6月 202013
 

今月に入ってから、気ままに思いついた駄文をTwitterにしばしば書き込んでいる。文才はあってもストーリーが創作できない俺は作家にはなれないが、たまに「光る駄文だなぁ」と思うのが書けたりして、勝手に楽しんでいる。
んで、さっきテキトーに2つ駄文を投稿したら、ちょっとした発見のようなことをしてしまった気がする。ので、ここにその投稿をコピペしておこう。

まず1つ目。
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空をご覧よ、太陽が燃えている。天が怒りに狂ったかのようにね。そして我々人は、その怒りの元でしか活動できないのさ。夜の月だってその怒りを受けて輝いているに過ぎない。そう考えると、この世の全ては天の怒りを買い、常にその業火に晒されているということになる。ならこの世は、恒久の地獄では?
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次、2つ目。
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「光、あれ」と聖書にある。地上において最初の光は、燃ゆる陽光だった。それは全てを照らし輝かせ、闇夜の月光も同様だ。全てが原初に帰結するなら、それらは光に還るだろう。それが陽光であるのだから、つまりはそれが父だということだ。父たる陽光が母なる大地を抱きしめ照らすのさ。
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とまー見ればわかるが駄文である。

問題は内容で、1つ目のは「太陽が悪者であり、そのせいでこの世が地獄になっている、という論理はこうなってますよ」という解読になっている。
グノーシスというのは、簡単に言えば(と言っても俺は簡単にしか理解してないが)、「神=悪であり、その神が創ったのだからこの世も悪である」とか「精神が善であり肉体・物質は悪、よってこの世=物質世界は悪」とか、あとは神人一体思想とか、まあそういうものだろう。あとは「蛇は知恵(グノーシス)の実を食べさせてくれた。よって蛇を敬う」もあるな。要するに普通とは真逆の考え方である。であれば当然、太陽=悪であろうし、事実グノーシスが(特にインドでは)月信仰であることは明白な事実だ。その「太陽が悪である」という論理は、この1つ目の文章おっと駄文のように成っているのではないだろうか。俺は検証する手段を持たないが、辻褄は合っている。

そして2つ目だが、俺は演繹法と帰納法とかよくわからない。けどこれは、帰納法的に「太陽が父(男性)で大地が母(女性)、太陽の光は地上に向かって差していく、地球において原初の光は太陽の光である、聖書の冒頭に『光、あれ』と書かれている、つまり(聖書的観点では)この世の根本原理は太陽である」みたいにならないだろうか。
父→母の方向に光のベクトルは進むから、生殖という概念とも一致するし、太陽崇拝と大地母神信仰の関係とも合致するし。どうだろう。太陽が男性名詞であり男神である理由の説明になってないかな。

というわけで、もしかしたらEureka!みたいな事実かもしれないがそうでないかもしれない、適当にツイートした駄文の解説ですた。すまそ。

6月 202013
 

う~ん・・・・。

今までの人生で、俺に干渉しようとする人たちが大勢現れたけど、俺は一人の個人なんだよ。人として尊重されるべきことは、俺だって尊重されなきゃならないわけ。自分で考えてわかることはわかるし、出来ることは出来る。他の人と一緒。当然、幸福を追求する権利だってある。
もし間違ったことを考えていたり、事実と異なることを考えているなら、それをそうだと諭してくれればいい。事実を明示して、「実際にはこうなんだ」と教えてくれれば、それで済む話。事実を事実と知れば、俺だって誰だって「あ、そうなんだ」と納得して解決する。それをああだこうだと多干渉してどうこうするってのはね・・・・。

事実の証明と論理による説明、これに勝る解決策ってのは無い。社会でも人間でも心理でも一緒。俺はそういうことを、人一倍わかってるんだけど。

俺のこういう当たり前の考え方が、世の中のどこでも通用するようになればいいんだけど・・・・。

 
 
うむ、今日も天気が悪いな。ある意味落ち着くいい天気だ。せっかくだからサッカー見ながら仕事でもしよう。今俺の聴きたい曲を貼っておこう。この映画は面白かったが、結局ボニー&クライドと同じになっちまうんだよな。悲しき反抗。

 

6月 142013
 

「新世紀エヴァンゲリオン」は第3新東京市が舞台になっていて、それまでの都市が水没したとか崩壊したという描写が見られる。あれは本当に謎の多い作品だけど、その辺はまあいい。ではその「第3」新東京市という名称はどういう意味を持つのか。単純に考えて「3番目の」「3度目の」という意味だ。
僕は前々から、現在の文明は人類にとって最初の文明ではなく、何回か崩壊→再生を経て現在の形になったのではないか、と思っていた。それは世界各地から不可解な遺物が発掘されるいわゆるオーパーツの存在や、インドの古典である「マハーバーラタ」を読んだ者の多くが「古代の大戦争を描写したものだ」と主張していること、そういうのも理由の一つである。もしエヴァンゲリオンがそういう「事実(?)」を下敷きにして作られたものであるならば、「第3」新東京市という名称は、そのまま「=現在の文明は3度目の文明である」ということを視聴者に伝えんとしているのかもしれない。
古代に大洪水があったと聖書は述べる。そしてこれは聖書圏以外にも世界各地にある説話で、アメリカのインディオも同様だ。皆一様に「大洪水が起こり船に乗って難を逃れ、陸地に向かって鳥を飛ばした」と語る。だから多分、これが「1度目の世界崩壊=ファーストインパクト」だったんだろう。そしてそこから2度目の文明が始まり、それも発展するがやがて大戦争により崩壊する。それがマハーバーラタの大戦争だったのでは。だからこれが「2度目の世界崩壊=セカンドインパクト」に当たるんだろう。
上に述べたことはあくまで「仮説」だが、アメリカ大陸のインディオの言語に多数の孤立言語が存在することや、インダス遺跡から世界各地の骨が出てくること、また不可解なオーパーツの存在など、不思議な事実はいくらでもある。僕が思うのは、古代の前文明の時代にも世界各地の人々がいろんな土地に移り住んでいて、あちこちに「人種のるつぼ」みたいな場所があったんじゃないかな、ということ。だから孤立言語や様々な骨のような現象が現れるのではないか、と思う。そもそも地球の地軸が昔は数度傾いていたわけだし、それを踏まえて黒又山の公的調査などもあるわけだし。また言うまでもなく大陸は徐々に移動するし、海岸線も今とは全く違っていた。
エヴァンゲリオンの新劇場版4作目はまだやっていないし、前3作で言いたいこともよくわからない。しかし第3新東京市という名称は、間違いなく「=現在の文明は3度目なのだ」と言わんとしているはずだ、その真偽は不明だが。歴史学は自由足り得ない学問ゆえ、これらが解明されることは多分ないだろう。それをエヴァンゲリオンは代弁しているのかもしれない。4作目が楽しみだ。

 
・・・と、ここでちょいと追記。惣流・アスカ・ラングレーという名前を眺めてて思ったが、惣流=ソウル(=瀬織津姫)とすると、「片目」は製鉄を表し、「赤」は平氏の赤旗とか秦氏の色とかを表す?千葉市にちょうどそれに当たる蘇我という地名があるが。またアスカ=飛鳥なので、飛鳥時代なら、つまり蘇我入鹿?それならシンジは聖徳太子?厩戸皇子は言うまでもなくイエスの誕生説話を借用してるが。またアメリカにはラングレーという地名があるようだ。90年代映画版では弐号機が量産型に喰い殺されるので、アスカ=プロメテウスだが。あー製鉄をするのには火が必要なんだね。

6月 132013
 

最近、卒業した大学の所属研究室に電話をかける機会があり、かけてみて「◯◯年卒業の◯◯という者ですが」と言ったら、電話に出た女学生が「噂の空白期間の・・・!」と言っていた。「噂の空白期間」というのは笑えるな。そう、俺が卒業する年度だけ、あの研究室には教授も助教授もいなかった。その後研究室のまとめ役と話したところ、「そういう時期だったから」と苦し紛れに言っていた。バカバカしい。

人と人間の違いなんてのはどうでもいい。人というのは、単純に自分の能力を高めることにのみ注力すればいいのだ。そこで他人を低めて相対的に自分が高くなろうと画策するならば、それはただの時間の無駄で、バカのやることだ。
幸福と不幸の関係もそれと同じだ。人は皆、自分の幸福を追い求めることだけ考えればいい。自身の絶対的な幸福度を上げることのみを考えればいいのだ。もしそこで、幸福という概念を相対的なものだと考えるならば、他人を不幸にしてその結果自身の幸福度を相対的に上げようと考えるだろう。ここが人としてどうであるか、という分岐点だ。
程度の低い者は、能力にしろ幸福にしろ、絶対的な要素が低いので、相対的にそれを上げようとする。その行為が、正常な人々にとっての足枷となり災いとなる。要するに北朝鮮みたいなもので、言ってしまえば「人類の敵」だ。パラグアイにいた時も思ったが、こういう相対的に自身を高めようとする者は、どこにでもいるようだ。その結果として自身は低いままであるのも、どこでも一緒だ。それは個人の問題だけでなく、団体であろうが組織であろうが国であろうが、何でも同じだろう。

そして、ジグムント・フロイトが言ったように「人は組織の力によって強いのではなく、個人の意志の力によってのみ強い」のだ。この世の真理は、これ以上でも以下でもない。

6月 102013
 

昔読んだ本に「アマテラスは元々男神だった」と書いてあった。まあこれは自然だろう。どこでも太陽神は男神だし、日本だけが女神で特異だからだ(調べてみたら他地域にも少数ながら例はあるようだが)。そもそも大地母神信仰が存在した古代、大地が女性なら空の太陽が男性なのは普通だ。
以前「日本は女性が支配する国」だと書いたが、つまりそうなった時点で、元々男神だった太陽神が、女神アマテラスに変わったんだろう。それは多分、シラヤマヒメとかククリ(=高句麗)ヒメとか、そういうのが大きな勢力を獲得したのと同じ時期だったはずだ。じゃあ元々の太陽神と大地母神は何だったのか、という話だけど、これはよくわからない。太陽神がアラハバキだったとしても、地神が何だったのかは判然としない。記紀を見ても、地神が誰なのかは明白になってないし。ツクヨミは何となく男神っぽいから、要するに記紀神話ができた時点で旧来の神話体系は払拭されたんだろううね、当たり前だけど。

こんなこと書いていいのかわかんないけど、女というのは、「月に命じられるまま血を流す生き物」だ。そして出産に耐えるため痛みにも強く、また血を恐れない。だからこそ「女は血を恐れない最強の戦士」であると同時に、「月に従い血を流す宿命の者」だ。こういうのも、古来から女性が迫害される原因だったんだろうね。だってこの文言だけ見たら、もう「≒悪魔」でしょ。
だからまあ、あくまでも文章で表現するならば、『我々男の役目は、女達を月から太陽の元に取り戻すこと』なんだろうね。そして医学的にそれが不可能である以上、科学は万能足りえず、逆に科学や医学に反するような観念論や神話体系は、バカバカしいということなんだろうね。

6月 082013
 

4月に自宅に戻ってくる途中、家の近所で、虎猫と黒猫が喧嘩してた。親父と車で走ってたら道の真ん中に動物が二匹いて、遠くから「なんだあれ?」って思いながら近づくと、二匹の猫だった。虎猫が毛を逆立て、黒猫を睨みつけて威嚇してた。親父がクラクション鳴らしても一歩もどかずに、睨み合ってた。
俺は昭和49年生まれの寅年だ。黒猫は・・・まあいい。不吉の象徴だなんてのは誰だって知ってる。だからその黒猫に、虎猫が毛を逆立てて思いっきり睨んで威嚇して喧嘩してたというのは、神様が俺に「頑張れ」とエールを贈ってくれてたんだろうね。
考えたら、俺を構成するいろんな要素が、この半年ちょいでいろいろ発揮されたと思う、良かれ悪しかれ。俺はずっと前から気づいてたけど、これは神様が作った筋書きなんだろうね。だからこそ、ポールは「Mother Mary Whisper “Let it be”.」と歌っている。スペイン語で希望=esperanzaは、待つ=esperarから来ているし。神の御心のままに、というか神のみぞ知る、ってところだな。

6月 042013
 

至極当たり前のことを一言書こう。

『言語は思考を規定する』

これは例えば、英語と日本語の違いを考えればいい。英語の文型はSVO、日本語はSOVだ。つまり英語は最初にSVという結論ありきの言語構造で、故に英語で話す人は最初に結論を述べるのと同義だ。よく「欧米人は物事をハッキリと言う」と言われるが、これはその使用言語がSVOという「まず結論を述べる」構造だからである。最初に結論=意図を伝えてしまうのだ。それに反して日本語は、SとVの間にOが入る。複数のOが入ることもある。つまりどんなに長い文になっても最後のVで結論を出すという言語構造で、故にその文を話している際、「どう結論づけようか」と考えつつ話し、結論のVを発言して初めて意図を伝える、となっている。故に「日本人は物事をハッキリと言わない」という印象を外国人に与える。最後まで聞かないと意図が伝わらないからだ。
僕は言語学には詳しくないが、中国語もSVO型らしいので、よく「中国人は我が強い」「中国人は自己主張が激しい」と言われるのも、この文型の問題に由来しているだろう。SOV型になっているのは韓国語とかハンガリー語も同様だと聞いた記憶があるが、彼らの評価はどうなんだろう、興味がある。

ここまで書いたことは至極当然のことで、つまり『言語は思考を規定する』のだ。言語が先だったのか思考が先だったのか、成立の順序はわからない。けれど喋っている言語を使って頭で考えるので、SVO言語の人々はなんでもハッキリ言うだろうし、行動もストレートだろう。逆にSOV言語の人々はなかなか言いたいことを言わない(ように感じられる)だろうし、行動もストレートには起こさないだろう。だから人間の行動様式というのは、容易に変えられるものではないのだ。
また、歌に歌詞をつける時も、詩を書く時も、はたまた哲学的思索に耽る時も、この文型の違いは大きく影響してくるはず。個人的には日本の俳句や短歌はとても美しいと思うし、作ろうとするとパズルみたいな要素があるので楽しい。

とまあ、わかりきったことを今回書いてみた。僕は語学力はさして高くないので念のため。
スカイリムはクリアしたので、明日からはドラクエⅤをやる予定。その後のSTEAM投げ売りゲームもいくつか候補があるので、仕事もやりつつ楽しもう。