7月 162020
 

最近PCゲームを3つ買い、どれも「当たり」だった。「Call of Duty:World War Ⅱ」は、久々に面白いと思えるFPSで、バランスもテンポもストーリーも良く、マルチも結構楽しい。「EVERSPACE」というのは宇宙ものコンバットシムだが、短時間でちょっと遊ぶのにもいいし、なかなかの良品だ。「Age of Empire Ⅲ」は俺の好きな古めのRTSで、こないだまでやってたAoMみたいにサクサク攻略できるのがいい。Ⅱは難しくて途中で断念したけど、Ⅲは難易度も下がってメリハリがあるゲームシステムなので、当分楽しめそうだ。
これらをクリアするのにあと2ヶ月くらいは遊べそうなので、当分退屈しなさそうである。終わったらPS1版のFF7をやるか、PC-98のYU-NOをやってみる予定だ。PCゲーマーとしてしばらくゲームには困らない日々が続きそうである。
昔は語学に興味があったが最近は全然勉強してないな。南米にいた頃はスペイン語の勉強をしつつ英語でブログを書く、ということもやっていたが、今はもうどっちもほとんど覚えていない。一応辞書無しで南米を旅行するくらいのことは出来たのだが・・・ちょっとしたジョークを言ったり。今ではスペイン語の動詞の格変化とか全然忘れてしまったなあ。
俺は2年間南米にいたわりにはスペイン語は下手くそだった。けれど「コミュニケーションを取る」というのはよく出来てたほうで、英語とスペイン語をチャンポンにして喋ったりしてたけど(Yo quiero go to la casa of Che Guevara とか笑)、辞書も持たずにあちこちに行っていたものだ。今から勉強をし直して、TOEICとかスペイン語検定とか受けてみようかな?まあ外国語をマスターしても使う機会が無いんだけど・・・。
俺のいた国はパラグアイという国だが、ここは「南米の北朝鮮」みたいな国だった。日系人で偉い奴らはみんな広島の出身で、統一教会がJICAとつるんで何かをやっていたり、国境のあちこちに抜け道があったり。まあマトモな国ではなかったな。それは日本から来た人が皆言ってたことだったが。
どこの国でも同じかもしれないけど、あの国で旅行会社を経営してる奴には悪い奴が多く、日系人の旅行会社にも悪い奴がいて、金を横領したりしてて、実は俺も数千ドル巻き上げられた。
また韓国人のやってる旅行会社は、店舗の前で見せしめに奴隷みたいな人たちが座らされてたりしてた。その中の片手が動かなくなった女性は「私は昔いろんな男に言い寄られた。この腕輪はあの男に、この腕輪はあの男にもらったんだ。けどあいつは、私を鎖に繋いで鞭で打ったんだ!そのせいでもう片手が動かない」とか言っていた。俺はその女性に、持っていたビー玉をあげた。そして「元気出せよ」と言ったら、その女性はビー玉をまるで宝石のように見つめていた。・・・そんなこともあった。
あの韓国人旅行会社は怖すぎるので深入りはしない方がいいだろうが、その向かいには別の韓国人のやっているデスペンサ(雑貨屋)があって、そこの主人や奥さんは俺にとても良くしてくれた。そう、悪い朝鮮人だけではない。何人だからどうこうだというレイシスト的思考は間違いだ。俺がこういうことを言うと物凄く説得力があるということは、わかる者にはわかるだろうね。俺がヒトラーみたいな考えにならないのは、そういう良い人の存在をちゃんと知っているからだ。何でもステロタイプに考えることは間違っている。
あの国では大使館の人たちにもお世話になったし、悪い思い出ばかりではないのだが、果たして「行った意味はあったの?」と訊かれると・・・う~ん、多少の人生勉強にはなったかな、とは思うけど・・・。まあ逃げるように行った国だったから、万事後ろ向きだったことは否めないな。
「後ろ向き」、これは俺の人生にとって常に付きまとう問題だ。痩せたいという願望もかつて超男前だった時代に戻りたいという後ろ向き思考、大学受験をやり直したいというのも学歴コンプから来る後ろ向き思考、それに卒論指導をちゃんと受けたいというのも卒業してるのに抱く後ろ向き思考だ。何というか「前に進む」という発想が無いよな、俺って。それは「他人の足を引っ張る」というゴミどもが存在する故仕方のないことではあるが。日本人はなぜ他人の足を引っ張ることは超一流なのだろう。だから俺は他人と関わりたくないのだ。
ビー玉をあげたあの女性は、その後どうなったかな。あそこから解放されて幸せになっただろうか。他人の幸せを気にしてる場合じゃないけど、ふと気になってしまった。

7月 042020
 

俺はいわゆる「社会人」ではない。つまり、一般的な通念では、俺は社会の一員ではないとされている。
けれど俺は、この「社会」という考え方が大っ嫌いだ。何よ、「社会」って?仕事をしていない人間は社会の一員ではない?ふざけんな。社会ってのは落ちこぼれも無職も含めての概念だろうが。たかが仕事をしていないだけで、人間世界の一員ではないみたいな通念、こんなのはクソくらえだ。
例えば、インドという国がある。あの国にはカースト制度があって、非常に様々な職種に就いている者がいて、もちろん職に就けない者もいる。しかし皆、インドという国を構成する一員である。
もし「仕事に就いていない者は、社会の一員ではない」のなら、それはつまり「=一定の条件をみなしていない者は、社会の一員ではない」ということであり、であればそれは差別主義者の考え方だ。
インドには、糞の汲み取りしかやらせてもらえない者や、獣の屠殺しかやらせてもらえない者、ネズミを喰らっている者、両腕を切り落とされて乞食をさせられている者、そういう人間以下の生活をしている人間たちが大勢存在する。しかし全員、インドという社会を構成する一員である。そういう最底辺の人間も含めての「社会」である。もし「一定の条件をみなしていない者は、社会の一員ではない」のなら、インドのそういう人間たちはインドという社会の一員ではない、ということになる。しかし実際にはそんなことはない。
日本には、口先だけ「自由」とか「平等」という言葉を発する者に限って、こういうことがわかっておらず、差別主義的な考え方を持っている奴がいっぱいいる。俺の親戚にもそういう奴がいて、そいつは同和や在日のシンパなのだが、以前インドに行きたいとか言っていた。「インドには被差別部落の人たちみたいな人がたくさんいて~」とそいつは語っていたが、そいつは俺に対して、やれ「早く社会に戻りたければ」とか「早く『社会』に戻れるといいね」とか文章を送ってくる。
こういう奴は同和と在日みたいな差別主義者のクズどもにシンパシーを感じているので、本当の自由や平等というものがわかっていない。だからわざわざ、俺のような落伍者に対し「おまえは社会の一員ではない」ということを言ってくる。要するに、いくらインドに行きたいとか抜かしていても、インド社会のことを真剣に考えたことがないのである。
こいつのように「仕事をしていない人間は社会の一員ではない」という考え方であれば、それは「一定の条件をみなしていない者は、社会の一員ではない」という考え方と同義なので、それはつまり「=インドで糞の汲み取りをやっている人間は、人間ではない」と同じ考え方である。そう、こういうエセ平等主義者こそが、実際には真の差別主義者なのである。こういう奴がエスタブとして偉そうにしているから、日本は差別主義国家であり人権後進国家なのである。まあ死ぬまで治らないだろうが。
俺たちのような落伍者も含めての「社会」である。別に積極的に世間との関わりを断つ人間などいない。引きこもりにしても、落ちこぼれにしても、いろ~んな理由があってやっているのだ。好きでこんな生活になったわけではない。それは、インドでアウトカーストの人間たちが好きでそんな生活をしているわけではないのと同じである。何が「社会」か。だから俺は、働いていれば社会の一員だ、働いていない奴はそうではない、という考え方が死ぬほど嫌いだ。まあ日本人はろくに自問自答もしないバカが多いし、右に習えの国民性だから、俺がこんなことを言っても一笑に付されるだろうがね。