5月 142013
 

俺は教会に通っている。正確に言うと、たまに礼拝に行く。思い起こせば、10年前、何となく行き始めた。当時「ろくなことがないなあ」と思い、「けど神様っているはずだよなあ」とも思い、家の近くにある教会に、ふらっと行き始めた。礼拝は日曜日の朝10時半からなので、早起きが嫌いな俺は正直めんどい。だから本当に気が向いた時にだけ、礼拝に行くようになった。んで「せっかくだし」と思い、気軽な気持ちで洗礼も受けた。
礼拝には牧師の説教というのがあるが、正直俺はあまり真面目に聞いていない。また賛美歌もめんどくさいのであまりちゃんと歌っていない。あと礼拝式文という礼拝の台本みたいなのがあるが、それに載っている文言もちゃんと発音していない。俺は特に、この礼拝式文というのが気に食わない。なぜなら、その内容が『間違ったことを発音させるための』内容だからだ。「我々は生まれながら罪深く、穢れに満ち」とか「みたみイスラエルの栄光です」とか「ポンテオ・ピラトの元に苦しみを受け」とか、明らかにおかしなことが多く書かれている。「我々は生まれながら罪深く~」というのは明らかにグノーシス的な文言だし、「みたみイスラエルの~」というが我々はイスラエル人に忠誠を誓っているのではない。また映画「パッション」を観ればわかることだがポンテオ・ピラトは賢人だった。悪いのはイスラエル領主ヘロデ・アンティパスとパリサイ派に扇動されたイスラエル人民衆だ。要するに俺の教会の礼拝式文には、ユダヤ人にとって都合のいい内容を我々信徒に発音させるための文言ばかり書いてある。だから俺は、礼拝の時ほとんどちゃんと発音していない。
パラグアイにいた時、“自称”宣教師である人物と知り合った。彼と話していてわかったが、日本のキリスト教徒の中には、自分たちがユダヤ人の末裔であるという自覚を持って生きている者が確実にいる。そしてそういう新興宗教も存在する。ある時彼と話していたら、彼は「イエス様は、僕達にもう一度会いに来てくれるんですよ!」と目を輝かせて言った。それは本当に疑いなくそう思っている目の輝きだった。だから俺は「だって2000年前に一度会いに来てくれたんでしょ。だったら次に来る時は、おまえらは一度言ってもわからんようだからもう滅ぼしてやるーって来るんじゃないですか」と答えた。すると彼は目を輝かし「いやとにかく、もう一度会いに来てくれるんですよ!!」と言った。この男はパラグアイがどんな国なのかわかりすぎるほどよくわかっていて、それで尚そこに溶け込もうとしている人物だった。ある時彼は俺にこう言った。「パラグアイは本っ当にどうしようもない国なんだ!!けどそこで生きていくためには、仕方がないんだ!!皆そうやって生きているんだ!!」 彼がこう言った時、俺には「悪魔の歓喜」に見えた。
キリスト教で、イエスが「悔い改めよ!」と言ったという。この台詞はとても有名であり、イエスの代名詞とも言える。けれど実際には「REPENT!」なので、「後悔せよ!」である。そう、イエスは元々「改める」チャンスなど与えてはくれなかったのだ。ただ「悔いよ!」とのみ言ったのだ。それは、前述の“自称”宣教師を見ていればわかる。彼は多分、どんなに汚れていても、再び神様が現れて浄化してくれるから許されるのだ、とか、まーわからんけどそういう都合のいい考えを持っているんだろうね。そして「自分たち」ユダヤ人は迫害されているとか思い込んでいる。実際には、ただ嫌われているだけなのに。
聖書の一番最後に載っている「ヨハネの黙示録」に、アポリオンとアバドンというのが出てくる。これは俺はわかっているが、正義の太陽神アポロが、腐った奴らを奈落に叩き堕とすのだと、そういうことだ。イエスが現れた時、イスラエルはローマ帝国の統治下にあった。そのローマの最高神アポロが、腐った者どもを奈落に叩き堕とす。それがアバドンだ。ではその腐った者というのは、一体誰なんだろうね。