弧毒男

7月 042020
 

俺はいわゆる「社会人」ではない。つまり、一般的な通念では、俺は社会の一員ではないとされている。
けれど俺は、この「社会」という考え方が大っ嫌いだ。何よ、「社会」って?仕事をしていない人間は社会の一員ではない?ふざけんな。社会ってのは落ちこぼれも無職も含めての概念だろうが。たかが仕事をしていないだけで、人間世界の一員ではないみたいな通念、こんなのはクソくらえだ。
例えば、インドという国がある。あの国にはカースト制度があって、非常に様々な職種に就いている者がいて、もちろん職に就けない者もいる。しかし皆、インドという国を構成する一員である。
もし「仕事に就いていない者は、社会の一員ではない」のなら、それはつまり「=一定の条件をみなしていない者は、社会の一員ではない」ということであり、であればそれは差別主義者の考え方だ。
インドには、糞の汲み取りしかやらせてもらえない者や、獣の屠殺しかやらせてもらえない者、ネズミを喰らっている者、両腕を切り落とされて乞食をさせられている者、そういう人間以下の生活をしている人間たちが大勢存在する。しかし全員、インドという社会を構成する一員である。そういう最底辺の人間も含めての「社会」である。もし「一定の条件をみなしていない者は、社会の一員ではない」のなら、インドのそういう人間たちはインドという社会の一員ではない、ということになる。しかし実際にはそんなことはない。
日本には、口先だけ「自由」とか「平等」という言葉を発する者に限って、こういうことがわかっておらず、差別主義的な考え方を持っている奴がいっぱいいる。俺の親戚にもそういう奴がいて、そいつは同和や在日のシンパなのだが、以前インドに行きたいとか言っていた。「インドには被差別部落の人たちみたいな人がたくさんいて~」とそいつは語っていたが、そいつは俺に対して、やれ「早く社会に戻りたければ」とか「早く『社会』に戻れるといいね」とか文章を送ってくる。
こういう奴は同和と在日みたいな差別主義者のクズどもにシンパシーを感じているので、本当の自由や平等というものがわかっていない。だからわざわざ、俺のような落伍者に対し「おまえは社会の一員ではない」ということを言ってくる。要するに、いくらインドに行きたいとか抜かしていても、インド社会のことを真剣に考えたことがないのである。
こいつのように「仕事をしていない人間は社会の一員ではない」という考え方であれば、それは「一定の条件をみなしていない者は、社会の一員ではない」という考え方と同義なので、それはつまり「=インドで糞の汲み取りをやっている人間は、人間ではない」と同じ考え方である。そう、こういうエセ平等主義者こそが、実際には真の差別主義者なのである。こういう奴がエスタブとして偉そうにしているから、日本は差別主義国家であり人権後進国家なのである。まあ死ぬまで治らないだろうが。
俺たちのような落伍者も含めての「社会」である。別に積極的に世間との関わりを断つ人間などいない。引きこもりにしても、落ちこぼれにしても、いろ~んな理由があってやっているのだ。好きでこんな生活になったわけではない。それは、インドでアウトカーストの人間たちが好きでそんな生活をしているわけではないのと同じである。何が「社会」か。だから俺は、働いていれば社会の一員だ、働いていない奴はそうではない、という考え方が死ぬほど嫌いだ。まあ日本人はろくに自問自答もしないバカが多いし、右に習えの国民性だから、俺がこんなことを言っても一笑に付されるだろうがね。

6月 302020
 

雨が降っている。しとしとと。すっかり梅雨になり、空は曇天が覆い尽くしている。
こういう日は外に出ずとも引け目を感じないで済むので、引きこもりにはありがたい。湿気が高いのでクーラーを点け、部屋に引きこもってネット&音楽三昧。
最近Steamのセールだったので、2本ゲームを買った。それはいいのだが、FPSの方はとにかく酔う。最近のゲームは酔わなくなったと思ったが、これは酷い酔い方だ。1時間やっただけで頭痛がしてくる。これはクリアするまで時間がかかりそうだな・・・。
齢40も半ばになると、性欲が徐々に減退してきたのか、オ○ニーの回数が減ってきたような気がする。毎年季節の変わり目には性欲が減退するのだが、最近は暑くなってしばらく経ってもまだ性欲が回復しない。ダイエットが成功したらご褒美にヘルスかソープに行こうと思っていたのだが、このままでは風俗にも行けないままで打ち止めになってしまいそうだ・・・。
そんな暗い話題ばかりではなく、明るい話題といえば、ようやく歯医者が終わりそうだということ。一昨年の暮れからず~っと通っているが、もうそろそろ終わりそうだ。
歯医者は終わるからいいとして、カラダの方が大丈夫なのか、そっちも気になる。俺は無職ゆえ健康診断を受けておらず、自分では健康なつもりでも、検査をしてみたら異常があちこちに出そうな気がして正直怖い。現在自覚のある異常といえば、せいぜい肋間神経痛と腰痛くらいで、これはまあいい。心配なのは糖尿病や脳梗塞にならないか、ということだ。うちは糖尿の家系なので、ピザっている俺は油断すると発症しそうだ。
実は数年前に糖尿病になりかけたのだが、その後摂生したので症状は回復していた。一応今年の始めに「自宅でできる糖尿病検査キット」というのを使って検査したところ「まだ大丈夫」と出たので一安心したが、いい加減ダイエットを達成できないと、本当に糖尿病になりそうで怖い。
そういうわけで今年こそ95kgまで痩せなければ・・・!そして風俗へ行こう!今年も早くも半分過ぎてしまったが、まだ諦めないよ俺は。

6月 052020
 

はあああぁぁぁ・・・。いかがでしたかブログの内職が終わり、何もしていない今日この頃。さすがに何もしていないのはマズいし、そもそも暇で仕方がないので、また何か内職を見つけねばならないと思っている。
しかし正直、いかがでしたかブログの記事を書くのはもう嫌だ。書きながらずーっと「こんなことやりたくねぇ」と思いながら仕事してたし、大体どれだけ文章を書いても文章力が向上したとも思えないし、何かスキルや知識が身についたとも思えない。ホントあの1年数カ月は何だったんだろう・・・と往時を振り返る俺だ。まあカーチャソに少しだけ渡せるのは良かったけど、それだけだったな、ホントに。
数年前から本をたくさん読んでるから、自分で小説でも書いてみようかとも思うけど、書きたいネタがない。俺はブログでくだらないことをツラツラ書き連ねるのは出来ても、創造性や発想力にはとんと乏しい。「小説家になろう」でちょっとだけ書いてみた小説もどきもずっと筆が止まってるし・・・。嗚呼、俺はなぜもっとクリエイティビティに富んだ人間に生まれてこなかったのか、こればっかりは神様に文句を言っても仕方がないので、諦めるしかない。
というか、どんなにすごい作家でも、俺くらいの年齢になると傑作というのは書けていないような気がする。やはり作家が傑作を書ける年齢というのは、せいぜい30代までではないだろうか。かの筒井康隆でも40歳になる頃には駄作しか書けていなかったし、40代半ばのほぼ初老男が今から創作活動をしてもろくなものは書けないのではなかろうか。
思えば10年ちょっと前、30代前半だった俺は、このブログの上部から読める古代史関連の文章を書いていた。今ではあんな情熱もないし、同じ文章を書けと言われてももう書けないような気がするが、今にして思えば、30代であれだけの内容を書けたのはちょっとしたもんだったと思う。あの時点で勉強をもっとして、歴史に関する知識を深めれば、今頃大したものになれていたかもしれないのに・・・。全ては社会が、世の中が悪いのだ。
こうして俺は更なるルサンチマンに陥る。
でも考えようによっては、20代の頃から傑作を残している作家は40代で才能が枯渇しているのかもしれないし、それなら俺はまだ何もしていない状態なので、才能は枯れようがなく今からでも何か書けるかもしれない・・・!よね。
何となく定期的にやってくる「作家になりたい病」がまた再燃しただけのような気もするが、また小説を書いてみようかな。適当にラノベを探して読んでみると、すごくくだらない内容のものも少なくないし、そんな風に「一冊だけでも本を出す」ことを目標にしてみるのも良いかもしれないな。それは俺が「生きた証」になるんだし。
散々俺をコケにした高校や大学の連中だって、作家になった奴なんていないし、本を出した奴なんていないのだ。それを考えれば、もし俺が一冊だけでも本を出したら、俺の勝ちみたいなものだ。
おお、何となくやる気が出てきたぞ。とりあえずしばらく頭を冷やして、ちょっとストーリーを考えてみよう。人生之万事塞翁が馬。

5月 232020
 

俺は大学でインドのことを専攻していて、その関心は常に「日猶同祖論」がベースにあった。それで今でもたまにそれ関係の本を読むこともあるんだけど、なんか昔より質が低下しているような気がする。
俺が本を探すのはアマゾンで、本屋にはもう長いこと行っていない。それでアマゾンで「日猶同祖論」で検索して出てきた本をざっと眺めてみたんだけど、なんかすごく質の低いものばかりのような気がする。
20年くらい前からか、世間では「トンデモ」なんて言葉が市民権を得て、やれこういうのはオカルトに毒されたトンデモだとか、こういうのは根拠薄弱なトンデモだとか言われるものが増えた。こういうのには気をつけねばならず、この「トンデモ」という単語を使う者は、「=自分の理解の範疇を超えているものは全て嘘」「=学校で習うこと以外は全て嘘」みたいな安直な思考に嵌まり込んでいて、逆に真実を見る機会を自分で奪っている。そもそも「トンデモ」という単語を作った者自身が、そういういわば突飛な論に関する反論のための根拠を持っていない。ただ単に「自分が信じることができないから、トンデモなのだ」という論拠で、単にレッテル貼りをしているだけだ。要するに為政者にとって都合の悪い議論を封殺するための道具に過ぎない。この「トンデモ」という単語を使う者がいたら、2種類の意味で気をつけたほうがいい。一つは「言論封殺をしている手先」であり、もう一つは「思慮の足りないバカ」だ。世の中の真理はおまえが思っているほど単純ではなく、世の中はおまえが思っているほど単純ではない。
話が脱線したが、俺は日猶同祖論の本を昔はよく読んでいて、その中にはもちろん胡散臭いものもたくさんあった。と言うより、正確に言うと、ネタ元がどこかにあって、他の本はその焼き直しみたいな感じが多かった。だから本当に役に立つ本を見つけるのには苦労したし、また日猶同祖論とは直接関係のない本からヒントを得られることもあった。
最近はああいう話題の舞台はネットに移ったようで、下手に本を探して読むよりネットを検索した方が情報が多かったりする。けれど大抵のサイトは、やはりネタ元がどこかにあって、それをコピーしただけのようなものが多いようだ。ではそのネタ元とは?というと、やはり八切止夫や鹿島昇のような人たちの本のようだ。つまりそういう人たちの本を少なからず読んだ俺にとっては、もはや焼き直しを読んでいるのと同じことで、あまり新しい発見はない。新しい説を語った情報源がないのも、「トンデモ」という単語が市民権を得た弊害なのかもしれない。
それとは関係なしに、最近YouTubeでオカルト関係(に分類される)動画を頻繁に見ているのだが、そういうのを見ても、やはり新しい発見はない。要するに、もうネタが出尽くしたということか。であればそれは、既存の情報ではそれ以上のことはわからないということである。日猶同祖論については、もうこれ以上議論する余地はなく、何も新しいことはわからないということだろうか。
では海外はどうなのかというと、かのグラハム・ハンコックが今でも新著を出していたり、そういう関係の議論は今だ続いているようだ。生憎俺は英語が苦手なので海外のサイトを読むことはないが、日本に限った話、ネット時代になってそういう議論も深化するかと思ったら逆に尻すぼみになるというのはどういうわけなのだろう。やはり「トンデモ」という単語が市民権を得て浸透したことが決定的だったのか、それともネット如きでは深い議論ができないと好事家たちが愛想を尽かしてしまったのか。20年近く前の2ちゃんねるは、もう少しマシな議論ができていたように思うけどね・・・。

5月 072020
 

「どのように死ぬか」。・・・これは俺にとって、今でもふと考えるテーマである。
齢40代も後半に差し掛かり、もしかしたら突然ポックリ逝く可能性が無きにしもあらずという年令になった俺だが、どのようにして死ぬかというのは、いつでも頭の片隅に置いてある、「考えたくないが考えざるを得ない」事柄である。
俺が初めて自分の死に方について考えたのは、大学時代だったか、テレビで海外ドラマを見ていた時である。そのドラマは、アラブのハイジャック犯が飛行機を乗っ取って、乗客を次々に射殺するという内容だった。その中で、ある老婆がハイジャック犯に射殺されるのだが、ピストルを頭に押し当てられて頭を撃ち抜かれて射殺されていた。
その際に、その老婆が「こんな死に方嫌ぁー!!」と叫んで撃ち殺されていたのだが、それを見て俺は、「死に方」について考えるようになった。
生まれてきて子供の頃は両親と幸せな生活を送り、青春時代に男性と知り合って結婚し、子供を産み彼らが成長して、やがて孫に恵まれ、幸せな人生を送っていたのではないだろうか、あの老婆は。そんな普通の幸せな人生を送っていたのに、死ぬ時は飛行機でハイジャック犯に頭を撃ち抜かれて死ぬ・・・。確かに「こんな死に方嫌」だと叫びたくなるだろう。
同じく死に方についてテーマにした作品として、筒井康隆の「死にかた」という短編がある。これはある時突然職場に鬼が現れて、鉄の棍棒で社員を次々に撲殺し、全員殺された後主人公が殺される場面になり、必死に命乞いをする。すると鬼が笑い出し、「ハハハ、当たり前の命乞いをしたのはおまえが初めてだ」と言うので、主人公が「じゃあ殺さないでくれるのですか」と訊くと、鬼は「いや、やっぱり殺すのだ」と棍棒を振るい、主人公を撲殺する、という内容である。これは筒井康隆らしくシュールなブラック短編で、後に相原コージが漫画化していた。
死に方というのを考えると、俺は今までいろいろあっても一応普通の人生を送ってきて、最後にどうなるか、ということである。交通事故で突然死ぬか、病気で苦痛にのたうち回って死ぬか、急病でポックリ死ぬか、コロナや大地震でいきなり死ぬか、エトセトラetc。人がどうやって死ぬかは誰にもわからない。だから精一杯生きねばならない、という論に繋がる。
人は必ず死ぬ運命だが、死ぬために生まれてくるのではない。生きるために生まれてくる。だからその生では、生きることだけ考えていればいい。
俺は小学校の頃、核戦争の恐怖に怯えていたことがあり、いつ核戦争が起こって死ぬか、ということばかり考えていたことがある。ある日親父にその事を話したら、親父は「そんなことばっか考えてても仕方ないんだよ。それよりも・・・」と言い、その先は聞き取れなかった。果たして親父は何と言おうとしていたのか、今ならわかる気がするが、ここには書かない。
「銃夢」というマンガの中に、メリーゴーランドの上で走る生きた馬が、そこから逃れ、そのまま数歩だけ歩いて死ぬ、という場面があった。そこでメリーゴーランドを作ったノヴァ博士が「バカな馬です。メリーゴーランドの上を走っていれば死なずに済んだものを」と言うと、息子のケイオスが「僕はそうは思わない。あの馬は最後の数歩を好きなように歩いて死んだのだ」と言う。ここに「自由」という概念の如何を見ることができると考えるのは、俺が籠に囚われた鳥のような思いを抱いているからだろうか。
どのように死ぬか、というのは重要だ。もし死ぬ時に、満足して死ぬことができたなら、その人生は良い人生だったと言えるだろう。どんな苦難の人生であっても、たとえ長い間牢に閉じ込められていた人生であっても、死ぬ時に足の鎖が外されて愛する人に囲まれて死ねたなら、その人生は勝利だったと言えるだろう。ネルソン・マンデラは人生に勝ったし、ジャン・バルジャンは人生の勝者だ。
教会の友人が言っていたことだが、「あなたが生まれてきた時、あなたは泣いていたけど周りの皆は笑っていたでしょう。だから死ぬ時は、みんなが泣いていてもあなたは笑っていられるような、そんな人生を送りなさい」。果たして俺はそんな人生を送っているだろうか。
人は生きるために生まれてくる。だから生きることだけ考えていればいい。どんな死に方をするか、それは誰にもわからないし、神にもわからない。人生がどうなるかなんて誰にもわからない。最後の数歩を自由に歩く馬になるか、鎖を引きずったまま繋がれた囚人として終わるか、それは自分次第だろう。
籠に囚われた鳥は、いつか羽ばたく。

5月 052020
 

今ちょっと確認してみたら、このブログのコメントが全く見れなくなってる。記事タイトルをクリックしても、タイトル横の「~コメント」ってとこをクリックしても、コメントが表示されない。
ちょっと調べてみたけど原因がわからない。設定は一切弄っていないので、Wordpress側の不具合らしい。
そもそもこのWordpressはバージョンが低く、なぜ低いかといえばバージョンアップできないからで、なぜできないかといえばサーバーのPHPのバージョンが古いからなのだ。
以前サーバーの会社にメールをして、「PHPのバージョンを上げてくれ」と頼んだけど、のらりくらりとかわされてしまった。そのサーバーの会社はハッスルサーバーというところだが、ここは値段が安い。そのせいかサポートもあまりやる気がない。
今回の件でメールを送ってみても、多分適当に言い訳を言って放置だろう。ああ、こんなことなら以前のさくらのレンタルサーバーのままにしておけばよかった。
そんなわけで今の状態ではコメントが表示されないし、コメントもできないと思いますが、数少ない読者の皆さんゴメンナサイね。

(追記)
いろいろ設定を確認したところ、どうやら原因はパーマリンク(ブログの記事のURL)だったようです。
今までは投稿した秒数まで表示されるパーマリンクでしたが、ここをデフォルトに戻してみたら、コメントが普通に表示されるようになりました。
過去記事にリンクを張ってくれた方は申し訳ありませんが、新URLに変更してくれるとありがたいです。
どうもお騒がせしました。

参考までに。
WordPressでコメント欄やmore(追記)が表示されない件

4月 252020
 

もはや毎日のニュースはコロナのことばかり、皆の頭にあるのもコロナコロナというご時世になってしまった。
正直このウイルスの本質は俺にはよくわからない。ネットの情報を見ていると、最初は「タバコを吸っている人は致死率が高い」と言われていたのに、今は「タバコを吸っていると致死率が低くなる」と言われていたり、そもそも暑い国でも流行っているから夏になっても沈静化しないという話だったが、今では「感染のピークは過ぎた」と言われたり・・・。正直何が本当なのかわからない。
現在は外出自粛がアナウンスされているので皆「stay at home」を合言葉に家にいるようだが、俺は元々引きこもりなので別段変わったところはない。ただ教会の礼拝に今後はちょくちょく行こうと思っていたので、行けなくなったのは少し残念だが。
毎日のように更新されていて楽しみにしていたブログも最近は管理人が歯痛だとかでお休み中だし、読みたい本もあらかた読んでしまったし、PCゲームもクリアしてしまったし、いかがでしたかブログも今は書いてないし、正直毎日暇だ。加えてテレビはいつ点けてもコロナコロナ。正直飽きる。
あとはオリンピックが中止になってくれれば俺の願いは叶うのだが、これはもう確定だろう。こんだけ世の中滅茶苦茶なのにオリンピックどころではない。コロナの治療薬やワクチンを開発するまでに1年以上かかるそうだから、オリンピックは間違いなく中止だ。ああ清々する、ざまあみろ。
とりあえず最近の心配事は、コロナの影響でアニメが次々に放送延期になっていることだ。今はかぐや様の二期が楽しみだが、これも最後まで放送できるかどうか。邪神ちゃんドロップキックはAmazonで二期を早々と全話見てしまったので、あとはネットで評判の良かったはたらく魔王さま!を見てみようと思っている。
これじゃあMSFS2020も発売は遅くなるかも知れないな。ちょっと残念だが、代わりにSTEAMでFSX:Steam Editionを買ってしまった。最近はPCゲームも飽きてしまい、面白いゲームを探すのに一苦労だが、15年も前だったらMMOが賑わっていたのになあ。俺はMMOはあまりやらないままでブームが過ぎてしまったのだが、こんなご時世だからこそMMOに人が集まってもいいのではないだろうか。リネージュ1みたいな古風なゲームがまた流行らないものか。