1月 032013
 

俺が高校生だった時、親父がウンベルト・エーコの「薔薇の名前」という小説の上下巻を買ってきたので、試しに読んでみたが、難しすぎて何がなんだかわからなかった。著者は記号論学会会長という人物らしいが、高校生の俺には難解過ぎて読めなかった。
けど、随分経ってから、ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターが出た映画版をレンタルして見た。そしたら結局何が言いたかったのかというと、「(聖職者が)知識を独占しているのが悪い」という内容だった。「あ、なーんだ」と納得した記憶がある。んで、薔薇の名前って何のことなの、というお話だが、あれはラストシーンで「ナントカカントカ・・・・her name.」と言ってるので、「あーあの女の人のことだったんだね」と思って、こっちはある意味ちょっと「拍子抜け?」した。
これは思うに、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」へのアンチテーゼみたいなもんじゃないかなあ、と思ってしまう。市民ケーンはとにかく全映画中の最高傑作であるという評価が揺るぎないが、おそらく全人類のほとんど全ての人は「意味わかんねーよ」と思ってるはず。俺も同様。オーソン・ウェルズの映画なら「第三の男」のほうが普通に面白いしわかりやすいし、市民ケーンは意味がわからない。
で、その『薔薇のつぼみ』って何のことだったの、というお話だけど、浪人時代に駿台寮の隣の部屋だった奴に借りて読んだ本に『新聞王ハーストの愛人だった少女の陰核のことである』と書いてあった。

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