10月 182017
 

「不可触民-もうひとつのインド」という本を読んだ。大学でインド哲学科に所属し、まがりなりにもインドについて学んだ俺だが、いろいろと知らないことが書いてあって、非常に勉強になった。
そう、インドの全人口の四分の一は、今だ貧困といわれなき差別に苦しんでいるのだ。けれど日本ではそれについて知ることはないし、知る機会もない。インド哲学科にいたとしても、それについて知ることはない。高校でインドのカースト制を学ぶことはあっても、その実態について正確な実情を知らせることはしない。
要するに、日本が仏教の国であるのが悪いのである。日本の寺の坊主どもは、インドについて正確なことを日本国民に知ろうとはさせない。寺の坊主は仏教にとって都合のいいことしか流布しないし、インドについて誤った情報を日本人に広めようとしている。寺の坊主どもは自由とか平等なんてことはこれっぽっちも考えていないし、むしろ差別を助長する立場である。仏教なんてろくなもんじゃないのだ。
かくいう俺は、パラグアイという南米の後進国に二年間住んでいたが、本当の貧民と接する機会はあまりなかった。むしろ恵まれた裕福な連中とばかり付き合っていた。俺自身も、親の金をむしり取って、好き勝手に金を使って暮らしていた。今考えると恥ずかしい限りである。せっかく貧乏国に行ったのだから、本当の貧民と接して彼らの声を聞いておくべきだったと思う。日本から来た他の連中に比べればそういう機会は比較的多い方だったかもしれないが、それでも俺は「日本から来た裕福な奴」だった。所詮先進国・日本で生まれ育った俺は、貧民の気持ちなんてわからないのである。
ただ俺は、社会から疎外されている人の気持ちは、誰よりもわかる。それは俺自身が、社会から疎外されているからだ。事実上日本のアウトカーストたる俺は、理由なく疎外されている人の気持ちは、誰よりもわかる。たとえ経済的には何の問題もなくても、先進国で社会から疎外され、皆の中に入れてもらえない、そういう気持ちは、誰よりもわかっている。高い能力と才能を持ちながら、それを発揮する場を与えてもらえない、これは辛いものだ。
果たして後進国に生まれて本当の貧民として生きるのが良かったのか、先進国でアウトカーストとして生きる現状が良かったのか、どっちなんだろう。幸い俺は自分の才能を生かして勉強だけはし、いろいろと成果を上げることは出来たが、それでも現状を幸せだとは考えていない。俺に出来ること、それはいろいろあるはずだ。
もうすぐ俺の時代が来る、そんな気がする。そしたら、何か出来ることはあるのだろうか。俺を必要とする場面、それは来るのだろうか。

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