9月 062018
 

俺が教会の礼拝に行かなくなって半年以上過ぎた。なぜ行かないのか、それは以前の文章にも書いたが、他にもある。
礼拝の時は「礼拝式文」というのを詠みながら進めるのだが、この内容が、ユダヤ人に都合のいい文章を我々信徒に発音させるためのものにしか思えないため、俺は詠みたくない。
例えば「我々は生まれながら罪深く、汚れに満ち~」という文章があるのだが、これは明らかにグノーシスの影響下にある考えである。人間世界・物質世界を悪しきものと考え、人間を悪しき存在だと考える思想の影響下にある文章だ。
また、「(イエスは)ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け~」ともあるが、実際にはピラトは賢人であり、イエスを救おうとした人物である。イエスを磔刑に処したのは、ユダヤ王ヘロデ・アンティパスと彼に扇動されたユダヤ民衆であった。つまりユダヤ人こそが、イエスを処刑(死ななかったが)した張本人なのである。
そして「みたみイスラエルの栄光です」という文章もあるが、これも「なぜユダヤ人に忠誠を誓わなければならないのか」と俺はすごく疑問に思う。要するに、ユダヤ人という生き物は、キリスト教を利用して一般市民を自分たちに従わせようとしているのだ。
こういうバカみたいな文章が頻出するので、俺は礼拝に行っても礼拝式文を詠んでいない。はっきり言って、何も考えずに盲目的に礼拝に出て、こんなバカみたいな式文を喜んで詠んでいる奴に救いはない。自分の信じているものを批判的に考えて自己改善しないのなら、宗教だろうが何だろうが無意味である。そもそも神学校というところは、一体何を教えているのだろうか。「愚かな民衆をキリスト教の下に跪かせる方法」でも研究しているのだろうか。
大体、盲目的に宗教を信じている奴は気持ち悪いのだ。バカみたいに「イエス様が~」とか言ってる奴、俺ははっきり言ってこういう「宗教野郎」を信用していない。こういう奴に限って、キリスト教のことを何も勉強していないし、やることといったらせいぜい聖書を読むくらいである。そもそも聖書がユダヤ人の手によって書かれたインチキ臭い文書なのに、それを盲目的に信じて読むだけの奴なんてただのバカである。なぜ皆、キリスト教を批判的に考えようとしないのだろうか。
ともかく、俺はこういう考え方なので、礼拝には行きたくない。何も考えずに一生懸命賛美歌を歌って礼拝式文を詠んでる連中を見てると、バカ丸出しに見えて溜息が出てくる。こいつらはきっと、仮にキリスト教が全否定される日が来ても、ホイホイ黙ってそれに従うんだろうね。だって自分の頭で考えることを放棄したゴミだから。

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