4月 292013
 

以前TVでニュースを見てたら、「ジョージ・マイケルの曲は80年代のイギリスで最も愛され流れた」とか言ってたような気がする。僕もWHAM!時代の曲もソロになってからの曲も、好きなのがたくさんある。CDも複数枚持ってるし。けれど現在は、音楽界を代表するハードゲイみたいな扱いになっちゃって可哀想だ。多分彼がゲイってのはデマだと僕は思う。だって80年代末期にPVに出てた女性とちゃんと結婚してるからね。まーショウビジネスの裏側なんてのは、僕みたいな一般ピープルにはわからない。
で、彼の曲で僕が最も好きなのが「Praying For Time」という曲だ。これは彼のソロ2ndに収録されてて、当時ビルボードのシングルチャートでNo.1になった曲だ。収録アルバムは「Listen Without Prejudice」という。このアルバム名はと~っても示唆的である。「偏見/先入観無しに聴いてくれ」という意味だが、この「偏見/先入観=prejudice」という単語を、語源学的に分解するとどうなるの、ってことだ。見ればわかるが「pre_ju_dice」となり、「pre=先に」「ju=ユダヤ(=jew)」「dice=スペイン語で『言う』の三人称単数」だ。すなわち「最初っからユダヤ人が言っている」という構造になっている。それが「偏見/先入観」なのだ。(※本来ならラテン語との比較をすべきだろうが僕には知識がないので敢えてスペイン語と比較した)
この「Praying For Time」のPVは、一番最初に「Listen Without Prejudice」とテロップが流れる。そしてジョージのメッセージが、淡々と流れていく。彼はこの曲を作ったずっと前に、何かを伝えたかったのだ、僕達に。

 
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4月 272013
 

以前書いたように、最近妙に気になる「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」を観てみた。相変わらず訳のわからん内容に拍車がかかってたけど、自分なりに思ったことをちょいと書いてみよう。まとまりの無い文脈になるけどご容赦。

結局、破の最後からQまでの間にサードインパクトは起こっており、それから更に14年間、シンジが眠り続けている間に時間は進んでいた。この「14」という数字もよくわからない。13の次?またアスカは歳をとっていなかった、片目にはなっていたが。
イスラエルは12の支族よりなるといわれるが、本来は13の支族からなり、それを12に収めるため2つを無理矢理1つにまとめているという話がある。どの部族だったかちょっと忘れたが、確か「祭祀を司る部族なので1つにカウントされなかった」とかじゃなかったかな・・・?聖書にもいろいろな外典や異典があり、そういうのを見ると書いてある、という話だったと思う、確か(僕の持っている聖書ではわからない)。
渚カヲルは、自分を「1番目の使徒だったのに13番目の使徒になってしまった」と言い、それが「トリガーになった」とも言った。彼の名前は「海」と関連があるから、つまりスサノヲや、もしくは『洪水』と関係があるかもしれない。1番目の使徒というが、そもそも使徒が何を意味するのか、僕には未だにわからない。「シト=ヒト」なのかな?もしくは、13番目の使徒までイスラエルの支族にそれぞれ対応するとか・・・。確か使徒のナンバーが1つづつズレてるとかいう設定もあったけどわからない。
今になって思うが、ゼーレとネルフの関係、これは「ナチ・グノーシスとキリスト教の関係」みたいなもんかなと思う。つまり「正しい存在でありたいキリスト教」が「悪魔崇拝者に囲われ言うことを聞かされていて」、「何とかそれを打開しようと画策している」という構図だ。ゼーレは7つのモノリスであり、それぞれに「7つの目」と「リンゴに絡みついた蛇」が描かれている。この「7」というのは、ヨハネ黙示録の7大教会と対応するだろうが、モノリスが7つあってそれがゲンドウを囲っているのは、何を意味するだろう?カトリック教会が何者かに囲われているという暗喩?
よく考えたら、90年代映画版では、ゲンドウがユイを復活させると同時に彼は食い殺され、そしてそのまま世界は崩壊した。そして2000年代版の破・Qでも、シンジがレイを助けると同時にサードインパクトが起こり、そのままシンジは14年間眠り続けた。ゲンドウとシンジは親子、ユイとレイはクローンの関係だ。つまり後者を助けようとすると、どちらも世界は崩壊してしまっている(正確には2000年代版では世界崩壊まではいっていないが)。
ミサトとリツコが乗る戦艦が「ブッダ号」という名前で、戦闘後に「神殺しの力」と言っていたが、これはもしかしたら「第二次大戦時の日本とアメリカ」のことかもしれない。『ブッダ(仏陀)と神ってどう違うのか』という問いはここでは置いておくとして、戦時中の日本をブッダと表現し、キリスト教の国であるアメリカを神と表現したのだろうか?そして自分たちの組織名を「WILLE」つまりドイツ語のWILL=意志に変え、その敵がネルフであるということは、単純に考えたら「ネルフ=神」ということになる。だからゲンドウはキリスト教に対応する、と、そうはならないだろうか。破で「ネブカドネザルの鍵」というのが出てきたが、これは多分「バビロン捕囚から解放するためのゲートの鍵」みたいな意味だろう。いや、それとも「閉じ込めておくための鍵」か?TV版で「固められたアダムの卵」だったのだから、同じ役割を持つとか・・・?
あと、登場人物の中で少女である3人の苗字が「綾波」「式波」「真希波」というが、全員「○波」という名前である。これは間違いなく、日本神話のイザナミから採ったものだろう。イザナギ・イザナミの名前は、イサにナギとナミがついたものだからだ。「ナギ=風の無い状態=波が立たない状態」「ナミ=波のある状態」で、海面が揺らめく様を表す。「綾=アヤ=糸=伊都」だろうか。惣流という苗字だったのが式波になったのは、両者が対応するということかもしれない。もしかしたら「惣流=ソウル」で、瀬織津姫のこととか・・・?
あとは・・・90年代版でも破でもトウジが言ってたが「弐号機は赤い」ということ。これは両方で言ってるので、強調したいんだろう。あとシンジとアスカは14年経ってもまだ同じ外見なので、二人はいい仲なんだろうね、今後も。

最後に追加。聖書の冒頭に「神は人を創られた。自分に似せて創られた。男と女に創られた」とあり、それなのにすぐ後に「神はアダムの肋骨からエヴァを創った」と再度出てくる、という問題。これは、前者が「アダムとリリスを創った」ということだろう。そして二人は子供を作るが、リリスは堕天してしまう、というあれだ。そして、エヴァンゲリオンで『渚カヲルは誰をリリンと呼んでいるのか?』というのがよくわからない。最初は間違いなく人類=リリンだと思ってたろうが・・・それは変わらないのか?つまり地球上には、「アダムとリリスの間に生まれた子供」と「アダムとエヴァの間に生まれた子供」の2系統がいるということでは?そしてアダムもエヴァも同一の個体からできている以上、それは近親関係であり、『近親結婚をするとどんどん劣っていく』から・・・、それなら正統な人類はリリスとの間の子ということになる。だったら、アダムとエヴァの間の子の系譜であるイスラエル人は、医学上どうなるのか・・・?もちろん現実に聖書の系譜なんてものが存在したわけはないが、けれどこれを前提とすることは、自然の摂理に反してはいる。

4月 262013
 

「数奇な運命」とは何を言うのだろう。
新世紀エヴァンゲリオン、けいおん!、魔法少女まどか☆マギカ・・・。何のために?
グレン・メディロスの「Nothing’s gonna change my love for you」という曲があるが、以前ブラジルに滞在した時に、ブラジル人女性(美人だったw)と一緒に歌詞を見ながら歌ったが、その中に「The world may change my whole life through」という箇所があり、彼女はそれを見て「It’s funny~!」と笑っていた。funnyじゃないよfunnyじゃ・・・と思ったけど、ホントにファニーじゃねえよって感じ。せっかくだからYouTubeの動画を貼っておこう。

 

 

ついでに歌詞原文も貼っとく。
http://www.romantic-lyrics.com/ln2.shtml

そういやエヴァQを観てみたけど、正直意味がわからなかった。サードインパクトは起こっていたし、14年経ってるとかアスカが歳をとってないとか・・・う~ん難しい。

4月 242013
 

僕は中学時代、筒井康隆が好きだった。60年代~80年代のつまり全盛期の彼の作品は、全部読んだ。全盛期の彼の作品は本当に面白かったし、どれもこれもすごかった。何がすごかったかというと、とにかく彼は「日本語の魔術師」という感じで、日本語を使いこなす天才という感じだった。短編・中編・長編・ショートショート・エッセイと、どれを読んでも本当に面白かったし、そこで展開される彼の日本語の魔術は、読む者を魅了した。しかし唯一、彼が書いたものでつまらなかったのがある。それが「虚航船団」だ。あれは純文学作品らしいが、はっきり言って全く面白くなく、僕はほんの少し読んで読むのを止めてしまった。僕は「この人は純文学は書けないんだな」と思った。
そういう、筒井康隆が「日本語の魔術師としての才能を発揮して書いた作品」は、多分80年代最後の「歌と饒舌の戦記」までだったと思う。彼は天才なので、その才能のみでずっと書いてきたが、その路線で書いた最後の作品はそれだったろう。しかしこれは面白くなかった。僕はこれを読んで「あ、ついにこの人はネタが尽きたんだな」とわかり、少し寂しくなったのを覚えている。そしてつまらないので、途中で読むのを止めた。
それからちょっとして「文学部唯野教授」がベストセラー一位となり、大きな話題になった。当時僕は新聞でそれを知り、驚いた記憶がある。「あんなつまらないのを書いた人が、復活したのか」と、嬉しくもなった記憶がある。そもそもベストセラー一位なんてそれまでもなってなかったから、よっぽど面白いのを書いたのかな、と意外に思った。そして買ってきて、実際に読んでみた。そうしたら、やっぱりつまらなかった。この作品は従来の「魔術師のとしての才能」で書いたものではなく、実験的というか計画的にプロットを定めて書いたものだった。つまり『全体の文章を普通の文体で書き』、合間合間に『「小難しい文学論」と「従来の才能で会話文を弄ったもの」を書きその二つを並べて』、そのパターンを繰り返して最後まで話を進め、最後の最後をハッピーエンドで締めてみた、というものだった。これは明らかに従来の才能のみで書かれたものではなく、「実験的「計画的」に書かれたものだったし、そもそもハッピーエンドで終わっていたので、僕は「つまらない」と思った。だから、ベストセラー一位になったのは、とても不思議に思った。何でこんなつまらないのに、と不思議だった。
そして同年、今度は「ロートレック荘事件」が、再度ベストセラー一位になり、僕はまた驚いた。当時「筒井康隆初のミステリー長編」として、かなり大きな話題になった。しかもベストセラー一位。僕は「つまんないのしか書けなくなっちゃってるのに何で?」と不思議だったが、とりあえず読むことにした。高校のクラスメートが買ったと言ってたので、借りて読んでみた。そしたら・・・やっぱりつまらなかった。なぜなら、この作品は「過去の作品の焼き直し」だったからだ。この作品は「映像化不可能!」というのがウリで、つまり「文章の書き方によって一人いるのか二人いるのかわからない」というレトリック上のテクニックを使って書かれたものだった。しかし実はこれは、筒井康隆が随分以前に自分の作品で使った手法だった。確か「いてえよ杉夫」「いてえよ照夫」とかいうショートショートか短編じゃなかったかな・・・?ちょっと忘れたけど、随分前に彼が短い作品で使った手法とそっくり同じだった。だからこの「ロートレック荘事件」は、二番煎じで、過去のネタを再利用し長編にしたに過ぎなかった。つまり彼は、この時点で「ネタ切れ」だったのである。
その後、筒井は特に話題にならない作品を幾つか発表し、僕も読んでみたが、どれもこれもつまらなかった。「旅のラゴス」とか「串刺し教授」とか、一応読んではみたが、本当につまらなかった。一つだけ話題になったのは「朝のガスパール」だったが、あれはインターネットで話のアイデアを募集する、という「話題になっただけの作品」で、読めばわかるが本当につまらない。僕はこれも、途中で文庫版を読むのを止めた。60年代~80年代の全盛期にあんなに面白い作品を湯水のように書いていた作家でも、やはり才能の枯渇はするんだなあと、感慨深く思ったものだ。けど世間では「実験路線」とか持ち上げられてたので、僕は何となく違和感というか「皆わかってないなあ」と一人思っていた。
そしてその後だろうか、彼が「断筆宣言」をしたのは。当時彼が噂の真相に連載してた「笑犬樓よりの眺望」にも書かれてたが、彼はいわゆる「言葉狩り」に反発して断筆する、と言っていた。僕は彼のそのスタンスは正しいと思ってたので、個人的に「さすが筒井先生、気骨がある」と思って少し嬉しかった。けれど今考えると、それは彼が「嘘をついていた」のだ。彼が断筆をした本当の理由、それは『才能が枯渇したのでもう書けません』ということだったのだ。なぜなら、彼が断筆を解除して最初にしたこと、それが『純文学路線』の宣言だったからだ。冒頭に述べたように、筒井は純文学は書けない。全盛期ですら、彼は純文学は書けなかった。天才としての才能に溢れていた時期でさえ、「虚航船団」という駄作しか書けなかった。だから彼が純文学路線をわざわざ自分自身で宣言したということは、『=私はもう書けませんよ』と宣言したに等しい。だから彼は、当時『負けを認めます』という写真を、わざわざ公開までしたのだ。
・・・というわけで、今はもう、筒井康隆にかつてのような才能はない。悲しいが、新しい作品をたまに読んでもがっかりするばかりである。どんな天才でも、才能の枯渇はあるのだ。ただ、全盛期には、真の「日本語の魔術師」だった彼の、当時のその作品群は、本当にどれも珠玉である。それでいいと思う。
最後に、僕が全盛時の彼を一言で表すならば、『日本語でマンガが描ける人』だろうか。筒井先生ならもっといい表現があるだろうけど、僕にはこのくらいしか言えないや。:-(

4月 232013
 

Core i7-2600、メモリ8GB、GTX660oc、SoundBlaster X-Fiとゆー、PCゲームをするのには全くストレスのないPC環境なので、相変わらずちょくちょくPCゲームをやってる。俺はコンシューマ機のゲームには手を出さない、10年来の正統派PCゲーマーなのだ。今では閉鎖したが、以前は”PC”ゲームのレビューをしたサイトも持っていたくらいだ。特にフライトシムを愛好しており、この10年間にアキバの中古屋やヤフオクなどでコツコツとコレクションしたおかげで、レシプロシムはほぼ全タイトルを所有している。本当はジェットシムもやってはみたいのだが、アビオニクスの操作を覚えるのが難しそうなのと、ほとんどのタイトルが英語版しかないという敷居の高さ、そしてデバイスとして3点セットを持っていないことから、ずっと躊躇したままだ。昔「USAF2000完全日本語版」を買った時は、わざわざWindows98のPCを用意してやってた(XPだと正常動作しないので)が、今はWindows7で動くものしかプレイしていない。USAFが動けばこんな楽しいことはないのだが・・・。
で、フライトシム以外にも、最近はFPSやRPGもやっている。先日Battlefield3が500円でDL購入できるセールがあったので、迷わずポチってしまった。それに去年セールで買ったスカイリムもたま~にやっている。これは期待してたほど面白くなかったのでちょいと残念だが。それと欧州版を1000円ちょっとで買えたスパ4AE。これは中身は日本語版と同じなので、いい買い物だったと思う。それから「ネトゲやって友達を作ろう」と思い始めたファンタシースターオンライン2。これは予想と異なりほとんどを独りだけで進める体裁のRPGだったが、一応定期的にインしている。本当はだらだらチャットしてネット友達を作れるようなMMOがやりたかったのだが、PSO2はそういうゲームではなかった。
むか~し「リネージュ」や「ウルティマオンライン」をほんの少し課金してやってたことがあるが、今はもうああいうスタイルのMMOってないのかね。昔は溢れてたような気がするが・・・それもつまんないやつばっかり。日本の国産ゲームというのは皆コンシューマ向けだが、そういうゲームはマジで糞みたいなのばっかで、モンスターハンターみたいな糞ゲー(やったことないけど)が大ヒットしてしまったおかげで、ネトゲもそういうテイストのものばかりになってしまったようだ。本当なら外国産のをやってみたいし、WoWとか興味あるけど、俺は英語が苦手(出来ないとは言わないがなるべく関わりたくないような感じ?)なので、何となく億劫になってしまう。今日本でプレイ可能なMMOっていうのは、日本製・韓国製or欧米製みたいな感じだろうか。そのうち日本・韓国のものは、みんな同じように見えて、どれがどういう特徴があるのかもわからない。しかもどのゲームも宣伝下手で、どういう特徴があってどういうのがウリなのかというアピールすらできてない。これじゃあいつまでたっても客は呼べないだろう。
結局、俺の欲求を満たしてくれそうなMMOは、いろいろ考えると「スムースに動くウルティマオンライン」じゃないかなあ、と思う。昔やった時は、2Dモードと3Dモードが選べて、ウインドウを自由に配置してプレイするものだった。けど基本設計が古いのか、それともロースペックPCユーザを取り込むためか、非常に粗悪なグラフィックと操作反応だった記憶がある。今も大差ないんじゃないかなあ・・・多分。だったらやりたくないが。そういうわけでこれを却下すると、残るのは何だろう?ラグナロクオンラインは完全課金制のようだからダメだし、FEZとかTERAはどうなんだろう?とりあえず今のところ興味があるのはこの二つだ。俺はだらだらチャットしたりネットの世界でダベりたいだけなんだよ!凝った戦闘システムとか必要ないの!あ、けどボンバーマンオンラインとかパンヤはなかなか面白かったけどね。

4月 222013
 

俺はコリアンのことをどうとも思わない。思ったこともない。しかしなぜか彼らは、俺に特別な感情を抱いている(者もいる)ようだ。この理由は全くわからない。そもそも俺は千葉市の出身で、いわゆる同和問題も在日問題も無縁の環境で育った。だからそういうのを積極的に体験して強い感情を抱いているのでもない。ただ単純に、俺がなぜか彼らから「強く思われる」ために、必然的にそういうのに敏感になっただけだ。
パラグアイにいた時は、俺は日系社会からは爪弾きにされてたので、下手糞なスペイン語ではあったが、パラグアイ人の友人を作ろうとしてた。俺はむこうにいた時はある意味有名人だったので、面白がって近づいてくる奴は結構いた。毎度下手糞なスペイン語でやり取りして、それなりに知人はいたかもしれない。けれどパラグアイは不思議な国で、何というか「本当の事を言ってはいけない」というルールがあったりして、故に「自分を無視している者が一番友好的」だったりもする。逆に最も友好的に見える者が一番自分に敵愾心を持っていたりもする。そういう訳のわからない面がある、あの国には。
わざわざ自費渡航していった先の日本語学校で三ヶ月で追い出されたが、その際俺に一番味方をしてくれてたのが、俺を一番嫌ってたように見えた教頭だった。あそこで「プロ教師」だったのは、日本から来ていた、定年まで教師を務め上げたという伊藤さんという人だったが、彼も俺に味方してくれていた。要するに教頭とプロという、最も立場が上の者は、俺に「適性がある」とみなし、ちゃんと認めてくれてたのだ。だから俺が追い出される際に、わざわざ職員会議なんぞを開いてくれて庇ってくれた。まあ俺はあの職場で、なぜか途中から不眠症になってしまい全く眠れなかったが、計7回も徹夜明けのまま授業をやったくらい頑張ったのだ、さすがにぶっ倒れそうだったが。仕事自体も楽しかったし、自分にとって悪い思い出ではない。辞める際に生徒が書いてくれた「せんせいさようなら」という手描きの絵は、今でも大事に持っていて財布に入れてお守りにしている。ありがとう、楽しかったよ、みんな。
で、俺はそこを辞めた後は、日々街をブラつく生活になった。そういう「定職についてない」身分というのが、余計にむこうで爪弾きにされる要因にもなったが、俺は俺で日々を楽しんでいた。「初めての外国生活」で、見るものすべてが新鮮だったし、小さい町だったが日々新しい発見があった。コピーCDの露天や串焼き肉の屋台を巡り歩いて研究したりもした。んで、他民族のテリトリーに入ってみると、やはり面白い発見がいろいろあった。つまりコリアンと台湾人の店である。日系の食料品店は1軒くらいしかなく値段も高いので、俺は頻繁に彼らの店で買物をしていた。多分最もよく訪れる日本人だったろう。コリアンも台湾人も、アジア食品を大量に安価で売っているので、美味いものを手に入れたかったら彼らの店に行くほうがずっといい。そういうわけで俺はしょっちゅうそこで買物をしていた。
そういう中で、「映画並みにヤバい光景」を見たこともある。あるコリアン旅行会社の前で、何かの見せしめとしてであろう、片腕の無い傷だらけの男性が座らされていたり、また片手が動かなくなった女性が座らされていたり、そういう光景を見た。そして時間ごとに座らされる人が交代し、シャッターの中に消えていく。ある日俺はその女性の横に座って話してみたが、彼女が言うには「・・・自分は昔男にモテたんだ。この腕輪は男がプレゼントしてくれた。この腕輪は別の男がプレゼントしてくれた。これはまた別の男だ。これも、これも、全部違う男から貰ったんだ。けれど、~~~~だから、~~~~がなって、こうなっちまった!あいつはわたしを鎖で繋いで鞭で打ったんだ!だから~~~~で右手は動かない!!」そう叫び、右手を見せるが、動かないようだ。そして「鎖で繋がれていたから、皆わたしをチャインと呼ぶ」と言った。CHAINのことだろう。彼女は紙に自分の名前を書いて、俺に見せてくれた。それには「CHAIN MARGARITA」と書いてあった。俺は彼女に何も言えなかったが、動かない右手を握って握手をし、たまたま持っていたビー玉をあげた。チャインは、そのビー玉を、ものすごく綺麗な宝石かのように、見つめていた。
コリアンに限らず旅行会社というのは悪い奴が多いようだったが、詳細は知らない。けど映画並みにヤバい光景というのは、その旅行会社の前で見たその一件のみである(本当にヤバい魔窟の類には足を踏み入れなかったし)。そして俺は、その正面にあるコリアンの食料品店に頻繁に行っていた。不思議なことに、初めてその店に入った時、店主のオヤジさんが俺の両手を握って「グラシアスグラシアス!頑張って下さい!!」と(日本語で)言ってきた。また奥さんも息子さんも、俺にはとても良い態度で接してくれた。多分最初から俺のことを知ってたんだろう、理由は知らないが。とにかくそのコリアン食料品店の一家は、俺にとても優しかった。だが他のコリアンの店に行ってみると、ある料理店では店主が真っ赤な顔をして怒りだし、「I DON’T LIKE YOUー!!おまえは嫌いだ!!」と俺を(日本語で)怒鳴って追い出した、ということもあった。彼も俺のことを最初から知ってたんだろう、理由は知らないが。そういうのは他にもあり、店によってはニコニコして迎えてくれるのに、店によっては嫌~な顔をして迎えたり、そういう違いがあった。俺は気づかない振りをして接していたが、皆俺のことを最初から知ってたようだった。そしてその理由は知らない。
コリアンが俺を「強く思う」理由、それは俺にはわからない。ただ俺は、初めての海外で、単純に安くて美味いアジア食品を買える彼らの店を便利に使っていた、それだけだ。そして同じアジア民族として、異郷の地で親近感を覚えた、というだけだ。コリアンの銭湯にもたまに行ったし、ハングルの漫画図書館なんてのも見つけたし、レンタルDVD店も開いてるし、彼らは異国の地でも日本人以上に上手いことやってるなあ、と感心してた。まああっちではKOREAじゃなくてCOREAなのは、ちょっとつまんないよなとは思ったけど。

4月 172013
 

最近なんだか興味が湧いたので、エヴァンゲリオンの新作映画の序と破を観てみた。90年代版とこれら2000年代版では、いくつか異なる点があったが、それを考えるといくつか興味深い点がある。それについてさらっと書こう。
まず、90年代映画版では、シンジの両掌に傷ができるのを機に、世界崩壊が始まった。つまりシンジを新しいイエスとして生贄に捧げることが、世界崩壊(再構築?)の条件だったということになる。しかし2000年代版の破では、空中から落下する使徒を受け止めた時に両掌を貫かれる。つまり「日常の中で両手を貫かれる」。その後もシンジの日常と世界は続いているので、世界がシンジの生贄を機に崩壊することはない、ということだろう。つまりシンジはその時点で生贄になる宿命からは逃れられたので、彼は救われたということだ、ろう。
それと90年代映画版では、アスカが量産機に目を貫かれて片目(一つ目)になるが、これは「貫かれる」ので、彼女が犯されるのと同義だろう。そしてラストシーンでは、シンジと彼女の二人だけが生き残った世界になっている。世界は崩壊してしまっている。けれど2000年代版の破では、3号機にアスカが乗り、そのエントリープラグを初号機が噛み砕く。この後彼女は登場しないが、次作Qの予告で片目になって登場しているので、おそらく噛み砕かれた時に失明したのだろう。つまり、彼女を「犯す」のは、シンジ自身だということになる。そして予告を観る限りでは彼女は元気に戦っているようなので、こちらも世界崩壊の心配はない、はず(Qを観てないので何とも言えんが)。つまり2000年代版の序と破を観れば、90年代版のようにシンジとアスカのみが生き残る「世界の崩壊」は免れたんじゃないか、と俺は短絡的に考えた。
俺は一般人なので世界情勢のことなど氷山の一角以下のことしかわからないが、そういうので詳しいサイトとして田中宇という人のサイトがあり、割と有名だと思う。以前そこを見たら、「イスラエルは予言を成就させるために、そこに至るプロセスを意図的に早く起こし、成就へのスピードを早めようとしている」と書かれていた。それがどんな予言なのか、もう書いてあった内容を忘れてしまったが、イスラエル(ユダヤ人)は、そういう考えを持っているらしい。だから90年代版と2000年代版で内容が異なるのは、そういうのも関係あるのかな、と思う。俺の印象では、エヴァンゲリオンは最初から10年プロセスで90年代版と2000年代版の両方を作ることになってたんじゃないか、とも思う。本当にこの作品には、謎が多い。一体何のために作られたんだろう?
付け加えておくと、民俗学において「一つ目」というのは製鉄のシンボルで、タタラ製鉄の際に燃え盛る炎を片目で見続けるため片目が見えなくなるからだ、と言われる。現に「一本ダタラ」という言葉もあるし、西洋でもサイクロプスは一つ目の巨人だが、製鉄の神である。そして俺が住むこの千葉市で製鉄が盛んなのは、蘇我なのだ。これは一体何を意味するだろう?