8月 142019
 

「悪魔」という概念がある。古代より様々な宗教の中に登場する「悪魔」だが、単に観念的抽象的な存在ではない。
悪魔というのは端的に言ってしまえば秦氏のことである。俺の歴史に関する考察はこのブログの上部から読めるが、そこにも書いたことだが、秦氏というのはユダヤ人のダン族のことであって、蛇をシンボルマークにする。蛇が邪悪の象徴だとかいう話は置いておいても、秦氏が悪魔であるというのは疑いない。
うちの教授も認めたことだが、秦氏というのは日本では「鬼」としても表される。仏教の障碍としての存在である。その辺のことは話せば長~くなるし、歴史の考察にも書いたことなので再度書くことはここにはしない。
要するに、秦氏というのは、悪魔でもあり鬼でもある存在だ、ということだ。
秦氏というか秦氏の子孫というか、そういう存在は今の日本にも存在する。そして俺はそれをよく見かける。実社会でも、ネットの中でも、よく見かける。その理由についてはもはや知る由もないが、ある意味俺の宿命のようなものだろう。
そういう「悪魔」「鬼」を見ていると、ああ、古代から忌み嫌われてきたのはさもありなんだな、と思う。イエスが修行をしている時、悪魔が側に現れて様々な誘惑をしたというが、あれは聖書というバイアスがかかった文書なので、悪魔についても脚色している面があると思う。
俺が悪魔を見て思うのは、何千年も前から忌み嫌われて当然というか、忌み嫌われるのにはそれ相応の理由があるんだな、ということ。簡単に言えば「人間ではない生き物」なのだが、それは外見もそうだし、中身もそうだし、やっていることもそうだ。「悪魔」という語で端的に表すのが、一番手っ取り早いというか、名は体を表すというか、よく奴らを上手く表現した語だと思う。
要するに悪魔も鬼も同じなので、簡単に言ってしまえば「人類の敵」である。奴らの存在は、人類にとって害悪だ。絶滅させねばならない。奴らを絶滅させるために俺にできることがあれば、喜んで力を貸そう。
旧約聖書「創世記」の49章には、彼らについて「神よ、私はあなたの救いを待ち望む」と書かれているが、甘ったれるな、と言いたい。あんな連中に救いなど与えてやる必要はない。そんな甘い考えだから、何千年ものうのうと同じことをし続けているのである。奴らには煉獄こそ相応しい。人類に延々と害を与え続けてきたその罪は、地獄の苦痛でしか償えない。

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