8月 312016
 

俺が高校生だった時、ある用事があって駅前のハンバーガー屋に行った。そうしたら、自分の席の近くに新聞が置いてあったので、何気なく見てみた。するとその日付が、何故か翌日のものが刻まれていた。何回見返しても、その日の日付ではなく、その翌日のものだったのだ。・・・あれは一体何だったんだろう。一緒にいた同級生は「世にも奇妙な物語みたいだ」と言っていたが、確かにその通りだ。あの新聞の日付は、確かにその翌日のものが印字されていた。
これまで生きてきて、最近「もしかしたら未来を見ることが出来るのでは」と思うようになってきた。大学を卒業後に実家に帰ってきて、ネットゲームをやっていたら画面のメッセージ欄にE・A・ポーの詩を書き込まれたことがあったが、あれは2013年に俺がイスラムに引導を渡すことを予知して書いたような気がする。それも俺がYouTubeのビデオクリップをバンバン貼り付けることも予知していたように思えてならない。しかし当然だが、当時はYouTubeなんて存在しなかった!また、2013年にはツイッターにいろいろ書き込んで俺をコントロールしようという奴らがいたが、そういう連中の書く内容も、「こう書けば俺がこういう文章を纏める」と未来を予知して書いてるとしか思えなかった。
他にも思い返すと、どうも「未来が見えている」のを前提にしないと説明出来ないことがしばしばあったような気がする。だからこそ、俺の味方をしてくれている勢力は、俺に頑張れと言ってくれているのでは、と思うようになってきた。
果たして未来は見えるのか。そもそも高校時代の新聞の件だって、俺があの店に行くことを予知して知っていたから、未来が見えることを俺に教えるために、わざと翌日の日付の新聞を誰かが置いておいたのかもしれない。俺の人生が狂い始めたのは高校時代だが、その頃から運命の歯車も回り始めたとも思う。俺に味方してくれる勢力は、要所要所で現れて、俺に助力してくれていた、ように思う、今となると。
今年は厄年だが、鹿島神宮へ行ってお祓いをしてもらった。人間万事塞翁が馬、この先どうなるのか、俺自身には未来を知る能力など、全く無い。

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