9月 252018
 

俺はPCゲームが大好きなので、2000年代からいろいろなゲームをやってきた。フライトシムを始め、FPSやRTSやSTGなどいろいろやってきた。もっと言うと高校時代からゲーセンに通いつめ、主に格闘ゲームをサルのようにやっていた。客観的に見て、俺ほどゲームが好きな人もなかなかいないんじゃないか、と言えるくらいゲームはたくさんやってきたと思う。
また音楽も好きなので、中学時代からメタルを中心に様々な音楽を聞いてきたし、映画も好きなので子供の頃からいろいろ見てきた。
そんな俺が思うのは、ここ数年でどれも廃れたな~ということ。PCゲームに限らずゲーム界そのものが、以前ほどの活気を失い、パッとしたゲームを出さなくなっている。その証拠に面白いフリーゲームの数も減ったし、昔ほど話題作も出なくなった。ネトゲも廃れた。音楽に関してはCDも売れなくなり、ヒットチャートを見ても昔ほど印象に残るヒット曲というのは皆無である。ニルヴァーナのもたらした音楽界のルーズ化はここに極まれりという感じで、ホントにいい加減な曲ばかりがリリースされるような現状になっている。映画だってそうで、昔みたいな話題作というのは長いことない。最後の超話題作というのはスパイダーマンとかハリーポッターとかだったろうか。あれくらいの「皆が観たがる映画」というのは、もう長いこと現れていない。
こういう「文化が廃れた」という印象は、果たしてどれくらいの人間が持っているだろうか。俺もついさっき気がついたばかりだが、明らかにここ数年で、文化は停滞を始めている。その原因が何なのか、世の中が監視社会に向かうようになったからなのか、他に原因があるのか、よくわからない。俺はアニメをよく見るけど、ああいう「受け身の文化」が蔓延しているように思う、昨今は。
為政者が民衆に対して「何も考えるな、ただ受け身でいればいい」と考えて、能動的な文化の発信を妨げているのか。俺は持っていないが、スマホが全盛になり、ああいうチャチな機械だけを弄って薄っぺらい文化もどきにのみ熱中していればいいと考えているのか。それともその両方なのか。
今の文明がその役割を終えて、やがて収縮し滅びていく過程に今あるとすれば、昨今の文化の停滞は必然なのかもしれない。もしそうではなくて、人類が新しい段階に向かうとか、そういう過渡期のようなものにあるとすれば、これから全く新しい文化の形が出てくるだろうけど、それはないだろう。であれば、やはり現在の文明はそろそろ滅ぶ時期に来ているのではないだろうか。
手塚治虫の「火の鳥」で、未来文明を描いた章があり、それは「ある時期から突然、人類は昔流行ったものをもう一度ありがたがるようなムーブメントが起こった」というお話だったと思う。冗談ではなく、そういう流れが遠くない将来に来るのではないだろうか。もしそうなるとしたら、最初は音楽からだろうね。次に映画。多分そうなるんじゃないかなあ。80年代ミュージックそっくりなものがまた流行るようになるとか・・・。
「文化の停滞」――現在の文明のこれまでの歴史で、そういうことはあったのだろうか。俺にはわからないが、文化の活発でない文明など、存在していても意味はないのではないだろうか。

9月 192018
 

俺の卒業した大学には、健康科学センターというものがあり、そこにリトリート室というものが設けられている。そこは卒業が遅れた学生や学生生活が上手く送れていない学生が自由に出入りできるという触れ込みで、ダメな学生が何人か集まっている。
恥ずかしながら俺も、学生時代はそこに出入りしていた。そこに来ている他の学生はどいつもこいつもバカな連中だったので一定の距離を置いていたが、他に行くところもないので、一応そこのメンバーとして数年間を過ごした。
俺の大学は現在移転作業を進めているので、そこの一施設である健康科学センターも移転することになっており、リトリート室というのはなくなってしまうそうだ。そこでリトリート室では、そこに来ていたメンバーを中心に、文集を作成することになったそうだ。
なぜ俺がこういう情報を持っているかというと、そこの一人がやっている掲示板があり、あの部屋に集まっていた学生が今でも皆で書き込んでいるのだが、そこを定期的に覗いているためだ。はっきり言って俺はそこを「キチガイ掲示板」と呼び、書き込むことは一切していない。ただ見ているだけだ。そこに集まっていた学生はどいつもこいつもメンヘラなので、俺は関わりたくない。俺は学生時代にそこに行っていた時から、そこに来ている連中を心の中でバカにしていた。その理由は書くまい。
ただその中で一人、当時から親の金で風俗にばかり行っていたどうしようもない奴がおり、そいつは割と面白いので仲良くしていた。しかし俺が大学を卒業した後、メールでそいつの替え歌をいろいろ作って送っていたら、遂にそいつがキレて怒ってしまい、絶縁されてしまった。それ以来そこの奴とは無縁だったが、去年Facebookで一人とやり取りするようになった。しかしそいつもクズ偽善者だったので、こっちから絶縁してやった。
その風俗狂いの奴は、キチガイ病院で待合室にいる他のキチガイ女に声を掛け、そのまま交際し、結局結婚してしまったらしい。まあ相手を選ばないという観点から見ればどんなキチガイ女でも女は女だし、結婚できて本人が幸せならそれでいいだろう。俺は理想が高いので、そんな底辺女はお断りだが。けどキチガイとはいえ前向きに結婚まで持ち込むその態度はある意味評価に値するので、見習うべき点は確かにあると思う。
俺はそこに行っていた期間は結構長かったにも関わらず、一切そこからは蚊帳の外に置かれていると言うか、こっちから関わるのはお断りなので一切全く関係は持っていない。今後も掲示板ヲチを続けていきたいと思う。

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9月 062018
 

俺が教会の礼拝に行かなくなって半年以上過ぎた。なぜ行かないのか、それは以前の文章にも書いたが、他にもある。
礼拝の時は「礼拝式文」というのを詠みながら進めるのだが、この内容が、ユダヤ人に都合のいい文章を我々信徒に発音させるためのものにしか思えないため、俺は詠みたくない。
例えば「我々は生まれながら罪深く、汚れに満ち~」という文章があるのだが、これは明らかにグノーシスの影響下にある考えである。人間世界・物質世界を悪しきものと考え、人間を悪しき存在だと考える思想の影響下にある文章だ。
また、「(イエスは)ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け~」ともあるが、実際にはピラトは賢人であり、イエスを救おうとした人物である。イエスを磔刑に処したのは、ユダヤ王ヘロデ・アンティパスと彼に扇動されたユダヤ民衆であった。つまりユダヤ人こそが、イエスを処刑(死ななかったが)した張本人なのである。
そして「みたみイスラエルの栄光です」という文章もあるが、これも「なぜユダヤ人に忠誠を誓わなければならないのか」と俺はすごく疑問に思う。要するに、ユダヤ人という生き物は、キリスト教を利用して一般市民を自分たちに従わせようとしているのだ。
こういうバカみたいな文章が頻出するので、俺は礼拝に行っても礼拝式文を詠んでいない。はっきり言って、何も考えずに盲目的に礼拝に出て、こんなバカみたいな式文を喜んで詠んでいる奴に救いはない。自分の信じているものを批判的に考えて自己改善しないのなら、宗教だろうが何だろうが無意味である。そもそも神学校というところは、一体何を教えているのだろうか。「愚かな民衆をキリスト教の下に跪かせる方法」でも研究しているのだろうか。
大体、盲目的に宗教を信じている奴は気持ち悪いのだ。バカみたいに「イエス様が~」とか言ってる奴、俺ははっきり言ってこういう「宗教野郎」を信用していない。こういう奴に限って、キリスト教のことを何も勉強していないし、やることといったらせいぜい聖書を読むくらいである。そもそも聖書がユダヤ人の手によって書かれたインチキ臭い文書なのに、それを盲目的に信じて読むだけの奴なんてただのバカである。なぜ皆、キリスト教を批判的に考えようとしないのだろうか。
ともかく、俺はこういう考え方なので、礼拝には行きたくない。何も考えずに一生懸命賛美歌を歌って礼拝式文を詠んでる連中を見てると、バカ丸出しに見えて溜息が出てくる。こいつらはきっと、仮にキリスト教が全否定される日が来ても、ホイホイ黙ってそれに従うんだろうね。だって自分の頭で考えることを放棄したゴミだから。

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