10月 042018
 

以前「ユダヤ人は何でも自分たちの都合のいいように考えている」と書いたが、俺は教会に通うようになってそう思うようになった。
例えば、有名な「悔い改めよ」というイエスの台詞も、英語の辞書には「repent」と書いてあるが、これは「悔いる」「後悔する」という意味である。そう、ただ単に「悔いよ」という意味なのである。それを日本のバカな神学者が「改める」という言葉をくっつけて「悔い改めよ」と翻訳して、それが一般に普及してしまっている。要するにイエスは、2000年前に現れた時に、ユダヤ民衆に「悔いよ」「後悔せよ」と言っていたのである。改めるチャンスなど与えていなかったのだ。
だからイエスが処刑された(死ななかったが)のも、自分たちの罪を身代わりに引き受けて下さったのだ、とか、自分たちの都合のいいように解釈している。俺が昔見た「ベン・ハー」という映画も、そんな感じだった。なんでユダヤ人はああも自己中心的に考えるかな。
実際には悪魔というのはユダヤ人のことであって、サタンというのもユダヤ人の(特にダン族の)ことである。ユダヤ人は神の敵なのである。それなのに自分たちは神の選民だとか、苦難に耐えてきたとか、嘘八百を垂れ流して世の中を牛耳っている。
こういうことを考えると俺はますます教会に行きたくなくなる。一度だけ教会の牧師に、礼拝式文のおかしなところを指摘してやったことがあるが、無視された。まあ神学校なんて何を教えてるのか知らないが、どうせユダヤ人に都合のいいことをタラタラ教え込んでるんだろうし、牧師や神父なんてユダヤ人の手先のようなもんだろうから、言っても無駄だろうが。そして信徒の連中は、何も疑問を抱くことなく礼拝に出て、式文を詠んで、ユダヤ人を礼賛している。全くバカバカしい。
666にしても、アバドンにしても、アポリオンにしても、冷静に考えればユダヤ人が我々人類の敵だとわかりそうなもんだが、ユダヤ人の末裔たる日本人には理解もできまい。なぜ原爆を落とされたのか、その本当の理由もわかるまい。何時になったら人類がイエスの本当の気持ちをわかる日が来るのかねぇ~。

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