2月 212022
 

なんとなく「南米パラグアイにいた時に不思議なことがあったな~」と思い出したので、以前の続きとして書いてみよう。
まず以前の記事がこれ。

この時期つまり2009年の10~12月頃だったかな、いろいろ不可解な出来事があった。その詳細は省くが、なんと言うか街中の人間が俺を「コントロール」して、特定の行動を取るように誘導していた、という印象があった。その目的はわからないし、最終的な目標も何だったのか不明である。しかし、その途中途中で、それ以前に知り合った人間が「わざとらしく」現れては俺に「次はこうしろ」「次はここへ行け」と指示を出し、その通りにすると次の人物が現れて・・・ということを繰り返し、俺がそれをブログに書くとなぜか皆が読んでいて、その内容によって次の展開が変わったり・・・と、まあなんと言うか「劇場型」のコントロール合戦だった。
なぜ「合戦」かと言うと、どうも2つの勢力があって、そのうちの片方が俺をコントロールして何かをさせようとし、もう片方がそれを阻止しようとして動いている、そういう印象があったからだ。
コントロールと言うが、例えば道中にわざとらしく現れた人物が、俺と話している時に携帯電話でどこかに電話をかけ、指示をもらってそれを俺に伝えて・・・ということが何回もあった。また俺が街を歩いていると、道行く人々が「?」と気になる行為をすることがあって、例えば手をヒラヒラ振ったり、どこかを指差したりとか、そういうのに俺が釣られて動くと、気がついたら目的地に誘導されていたり、危険を避けて進むことができたりとか、そういうこともあった。
あの時期に、それ以前に家庭教師をしていた女の子の母親と話したら、こう言っていた。「いろいろな人がいて、いろいろなことを言う。けれどあなたは、何が正しいのか、自分で考えなくてはならない」。また俺のスペイン語の先生だったパラグアイ人女性は、電話で俺が「皆俺に何かをさせようとしていますよね?何をさせたいんですか?俺に何をさせるつもりなんですか?」と言うと、申し訳無さそうに「言えません・・・」とだけ言った。確かに、何者かが俺に何かをさせようと誘導していて、それを反対側の勢力が妨げていたのだ。
あの時期に俺がパラグアイとアルゼンチンで受けた「コントロール」というのは、つまり「◯◯だと思い込ませる」ことであり、言い換えれば「洗脳術」である。人に「AAはBBだろう」と思い込ませて、それによって行動をコントロールする。「CCはDDだから、EEをFFすればGGになるに違いない」と思い込ませて、都合のいい行動をとらせる(=コントロールする)技術だ。行動というのは思考によって決定されるから、思考をコントロールすれば行動を操れる。そういうのを洗脳術というわけだ。「何かを対象に思い込ませる」というのがその本筋である。
結局あの一連の出来事は、日本に帰国した別の日本語教師とメールで連絡を取り、最終的に日本大使館に行くことで終結した。その際大使館の領事は、俺が「今回の出来事って一体何だったんですか。未だによくわからないんですけど」と言うと、険しい顔で下を向きながら一言、「知らなくていい」と首を振るのみだった。
思い出すのは、最後の最後に日本に帰国する段階で街の中心部にスーツケースを買いに行った。その時に俺が荷物を上手く詰めなくて困っていると、なぜかユダヤ教のラビが現れて、傍の人に「彼を助けてあげて」と言い、去っていった、という「わざとらしい」出来事があった。もちろんユダヤ教のラビなんてその時に初めて見た。あれは何だったのか。
あの時期にも俺は(こことは別の)ブログを書いていたが、アクセス解析を見ると、その時期だけ北米やブラジルなどから毎日100人を超える閲覧者がいたり、明らかにおかしかった。俺のブログは日本語だったが、パラグアイ人の知人の一人は「翻訳している者がいる」と言っていた。
そして付け加えると、ローマ法王が辞任した2013年にはツイッターやフェイスブックを見ていると、なぜか数人がしばしば気になる書き込みをしたり、運営が恣意的に記事を並べ替えたりして、俺を再度「コントロール」する意図があったとしか思えないのだが・・・。真相は神のみぞ知る。

今回の俺の記事を読んで「妄想だ」と思いたい者は思えばいい。しかし再三言っているように、世界は不可思議で満ちていて、おまえが何でもわかるほど、世の中は単純ではない、のだ。

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