7月 252018
 

いわゆる「日猶同祖論」というのがあって、俺はこれを学生時代からずっと考えていたのだが、その辺は「古代史関連」のページにも記述してあるので参照のこと。
南米に行った時に巻き込まれた一連の騒動や、俺を2013年に取り巻いた動きなどから、俺がこの問題に深入りしすぎたことは間違いない。気づかないうちに、その中心として振る舞うことさえ強要されたこともある、この「日猶同祖論」。昨夜寝ながら考えていたが、いくつか新しく考えついたことがある。
それは、明治維新だ。明治維新というのは不思議な現象で、何故か東洋の小国だった日本が、欧米列強に植民地化されることもなく近代化を果たし、列強の一角に食い込んだという、摩訶不思議なイベントであった。何故、日本が植民地化されなかったのか。幕末の志士や薩長土肥の資金はどこから出ていたのか、そういうのは今でも謎らしい。
俺が思ったのは、薩長土肥というのは、要するに日猶同祖論から見てのユダヤ人の土地であったということだ。薩摩は家紋が「丸に十字紋」つまり「十字架」だ。そして鹿児島という地名も「加護」から来ている。肥前つまり佐賀は、その眼前に有明海があり、おそらく「有明」というのは「アーリヤ」の漢訳だろう。長州と土佐もユダヤの痕跡があるはずだ。
古代に「白丁(ペクチョン)」というのがおり、これは隼人の一種だと言われる。そして白丁は日本の穢多と同じだとも言われる。実際、隼人の薩摩と弾左衛門が密通していたことはよく知られている。ユダヤ人は海洋民族だから、日本にも大勢が来ていたはずであり、薩長土肥と弾左衛門がそれぞれ何族だったか、俺は弾左衛門はダン族だったと確信しているが、他はわからない。
江戸城は本来の名前を千代田城といい、徳川家は千代田族と言われる。弾左衛門つまり穢多は、江戸時代に徳川家の下につき体制の一部だったから、つまりダン族は千代田族と結びついていた。千代田族は福島の会津を拠点にしていた。だから明治維新軍は会津を最後に攻撃したのである。俺は穢多≒秦氏だと思っているが、ユダヤ人というのは、各部族間で抗争があったはずである。つまり薩長土肥のユダヤ勢力と、それに敵対する千代田族・ダン族という構図があったと思う。弾左衛門=穢多≒秦氏=ダン族なら、これは「秦」だから、要するにペルシャであって、今のイランである。だから日本の同和は北朝鮮と繋がっていて、北朝鮮はイランと繋がっている--とまあ、スケールの大きな話になってしまうが、今回はここでやめておこう。
俺の日猶同祖論に関する考え方は、おそらく世界でも最も核心を突いたものなのだろう。だからこそ以前あんなことがあったのだ。俺はちっぽけな人間に過ぎないが、図らずもいくつかのことを成してしまった、それが俺の使命なのか、まだ俺の出番はあるのか。

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