10月 142019
 

若い頃に読んだ書物に影響される、という経験は、誰しもあると思う。大抵の人は、そういうのは思想の本だったりする。マルクスに傾倒したり、仏教の教えに傾倒したり、そういうのが一般的だと思う。
俺はどうかと言うと、歴史学の本に影響された。それも幸か不幸か、古代史の本、それも「鹿島昇や八切止夫のような人の本」に、ぶっちゃけ多大な影響を受けた。彼らの本を初めて読んだのは高校3年の終わり。近所の古本屋で新国民社の本を買い、適当に読んでみたところ、当時「純粋な少年」だった俺は(当然のことながら)多大な影響を受け、そしてそれは20年以上俺に良くも悪くも影響を与え続けた。
今となっては、そういう本の悪いところはよくわかる(もちろん良いところも)し、むやみに信じたりはしない。けれどたかが18歳の高校3年生の少年は、ああいうのに影響されると、なかなかその影響下からは抜け出せないものなのだ・・・。そのせいで大学では苦労した。歴史学の授業を受けても頭に入ってこないし、人と話す時もトンチンカンなことを言ってしまったりする。
今思えば、ああいう人たち、特に鹿島昇なんて人は、朝鮮人とか韓国のスパイなのではないか、と思う。ああいう人たちの言ってることを第三者の視点から冷静に観察してみると、マスコミの連中が朝鮮を大好きなのも同じ心情なのではないか、と思える。なんつーか「朝鮮第一主義」みたいな・・・。
けれどああいう人たちというのは、60歳とか70歳になっても尚、ああいう朝鮮第一主義に凝り固まって、おそらくそのまま死んでいくのだ。俺の叔父の一人もそういう人種なので、そういう連中の実態というのは何となくわかる。ある意味恐ろしい。ああいう考えの人間が、日本の上層部には少なからずいるはずである。どうりで日本は朝鮮の言いなりなはずである。
しかし、ああいう本を読んで影響を受けたことで、なんというか俺も「斜め上から物事を見る」という習慣ができたことは、素直に良かったと思える。学問に関して大事なことは「まず信じる」ではなく「まず疑う」ことである。俺はそれが行き過ぎて何でもかんでも疑うようになってしまったので、大学時代は苦労したが、けれど歴史学や神話学をやる上で、まず疑って斜め上から物事を見る傾向、それが身に付いたのは良かったと思える。
俺がああ言う書物の影響から抜け出れたのは40歳を超えてからだが、未だに何にもわかってない同期の連中の考えなどを知ると、逆に良かったのかもしれないな、とも思う。少なくとも、俺はある意味「結果を出している」ので、その通過点の経験としては間違っていなかったのだろう、多分。

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