2月 132021
 

今までの人生を振り返ると、俺の人生って「結果が全て」の繰り返しだった。
高校時代は学校で超落ちこぼれで、将来が危ぶまれるほどだったが、ちゃんと大学には受かった。というか俺は、「大学にさえ入ればいい」と最初から思っていたので、その過程の定期試験とかはどうでもいいと思っていた。あまりにもどうでもいいと思いすぎたために、最初から最後までほぼ全回ビリという成績を出してしまったが、それでも「大学にさえ入ればいいんだろ」と思っていたので気にしなかった。
大体うちの高校なんて大したレベルではなく、そこそこの成績を取っていても大学はマーチ、なんて奴が大勢いる。そんな風になるくらいなら、成績はずっとビリでも大学は一流大学、の方がクールだ。俺はそう思っていたので、それを実践した。
そして大学では、いろんな圧力があって留年を繰り返し、成績も悪かった。というより俺は、「学問で認められたい」という強い希望を持っていたので、「最終的に学問でものになればいい」と思っていて、高校時代と同様に成績はどうでもいいと思っていた。どうせいい成績を取っていいところに就職したいという希望もなかったし。
だから大学の授業はいつも上の空で、単位を容易に取得できる授業ばかり選択し、「勉強」は自分でやっていた。これに関しては、うちの研究室の教授が一度、真面目な顔で「・・・それだけ勉強してるなら大したもんです」と言ったことがある。そう、わかる人にはわかるのだ。
そして俺は、ぶっちゃけ自分の専門分野では、ある意味世界レベルまで行った。少なくとも、学部卒で俺に敵う奴は日本には一人もいないだろう。それくらいのレベルまでなった。だから大学の勉強でも、俺は初志を実践したと言える。
別に自分の過去自慢をしたいわけではないが、今回のテーマ「終わりよければ全てよし」である。俺はこれを、高校時代も大学時代も実現したわけだ。その後は・・・まあフリーターや海外遊民や無職ニートとして無為に過ごしているわけだけど、まだ俺の人生は終わっていない。だからこれから再起して、何かで名を挙げることだって出来るはずだ。
教会に来ているある人が言っていたことだが、「あなたが生まれてくる時、あなたは泣いていたけど、周りにいる人達は笑っていたでしょう。だから死ぬ時は、周りの人達が泣いていても、あなたは笑っていられるような、そんな人生を送りなさい」との言葉。これはとても胸に刺さる。そう、「結果が全て」「終わりよければ全てよし」いろんな表現はあるが、最後の最後まで人生どうなるかはわからないのだ。
もちろん「過程は関係ない」と言っても、その間で犯罪や不幸は経験したくない。けれど、最後の最後に笑えれば、それは人生の勝者と言えるのではないだろうか。傍目から見れば、今の俺は「底辺を這いつくばっている」ような人生だけど、これからどうなるかは誰にもわからない。
と、こう考えていたらまた生きる希望が少し湧いてきた。まだまだ俺は終わらんぞ。「運も実力の内」というが、俺はある意味非常に強運だ。ある意味では俺ほど運の悪い人間もいないのだが、ぶっちゃけどっちなのか自分でもわからない。けれど神様を信じていれば必ず救いはある。そう、Never Never.だ。

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