規則をもって形成されている(と私は思う)ので、単純に「時間とともに進化」してきたとはとても言い難いと思う。つまりもし仮にこの世界に悪魔崇拝者がいるとして、彼らの崇める悪魔を人類皆に崇拝させたいなら、その言葉の中に虚偽を混ぜ、人々が「神よ!」と唱えていても実際には悪魔の名を呼んでいる、という状況を作り出そうとしても不思議ではない。日本なら太陽の出ている時間を「昼=ヒル」と呼ぶことはその一つだろう。もちろん全てがそうではないだろうが、そういう虚偽は様々な場所にあるだろうし、また各種言語が相関関係を持ちながら虚偽を形成することもあると思う。なぜなら彼らユダヤ民族は世界の各地に散らばったので、様々な場所でそのような行使を陰に陽に行ってきただろうからだ。

■日本におけるユダヤ的痕跡①
日本においてもずっと以前から日猶同祖論はあり、それは伊勢神宮の灯篭にダビデの星が書かれているとか青森にキリストの墓があるとか、剣山に聖柩(アーク)が埋まっているか戦前の軍部が調査したとか、そういう類の諸々の「噂」は星の数ほどある。こういうのが期待的観測に基づくものであったのかどうか、私はまだ生まれていなかったため当事者ではないので正確にはわからない。しかしいくら「似ているもの」「どう考えても無関係には思えないもの」がたくさんあっても、それを「証明」できなければただの類似に過ぎず、そして証明することは不可能である。

例えば「蘇民将来」という説話があり、これは近畿を中心に各地にある説話だそうだが、ユダヤ民族の「過越しの祭」と同様のモチーフである。『客人神として放浪するスサノヲが蘇民と巨担の兄弟の元を訪れた際、弟の蘇民が自分の家に泊めてくれたので、スサノヲは彼の未来の繁栄を約束し「戸口に”蘇民将来”と書かれた札を掛けておけば病気・災厄はその家を避けていくだろう」と言い、去っていった』という内容である。これは有名な説話だが、元は旧約聖書の出エジプトの際のテーマがモチーフなのは言うまでもない。この「蘇民」だが、「蘇る民」なのかどうかは不明だが、古代の豪族に「蘇我氏」がおり、彼らは大化の改新で失脚したのを考えても新羅系である。この説話でスサノヲが神であり「蘇」という民のことを繁栄させるとなっているが、スサノヲとユダヤ的モチーフの関係がやはり重要になる。日本書紀では一書に曰くとして、スサノヲは「新羅へ渡った」とあり、また「根の国へ帰った」ともある。根の国とはルーツの国であるから、つまりスサノヲは新羅(朝鮮)由来の神であることは疑いない。
「蘇我」は「蘇る我(ら)」と書くが、千葉県千葉市に蘇我という場所があり製鉄関連の土地である。ここと市内の別地区に「白旗神社」があり、白旗神社は「源氏の白旗」に由来するが、両者近隣にはそれぞれ朝鮮系の施設がある。源氏のルーツ・平氏のルーツは定かでなく、古代新羅の「花郎(ファラン)」が「源花」と呼ばれるためこれが源氏でないかという説や、白旗は新羅の「シラ」でないかとか、日本の白山信仰が朝鮮の太白山に由来するとか様々な説がある(ただ日本の神社名や地名には「白」「赤」「黒」が付くものはとても多い)。また太白信仰は金星への信仰で、「太白星=大いなる白き星」と書きこれが金星である。「ダヴィンチ・コード」には『五芒星は金星の描く軌道から成立した』とあり、金星はルシファー(=サタン?)と同一視される。日本の平家の隠れ里と呼ばれる場所には地名に「五」という字が付くことも多く、またサンスクリットで「GO」は牛を意味する。源氏と白拍子との関係や、現代の水商売に携わる女性が「源氏名」を名乗ることも指摘される。また新羅の古代名の一つとして「波斯」があり、これはペルシャの中国名(中国での呼び名)である。
蘇民将来の説話だけ見るなら単に過越し祭に対応するエピソードに過ぎないが、こうしていろいろな関連を辿っていくとやはり汎アジア・汎世界的な繋がりがあるように考えられる。

また「因幡の白兎」という説話も有名で、これは「ウサギがワニの背中を渡って~」という話なのは誰でも知っている。この話の同一モチーフとしてアジア諸国に似た話があるというのも知られている。また日本近海にワニはいないので、「ワニ=ワニザメ」つまり魚だった、と一般的に言われている。
ではウサギとワニは日本では何を意味したか、ということだが、ウサギというのは白兎で、ワニは鰐である。まず日本に漢字を伝えたのは和邇(わに)博士で百済(からの渡来)人である。これは「王仁」とも書き、音で言えば「応仁」また「鬼」ともほぼ同じだ。また以前述べた通り古代の宇佐は新羅系の文化が栄えていた場所で、新羅=シ(ン)ラである。「白」とも同じでゆえに白山信仰とも関係があり、源氏は白旗をシンボルにし八幡信仰を持ち、宇佐八幡宮はその大元である。また月に兎がいるというのは東アジアでは昔から言われ、つまり月信仰と結びつく。よって「白い兎=新羅+宇佐」で、「鰐=和邇(博士)=百済」とすれば、結局この説話の意味は『出雲において新羅・宇佐の勢力が百済の勢力を足蹴にした』ということか?
参考までに書くと、茨城県の鹿島には「わに河」という河川があり、そこは元々畿内の茨木地方にいた百済系の部族が遷移してきた場所という説がある。藤原氏は鹿島を発祥とするらしく、大化の改新で新羅系の蘇我氏を追放したのは中臣氏で、これは後に藤原氏になると言われる。また茨城には「百里」という土地があり、「百」は百済系の地名や人名に付くケースがある(と思われる)。つまり茨城県の鹿島地方は百済系の部族の勢力地であり、そこに「わに河」という河川がある。日本で金毘羅神社というのはインドの鰐の神であるクンピーラを祀ったものだが、両者の関係はわからない。
「因幡の白兎」で兎を助けるのはオオクニヌシで、これは大黒様だが、つまりスサノヲのグループである。よってやはり当時出雲を治めたのは新羅系であり、朝鮮由来の各部族の区分も釈然としないが、ある種の暗喩的なエピソードだろう。もちろん日本に来るには朝鮮半島を経由するのが一番の近道なのでそこを通るのは当然だが、だからといって「朝鮮=ルーツ・起源」ではない。

■日本におけるユダヤ的痕跡②
冒頭に「Lost Ten Tribes」の名を挙げたが、漢字の「十」は「ジュウ」と読み、発音はJEWである。十の形はCROSSで、「Ten=十」なのは言うまでもない。こういうのは当然何らかの理由があってのことだ。漢字が象形文字であっても古代の日本には万葉仮名があったので、例えば「聖徳太子」は漢字の意味からできた人名、「和邇」は発音に漢字をあてた人名であるから、なぜその字句がその読みと意味を持っているのかは様々な理由による。よってそういう中にはいろいろな作為や意図が含まれており、前述した英語などと同様である。
個人的には、日本語で「戸」というのが何を意味するのか興味深い。東北地方に一戸~八戸までの地名があり、信州には戸隠という土地があって現在忍者村がある。また青森のいわゆるキリストの墓伝説は戸来村にある。「戸」は「と」「へ」と読むが、何か象徴的な意味があるかもしれない。
また有名な「かごめかごめ」の歌であるが、「かごめ=籠目=カゴメ紋」であり、つまりダビデの星(六芒星)のことだ、とよく言われる。歌詞中に「鶴と亀が~」とあるが、「鶴は千年、亀は万年」という言葉があり、漢字の意味上「千年=千代(generation)、万年=万歳(year)」である。つまりこの二つの語は、この二つの動物への信仰と関係がある。亀に関して言えば、出雲大社の神紋は「亀甲紋」で亀の甲羅であるが、要するに六角形のことだ。よって六芒星も然りだが「6」という語(数字)が問題になる。周知の通り聖書において『獣の数字』は『666』である。「6」という数字はそのフォルムが日本の「巴紋」と同一で、巴紋は「蛇がとぐろを巻いている姿からできた」象形紋らしい。いわゆる三種の神器の勾玉はこれと同一の形をしている(※残りの「鏡と剣」は、カガ=蛇の古語ゆえ「カガミ=蛇見」という説があり、剣はスサノヲがヤマタノオロチを退治する際に使用した剣である)。よって三種の神器はどれも蛇崇拝と関係がある可能性は高いだろう。
なお、旧約聖書の創世記第49章にイスラエル12支族の各紹介文が書かれているが、その6番目はダン族についての文である。全ての支族を1つと数えればダン族は13支族中の7番目だが、現在は12支族中の6番目である。3という数字も複雑で、現在のキリスト教は三位一体説を採り3は良い数字とみなされるが、三位一体説自体が疑問のある考え方ゆえ単純に良い数字とは言えない。イスラエル12支族に固有のナンバーがあったとしてダン族がNo.6ならば、それが3つ並んだものが666である。英語で太陽を「SUN=サン=3」というが、これは「各種言語が相関関係を持つ」ことの一例だと思う。

つまり結局、ユダヤ民族が世界各地にその痕跡を残している(とみなされている)以上、ユーラシア大陸東端の日本にもその痕跡はあり、こういうものが大変見え易い形― 装飾品やシンボルや神話など ―で目に付くことが多いゆえ、ずっと以前から日猶同祖論は(期待的観測を伴いながら)議論されてきた。ユダヤ民族が事実上とても影響が大きくまた謎に満ちた存在であるゆえ、それとの繋がりを求めたいというのは特に不思議ではない。

■種々の要素の中にある痕跡
余談的に付け加えると、未だに語源が明らかでない古い言葉はたくさんあり、例えばイザナギ・イザナミというのもそうだ。両者に「イザ」が付き「ナギ」「ナミ」がそれに付随している。風の無い時間を「凪(なぎ)」と言い、風が無ければ波は立たない。よって「ナギ」「ナミ」で「波が無い状態」「波がある状態」の対比になっており、それに「イザ=イサ」が付く。つまり古事記神話の通り最初に海しかなかったのなら、この両者の名前は「海面が揺らめく様」に由来するかもしれない。
もう一つ書くと、日本語の悪口として「馬鹿」というのがある。仏教ではまず仏陀(お釈迦様)がおり、その下に牛頭天王・馬頭天王がいるが、仏陀が鹿ならば「鹿 ― 牛+馬」という構図になる。もし牛から見れば残りは馬と鹿なので、これを総して「馬鹿」と呼んだ可能性もある。つまりインドなどで牛は何を意味したか、牛(≒バール)崇拝者たちは日本でどの立場であり誰のことを蔑んだか、ということだ。
もちろんこれらも全く確証も証明手段も無く、今後も証明されることはない。ただもし日本にユダヤ民族やそれに影響された者たちが訪れていたのならその影響は残っているはずだし、また実際に残っている以上、荒唐無稽だと即断することは逆に荒唐無稽だと言っておきたい。

(2009/04/15)