8月 242019
 

「栄光なき天才たち」というマンガがある。俺が学生の頃から定食屋などにコミックが置いてあり、たまに読んでいた。そして数年前に、ヤフオクで全巻まとめて購入し、一気読みした。
栄光なき天才たち・・・そう、栄光なくとも、天才だった人たち。確かにそういう人はいる、のだ。世間に認められなくても、正当な評価を得られなくても、天才として確かに存在した人たち。この作品には、そういう人たちの「一部」が、マンガ化されている。
他にもこういう人は大勢いるだろう。ニコラ・テスラ、オスカー・ピストリウス、他にもいろいろ・・・。けれど俺がこのマンガで心を打たれるのは、たくさんのページを割いて大々的に取り上げられた人よりも、短編としてちょっとだけ取り上げられた人たちだ。
中でも思い出されるのは、数学者エヴァリスト・ガロアだ。決闘でわずか20歳弱でその生命を閉じた、天才数学者。「僕には時間がないのに!」と遺書に書き遺し、彼は死んだ。彼の数学的思想は、現在の数学に大きな影響を与えたという。運命は待ってはくれなかったのだ。彼はどういう思いで人生を閉じたのかわからない。しかし彼は「歴史に名前を刻んだ」のだ。
そして最も思い出されるエピソードは、電話機を発明しようとした、二人の発明家の話だ。貧乏暮らしをしながら発明に没頭し、電話機を発明して一攫千金を狙おうとするも、わずか5分の差でグラハム・ベルに特許をかっ攫われる。しかしこの二人はめげることなく、「次はテレビジョンというものを発明して、億万長者だ!」と手を組み交わす。
俺は大学時代、このシーンを見て、なんというか「人生の指針が決まった」ような気がした。そう、俺の望む人生は、こういうものだったのだ。少なくとも昔はそうだった、はずなのだ。できるだけ楽しく生きる、というテーマとも繋がるし、死ぬ時に満足して死んでいく、というテーマとも繋がる。俺は簡単な話、このマンガのこのシーンに感動してしまい、この単行本が置いてある定食屋に何回も通って、このシーンばかり見ていたような気がする。
俺だって古代史に関することを自分で文章にまとめて、それが何らかの影響をどこかに与えたことは知っている。しかしそれが具体的にどの程度だったのか、そこまではわからないが。けれど俺が生きた証というものは、確実にどこかに存在し、そういう意味では、俺は「歴史に名前を刻んだ」と言ってもいいと思う。その程度が低くても小さくても、俺はほんの少しは誰彼に影響を与えたのだ。ただ生きているだけ、ではなく、俺の考えていたことが正当性のあるものだったと、どこかに認められたのだ。
事実が大切である。歴史に刻むのは、名前ではなく、事実であるべきだ。俺はグラハム・ベルは、あの二人の発明を丸ごと盗んで5分早く特許を出したと思っている。そういう意味では、あの名もない二人は、電話機を発明するという「事実」を「歴史に刻んだ」のだ。そう、彼らは勝ったのである。
今でもあのマンガは俺の部屋の片隅に置いてあり、ホコリとヤニを被っている。けれど俺のお守りのように、ずっとそこにある。あの電話機の二人の名前も覚えていないが、彼らは俺のヒーローだ。そう、オスカー・ピストリウスと同じように。

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