6月 202019
 

俺はもう長いこと引きこもりで、外に出て何かを楽しむということをしていない。ほとんどの娯楽は、家の中にある。
けれど俺は別に「外に出て活動するのが普通で当然」なんてことは思っていない。外に出ていなくても、俺は家でいろんなことをやっているし。
俺は南米に行った時に自覚したが、「どこでも楽しく暮らせる」というのが特技のようだ。見知らぬ外国、それも発展途上国であっても、俺はそこでの生活に楽しみを見出し、一人ぼっちでも楽しく暮らしていた。
今だってそうだ。外には出ないし、大好きだったバイクも手放してしまったけれど、それでも俺は自分の部屋で楽しいことをいろいろ見つけて、できるだけ楽しく暮らそうとしている。
そう、「楽しみはどこにでも転がっている」のである。
なんと言うか、やっぱり生きる上は楽しい方がいい。だったらどんな生活をしていても、その中でできるだけ楽しいことを探して、可能な限り楽しく暮らすほうが得なのだ。どれだけ他人から見てつまらない人生だとか思われようと、その中で楽しいことを探す。その能力が大きければ大きいほど、得な生き方をしていると思う。
ある人間(俺はそいつのことをまったく尊敬していないが)が言っていたが、「いつか来るかもしれない自分にとっての素晴らしい時間をなんとなく待つより、側にある楽しいことを探そう」という言、これは確かに正しい。俺もそうだしみんなもそうだろうが、ああ~幸せになりたいなあ~と思っていても、幸せはいつ来るかわからないのだ。だったらそれを待つだけよりも、今そこにある楽しいことをやった方がいいに決まっている。
なんでもないつまらない日常の中で、できるだけ楽しいことを探して楽しく暮らす。俺はこれができているから、どこも悪くならずに今の今まで生きてこれたんだろう。ちょっと頭をひねれば、楽しいことはいろいろ見つかる。今の時代ならPCさえあれば何でも手に入るし、外出しなくても欲しいものは手に入る。
そういう生き方だって、誰に咎められるべきでもない。本人さえ楽しければそれでいいのだ。そういう能力が高ければ高いほど、人は幸せになれるのだろう。

  2 Responses to “楽しみはどこにでも転がっている”

  1. 初コメントです。エリトさんのところから参りました。

    大変説得力のある考え方だと思います。
    どこか仏教っぽい気もします。

    私もそんな境地に至りたいです。

    楽しめないことに悶々として、楽しまなきゃ、って強迫観念持っちゃうんですよね….

    • ようこそ!
      仏教っぽいですかね、私は一応クリスチャンの端くれですがw
      嫌なことや腹の立つこともあるけど、楽しいことを見つけてそっちのことを考えてれば、それなりに良い人生になると思いますよ。
      不条理というものを経験すれば不条理というものがわかるようになるし、不幸を経験すれば不幸というものがわかるようになる。逆もまた然り、です。
      できるだけ気楽に楽しくやっていきましょう!

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