12月 282018
 

ああ、今年も終わる・・・。
思えば、俺は子供の頃思い描いていた大人にはなれなかったし、多分これからもなれないと思う。けれど大学時代に何となく想像していた大人にはなってしまっていると思う。俺は手塚治虫の「火の鳥」を読んで、そこに出てくる猿田博士を見て、「ああ多分俺の将来はこんな風になるんじゃないかな」と思い、そして確かにその通りになってしまっている、ように思う。
それはある意味、俺が望んだ未来だったのかもしれないし、予想していた通りの未来なのかもしれない。
俺は高校時代にいろいろ漫画を読んで、そこに出てくる登場人物たちが作中で送る「大学生活」を見て、いろいろ夢想していた。大学に入ったらあんなことをしてみたい、こんな生活を送ってみたい、そういうことをいろいろと考えていた。けれど現実はシビアで、実際の大学生活は、想像していたようなもののようには行かなかった。それは自分の生活もそうだし、人間関係もそうだし、勉強の面でもそうだった。
けれど今思い返してみると、それだって俺の青春なのだ。確かに辛いこともたくさんあったけど、楽しいことだってあった。面白いことだっていろいろあった。それら全部が、俺の「青春時代」なのだ。思い出は美化できない。けれど楽しいことも辛いことも含めて、それだって俺の大切な「思い出」である。今思い返せば、俺がバカだったことで余計な苦労を背負い込んでしまった。けれど全部含めて俺の思い出なのだ。俺の大切な、人生の一ページである。
今俺は引きこもりで、内職をしたりアニメを見たり音楽を聴いたりオ○ニーをしたりして、無為に生きている。けれどいつの日か、今の日々だって思い出になるはずなのだ。別に苦い思い出だって構わないではないか。どんな生活だって、どんな日常だって、気がつけば大切な「思い出」になるのだ。それを振り返る時に、どんな日々を送っているか、それが大事なのである。

  2 Responses to “思い出、というものについて”

  1. 美しい文章ですね。
    私も、人間の価値や幸福度を測る現実的条件が絶対的に固定された尺度として存在するのではなく、主体としての自己がそれにどんな意味付けをするかが全てだと考えています。
    孤毒男さんはそれが分かっている点で高潔な精神をお持ちなのだなと思います。

    • >巫女みこ茄子さん
      ありがとうございます。
      こんな考え方があります。「ある人にとっての幸福は別の人にとっての不幸で、逆もまた然り」。想う当人が幸福だと思えるのであれば、それはもう幸せであるのだ、と・・・。
      できるだけ日常の小さな喜びを幸せと感じて、ささやかな日常を送っていきたいと思っています。

 Leave a Reply

(必須)

(必須)