弧毒男

4月 132020
 

俺の人生って、親とか友人とか先生とか、そういう「周りの人」に何か影響を受けたことって、ぶっちゃけ一度もないと思う。
では何に影響を受けたか?と問われれば、それは「マンガ」、特に「ドラえもん」の影響が強かったと思う。
俺はドラえもんに関しては一家言持っている男で、単行本も全巻持っていたし、テレビアニメも毎週見てたし、映画も6作目まで映画館に通ったし、言っちゃなんだが「ドラえもん博士」を自負していたほどである。ガキの頃は藤子先生に憧れて自作のキャラをノートに描いていたこともあった。
藤子先生の作品の何が素晴らしいかというと、押し付けがましくないところだ。漫画を読んでいるとしばしば「作者のイデオロギー」が垣間見える作品というのがあり、それは雁屋哲の作品などではとても顕著だが、藤子先生の場合はそういうのがない。しかし読めば読むほど、その「言いたいこと」は強く伝わってくる、という不思議な作品を描くのだ。
ドラえもんがのび太に語るいろいろな事、人生訓のようなもの、そういうのは作品中にしばしば見られるが、どれも押し付けがましくない。しかし心には不思議と刺さる。そういう不思議なメッセージが、藤子先生の作品には込められている。
そういうものの中で、一番俺の心に残っているのはこれだ。

・・・戦争というものをたった1コマで結論づけてしまう藤子先生、俺はこのコマを見る度に、自分の未熟さと世間の人たちの愚かさをしみじみ思い知る。人類にとって最も災厄をもたらす行為である「戦争」を、藤子先生はわずか1コマであっさり結論づけている。これ以上の真実はないし、戦争というのはこれ以上でも以下でもない。
そして藤子先生の作品で最も素晴らしいのは、子供の友情というものを普遍的なテーマとして扱い続けたことだ。ドラえもんもオバQもハットリくんもパーマンも、みな「友情」というものをベースにして成り立っている作品である。
俺が子供の頃に読んで、思わず涙を流したコマがこれだ。

いつまでもいつまでも・・・。そう、ずうっと夢のような時間が続けばいいなと、子供は願うのだ・・・それが儚い夢だとしても。正ちゃんとQちゃんは、ずっと友達だ。俺はこのコマを見て、今のニート生活を思う時、オバQのテーマソングだった「大人になんてならないよ」という言葉を噛み締める。僕は大人になんてなりたくない。ずっとずっと、子供のままでいたい。そう願うのは、俺が大人になってもずっとドラえもんが来てくれることを待ち続けている、大きな子供のままだからなのだろうか。
人は誰しも大人になる。時は待ってはくれない。そう、人は年を取り、顔に皺を刻み、腰は曲がっていき、それでも僕はドラえもんとQちゃんを待ち続け、探し続ける。

レ・ミゼラブル、ああ無情。時は無情なり。永遠の子供など存在しない。いるとすれば、それは楽園の天使だろう。僕もあれから年を取り、手は汚れ、世の中の汚い部分をたくさん見てきた。それでも生はまだ続き、その先に茨があっても、険しい崖があっても、時は機械的に流れ行く。
「大人になんてならないよ」そうQちゃんは歌っていた。けれど僕は、大人になれなかった可哀想な子供なのだろうか。皆に置いていかれた、周回遅れの哀れな道化なのだろうか。ホワイトスネイクの「Here I go again」に「Like a drifter, I was born to walk alone.」と歌われているが、独りきりで歩き続けるのは寂しいし疲れる。
だから僕は待つ、誰かが現れるのを。それはかつて会った恋い焦がれるあの女性だろうか、それとも・・・。

4月 032020
 

今日は俺の誕生日。
また一つ歳を取ってしまった。

・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。

ああ・・・年月は無情だ・・・。いくら頼んでも待ってはくれないし、かと言って取り戻すこともできない・・・。ただ無情に機械的に流れ行く、それが年月。気がつけば俺も、あと少しでアラフィフに手が届きそうな年齢である。
これまでの人生を思うと、そして現在の境遇を思うと、涙がちょちょ切れてくる。一体どこでこうなったのか。一体どこでこうなったの、私の人生~♪とか歌にありそうだが何の歌だったか忘れた。名前も知らない切ない哀歌に刻まれていそうなこの言葉、今の俺には沁みてくる。
今の俺は惨めな子供部屋おじさん、そしてニート。何も失うものはないが、何も得ていない。ただ生きているだけの、ウンコ製造機。子供の頃に絶対なりたくなかったどうしようもないおじさんに、俺はなってしまった。かつての友人知人たちには会うことすらできないし、会いたくもない。両親にも申し訳なくて顔向けできない。
けど・・・これから俺の人生は良くなるのかな?今のコロナウイルス騒ぎを見て、「コロナウイルス楽しすぎるw 無職には最高の娯楽だわw」と心の底で思っているのが俺だ。こういう終末感が濃厚に漂うイベントって、長いこと起こらなかったし。9.11同時多発テロ以来じゃないか?これだけ世界中が喧々諤々になったのって。不謹慎ながら、もっともっと大変なことになってほしいと心の底で思っている。
このコロナウイルス騒ぎについて、神様が俺を哀れんで、俺をさんざんコケにしてきた世の中に天罰を下している、と俺は思っている。だからこれから世界の指導者とか重要人物とかが死んでいくのでは・・・と不謹慎ながら思っている。それくらいでないと俺のルサンチマンは解消できないし。俺を虐めたあいつらや、俺を冷遇したあいつらや、俺を苦しめたあいつら、みんなみんな死ね。神の天罰じゃ!!ワハハハ・・・と思い、溜飲を下げている。
けれどこういう文章を書いている時に決まって、テレビのAT-Xから啓示的な言葉が流れるんだよなあ・・・。今は「自分の人生は自分で切り開かないと!」と流れてきた。そりゃ切り開けるものなら切り開きたいが、俺の場合は・・・。だからコロナウイルスに期待してしまっても仕方ないと思う。人は小さく弱いのだ。何でもかんでも自分自身の力でどうにかできるほど、世の中は簡単ではない。
古代から様々な宗教が生まれてきたが、宗教を生み出す、というか神様を信じるようになる人の気持ちは痛いほどわかる。だって俺がそれそのものだし。もう何もできない信じられない状況になると、神様を信じるようになるのだ、人は。それくらい人というのは小さく弱いのである。だから俺が子供部屋おじさんなのも仕方がないのだ。
ちなみに「人」と「人間」の違いがわかるかな?この二つを使い分けているのが、取りも直さず「人間」だ。そして俺は「人」でありたい。人として、もうちょっとだけ幸せになりたい。幸せを求めて足掻くところに、人の尊さはあるのだから。

3月 192020
 

俺はずっと知らなかったが、2020年の3月20日に地球が滅びるという説があるそうだ。
こういうのはもうお馴染みで、1999年にはハルマゲドンの予言があったし、2012年にもマヤの暦が終わっているから滅亡説があったし、皆「またかよ」と思うだけで気にもしないだろうし、実際に話題になってもいない。
けれど重要なのは、この予言が「9年サイクル」に当たっているということだ。
9年サイクルというのは、以前俺のブログに書いたように、「印欧語族は9という周期で物事が更新されるという思想を持っている」というあれだ。2001年に9.11同時多発テロがあり、2010年にはジャスミン革命があってそれがシリアへの軍事介入直前まで繋がっていた。そして昨年が2019年で、年末に起こったコロナウイルスの騒ぎで現在世界中は喧々諤々である。「COVID-19」という正式名でもわかる通り、この病気は2019年に発生したものである。やはり9年ごとに、世界を揺るがす出来事は、確実に起こっている。
2020年3月20日に世界が滅びるという話は、そもそも2012年12月23日に世界滅亡という説があったが、この根拠になったマヤ文明の暦が閏年を考慮していなかったため、正確に計算し直すと2020年3月20日になる、というものだそうだ。そしてインドのコナーラクという場所にスーリヤ寺院というものがあり、1984年にユネスコの世界遺産に登録された寺院だそうだが、ここにある暦が2020年3月20日で終わっていて、マヤ文明の暦と同じ日を指しており、そのため「今度こそ世界滅亡では」と言われているのだそうだ。
まあこういうのはおそらく、いろ~んな日付がいろ~んな場所にあって、世界滅亡説というのはいくらでも出そうと思えば出せるんじゃないかと思う。いちいち気にしないほうがいいのかもしれない。けれど気になるのは、この日付がインドの「スーリヤ」寺院に見られるという点だ。スーリヤというのはインドでは「九耀」と呼ばれ、前述した「9のサイクルで世界が更新される」という思想のことである。その名前を関した寺院に世界滅亡の日付が書かれているというのは、今回の世界滅亡説がただの荒唐無稽な話ではないという気がしてくる。
2020年3月20日は春分の日で、俺は知らないが、おそらく占星術などでは特別な日付なのではないだろうか。古代のインドやマヤ文明は両者ともに独自に0を発見しており、その数学的・天文学的知識は非常に高度だったから、当然この日が春分の日であることも計算できたはずである。であればこの日に何かが起こることを占星学的に予測したのかもしれない。
この「占星学」だが、俺はほぼ全く知識がない。けれど世の中を動かしている人たちというのは、これに大変大きな関心を寄せているようで、例えば西暦2000年からはそれまでのうお座の時代から水瓶座の時代に変わったそうだが、その途端に9.11同時多発テロが起こった。ナチスという集団もオカルトに非常に傾倒していたというのは有名な話だし、我々一般人が笑い飛ばすようなオカルト的要素は、世界を動かしている人たちの間では非常に重要視されているはずである。
だから我々が存在を知る由もない何らかの組織、そういうのは「秘密結社」と呼べばいいのかもしれないが、そういう集団が、この2020年3月20日という日に何かを起こすとか、何かが起こるように仕組んだりとか、そういうことがあっても不思議ではない。ジャスミン革命がアラブ世界全体に飛び火してシリアまで広がるように扇動した者たちが、今回のコロナウイルス騒動を起こした可能性もある。そもそもコロナウイルスは中国の武漢から広まったが、武漢にウイルス研究所があることはよく知られている。だからそこから漏れ出したように見せかけたとか、実際にそこから漏らしたとか、そういう可能性だってあるだろう。コロナウイルスについて「新型ウイルスの遺伝子には自然界にない塩基配列の部分があり、自然にできたのでなく実験室で作られたものだろう」と述べる医師もいるくらいだ。
こういう所謂「陰謀論」に対して、大抵の人は考えすぎだとかバカバカしいとか言う。けれど世の中はそれほど単純ではなく、陰謀もあれば秘密結社もある。それはちゃんと勉強すればわかることだし、南米に行って俺も肌で少し知ったことである。我々大衆が何でもわかるほど、世の中は単純にできていない。
シヴァの女王の血を引く者がこの騒ぎを起こしたのか、それともナチスの残党が起こしたのか、それとも他の何某が起こしたのか、俺には知る由もない。けれどそういう輩が、明日2020年3月20日に何かを起こす可能性は、ゼロではないだろう。それは、彼らがスーリヤのサイクルに基づきその日を選んだから、かもしれない。9.11同時多発テロもシリアへの軍事介入問題も、実際に起ったのだから。
それとも、これらは全部俺の考えすぎで、みな自然発生した出来事なのだろうか?だったらそれを起こしてるのは神様だということになるが・・・。神様が怒って戦争や病気を起こしているのか?

3月 172020
 

世はSNS花盛りである。Facebook、Twitter、Instagram、Tik tokなどなど・・・。今は子供でも皆やっているだろうし、テレビ番組やラジオ番組もSNSと連動して放送してるし、すっかり当たり前のものとして認知されている感がある。
そんなSNSだが、俺も古くからやっている。2000年代にはmixiという日本製SNSが流行ってて、一時は猫も杓子もmixiという時代があった。それが2ちゃんねるのカスどもによって潰されてしまい、今は廃墟となっているmixiだが、今でも稼働しているコミュニティーが少しはあり、俺もたまに見ることがある。当時つるんでいたミク友は今はどうしているのか・・・。まあどうでもいいしもう関わりたくないけど。
南米にいた時は、MySpaceというのとOrkutというSNSをやっていた。そこで英語で日記を書いたり、少ない友達と交流したりしていた。けれど今やSNSは、FacebookとTwitterとInstagramが覇権を獲ってしまったようである。俺のかつての知人や現在の知人たちも、この3つのうちどれかはやっているようだ。だから俺もFacebookではリアルの知り合いと友達になり、Twitterでは好きな声優や絵師や有名人などをフォローしている。
これらの「使い分け」ができている人はなかなか賢いと思う。有名人であればSNSに書き込む内容も影響が大きいから、それを上手く利用すれば世の中に効果的に意見を発信できる。トランプ大統領なんかはTwitterを大変効果的に使い、自分の敵であるマスコミに情報操作されないように上手く自分の意見を発信している。
そもそもマスコミなんてのはクズで、俺の親戚にもいるのだが、あいつらは「自分たちのような、難しい入社試験を通った、選ばれた者だけが、情報を発信し、世論を動かす資格がある。頭の悪い大衆は、自分たちの意見など、発信できないほうがよい。我々のみが、情報を発信する資格がある、選ばれた人間なのだ」と考えている。だからあいつらはネットを毛嫌いしていて、SNS文化が発祥する前から、2ちゃんねるをダシにして、ネットを攻撃して偏見を植え付けようとしていた。
あいつらマスコミは、個人がホームページを作って情報発信したり、ブログを書いて意見を発信したり、掲示板に雑多な意見が書き込まれたり、そういう「自由な言論ができる世の中」を最も嫌っている。要するにファシストなのである。だからSNSに関しても、最初は偏見を植え付けようとしていた。けれどここまでSNSが世間で認められて広まってしまうと、今では番組と連動したりして擦り寄っている。なんとまあ節操のない連中なんだろうね。
こういうマスコミのクズどもに対抗するためにトランプ大統領なんかはSNSを効果的に使っているが、あいにく俺のSNSを読んでいる人間は数えるほどしかいまい。Twitterのフォロワーも一桁だし、Facebookの友達も一桁だ。だから俺のSNSに影響される人なんてのはほとんどおらず、だからこそ俺は好き勝手なことを書ける。
一度「福岡のブロガー刺殺事件の犯人の低能先生は大学の同級生で仲が良かった」とTwitterに書いたら、報道機関3つからメッセージが来て、相互フォローお願いしますと書かれていたが、こういうのを見ると、マスコミもSNSには少なからぬ関心を示しているようである。またAmazonで購入した製品の文句を書いたら、速攻でAmazonのサポートが「申し訳ありませんでした」と書き込んできた。
みんな一体どんだけTwitterをチェックしているんだと驚くことも多いが、mixiをやっていた10数年前にはSNSがここまで社会的影響力を持つようになるとは思わなかった。ちょくちょく炎上騒動で芸能人が謝罪することも増えたし、最近のコロナ騒動ではデマ騒ぎの発端になってたりする。かつてWEB2.0という言葉があったが、こういうものがそれなのかね・・・。
けどmixiの時代には厳禁とされていた感のあった「自分の画像を晒す」という行為も、今や皆が当たり前にやっているし、FacebookやInstagramなどはそれを前提にしたサービスだ。俺はかねがね、自分の写真すら公開できないネット世界に疑問を持っていたので、こういうことが可能になった現状は素直に良いものだと思う。バカな一部の2ちゃんねらーが今でもSNSの画像を拾ってきてスレッドに貼り付ける行為をしてたりするが、こういうバカもそのうちいなくなるだろう。ネット世界にアングラな要素は不可欠だとは思うが、透明性と公共性が普通になるのは、素直に良いことである。
IoTなんて言葉も生まれ、もはやインターネットは公共インフラである。こういう現状が来ることを見抜いていたからこそ、GAFAはこれだけ巨大になった。そして日本人は、見抜けないで偏見ばかり持っていたから、海外の後塵を拝している。もうその差は埋まらない。バカなマスコミと教養のないアホどもが、テクノロジーの進歩を素直に歓迎できないからこうなったのである。そういう傾向は消えることはない。日本人は「才能を潰す」ことにかけては超一流だからな。俺がこんな現状に甘んじていることがもうそれそのものだ。
生まれた国が悪かったと嘆きながら、今日もSNSに愚痴を書いている次第である。

3月 092020
 

俺はダメクリスチャンというかなんちゃってクリスチャンというか、あまり教会の礼拝に行かないクリスチャンの端くれだ。
そんな俺だが、かれこれ2年近く礼拝に出ていなかったけれど、昨年末からそれまでに行っていたのとは別の、自宅のすぐ近所の教会へ礼拝に行くようになった。
なぜ別の教会にしたのかというと、理由は簡単、「近いから」だ。それまでのところは自転車で駅前まで行かなければならないが、新しいところは歩いて5分の距離である。それに牧師さんも俺にちょっとした縁のある人なので、ものの試しに行ってみることにした。
礼拝というのはどこの教会も一緒のようで、その二つの教会は宗派が違うのだが、やっていることは同じだ。来ているのがジジババばかりというのも同じ。どっちも若い人は数えるほどしか来ていない。
それで約2年ぶりに礼拝に出たのだが、その甲斐はあったと思う。だからこれからはちょくちょくその教会の礼拝には出ようと思っている。
昨夜は初めて夜の礼拝に行ったのだが、5人くらい信徒が来ていた。土曜日の深夜はラジオを聴いているので日曜の朝に寝ていることが多い俺は、夜の礼拝というのはありがたい。夜礼拝をやっている教会というのは少ないと思うが、ここはその一つなので、今後は朝起きれない時は夜礼拝へ行けばいいな。
昨夜の礼拝の前に、信徒の一人と話したが、その人が言うには「私の人生を見てみれば、なぜ教会に通ってるのに救われないんだって感じですよ。本当にひどい人生です。けど自分で蒔いた種ですからね」と語っていた。その人がどれだけ大変な人生を送っているのか知る由もないし、俺の人生よりひどい人生ではないだろうなと思うが、やはり教会に来るような人というのは「救いを求めて」来る人が一定数いるようだ。信徒には先祖代々クリスチャンだったという人が多いと思うが、彼や俺のように救いを求めて来るようになる人もいる。このへんが仏教とキリスト教の違いである。
俺は礼拝への出席率はとても低い不敬虔なクリスチャンだが、神様を信じる気持ちは人一倍強い。最近の世の中の動きを見て、その思いをさらに強くした次第である。灯台下暗しというか、自宅の近所にこんな教会があることをつい最近まで知らなかった俺だが、今後はちょっとだけ心を入れ直して、礼拝へ行こうと思う。
あ、ダイエットしてあと6kg痩せたら、前の教会にも行くよ!痩せた姿を見せたいからね。

3月 022020
 

俺が初めてフライトシムをやったのは遠い昔、そう1992年のことだった。
当時PC-88を所有していた飛行機好きの俺は、そのしょぼいスペックでどうしても飛行機ゲームがやってみたくて、秋葉原の中古ゲーム屋で「SKYFOX」というゲームを買い、プレイしていた。当時のフライトゲーなんて推して知るべしというくらいのクオリティしかなかったので、内容はとてもショボかった。
そして時は流れ、2002年にDELLのPCを買い、それ以来フライトシムをいろいろとプレイしてきた。その中でもやはりマイクロソフトフライトシミュレーター(以下MSFS)は、定番というか何というか、「その時代を象徴するもの」だったと思う。その当時の最高水準のグラフィックを実装し、当時のPCでは最高設定ではカクカクになる・・・そういうのがMSFSだった。
そもそもマイクロソフトがフライトシミュレーターを作り続けてきたのは、ゲイツさんがやりたいからだった、と言われている。その真偽は定かではないが、時代ごとの技術・テクノロジーの象徴であるフライトシミュレーターを、ソフトウェア界の王様であるマイクロソフトが自社ブランドで作り続けてきたというのは、ある意味ソフトメーカーの矜持というものだろう。
マイクロソフトは確かに殿様商売だが、俺は嫌いではない。マイクロソフト製のPCゲームには良質なものが多く、ユーザーフレンドリーでどれも出来が良い。そんなマイクロソフトが自社の象徴としてこだわってきたMSFS、順調に進化を遂げてきた。
その進化の過程は、以下の動画で簡単に振り返ることが出来る。

そして2006年のフライトシミュレーターXで残念ながら途絶えていたMSFSだが、実に十数年ぶりに、今年新作が出ることになった。その名も「MSFS2020」!
現在ベータバージョン前のアルファバージョンが公開されているが、トレイラー動画やスクリーンショットを見るだけでもその凄さが伝わってくる。いやほんとに凄いぞこれは。正に実写の中を飛んでいるかのようなグラフィックで、しかも意外と軽いらしい。まだ細かいところは煮詰めている最中のようだが、これはこれまでのフライトシミュレーターを遥か後ろにおいていく革命的(少なくともグラフィックは)なフライトシミュレーターになりそうだ。

そんな俺のPCは、今だメインメモリ8GBにグラボGTX960の2GBという構成・・・。ちょっと前のゲームならサクサク動くし、こないだやったスターウォーズ・ジェダイフォールンオーダーも普通に動いたけど、流石にMSFS2020を動かすには役不足だろうね。せめて最低でもメモリは16GB、グラボは1660の6GBくらいないとキツイだろう。できればCore i7-9700にメモリ32GBにグラボRTX2060の新PCが欲しいのだが・・・。
ようやくいかがでしたかブログの呪縛から解放されたはいいものの、収入源がほぼなくなってしまった俺。PCパーツ代を捻り出すために貯金を切り崩さねばなるまい。果たしてMSFS2020がいつ出るのかまだ発表されていないが、今から期待でチンコが勃ちっぱなしだ。ああ、東京五輪は中止になりそうだし、COVID-19は大流行だし、良いことは続くな。

2月 252020
 

いや~先月にスマホを買ってからというもの、毎日ポチポチ弄って遊んでいる。とても便利なので、確かに皆が夢中になるのもわかるというのは以前書いた。
俺も飯を食ったら写真を撮ったり、Googleマップで店を調べて電話をかけたり、ゲームや音楽を楽しんだりと、便利に使っている。18年間ガラケーで頑張ってきたけど、もっと早く乗り換えておくべきだった。
せっかくなのでスクリーンショットを撮ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じで役に立ちそうなアプリをいろいろ入れている。
ついでにこないだデリバリーを頼んだハンバーガーや、昼飯に食ったバリカタ麺とんこつ味(ウインナー入り)も撮ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じでいろいろスマホを弄って楽しんでいる。そういえば、南米にいた時も、自分で飯を作る度に写真で撮影していたことを思い出す。冷凍ハンバーグを焼いたり、野菜炒めを作ったり、チャーハンを作ったりしては、デジカメで撮影していたものだ。懐かしいなあ・・・もう10年以上前になるのか。けどそれって、俺が10年以上成長していないということなのでは・・・(汗)。
せっかくスマホを買ったので、今日はメガネの度数を測りに市の中心部のメガネ屋の店舗に行ってみた。もちろんスマホを持って。Googleマップはすごく正確なので、これならいつか東京を徘徊する時に便利だろうなあと思った。暇な時間にはChMateで5ちゃんを見たり、ツムツムで遊んだり、外に出ても退屈しない。実にいいオモチャだ、スマホは。いつかどこかに旅行する機会でもあれば、イヤホンを挿して音楽を聴こう。そういう状況になるといいなあ。