弧毒男

4月 092017
 

これまでの人生で思ったことだが、人は味方がついてると強気になる。
俺は知っているが、この日本の人間は、大多数が、何らかの味方をつけている。俺自身はそういうことはない。ただの一個人として、独立した人格を形成し、ただの一般市民として生きている。しかし日本人の大多数はそうではない。ほとんどの者が、早い話が何らかのバックを付けている。
それは俺が通っている教会の人間も同様だ。何の罪も無いような顔をしているくせに、裏では何らかのバックを付けている。だから日本人は信用出来ない。
そしてどいつもこいつも、バックが付いているので、根拠の無い自身を持ち、妙に強気である。しかし一人でいるところを狙って喧嘩を売りに行くと、皆反撃すらしてこない。完全に腰抜けである。そのくせ普段は、仲間がついていると思い、妙に強気である。本当にバカ丸出しだ。
もし俺が、あの世の審判官になったとしたら、こういう「秘密警察」の構成員は、全員一人残らず地獄へ落とす。たとえ現世でどんな善行を積もうが、家族を作って暮らしていようが、こういう普通でない者は、全員残らず地獄へ落とす。楽園に入る条件は、現世で俺と同じようにどこにも変なコネクションに属さず、正常な一般市民として生きてきた者だけである。そしてこの日本という国に、そういう「普通の人」がどんなに少ないことだろう!結局この国は、ずっと前から監視社会であり、大半の人間はそのネットワークに組み込まれて、異常なことを異常とも思わず、のほほ~んと善人面して暮らしているのだ。
俺は何時の日か誰かと恋に落ち結婚したいと思い続けているが、日本人は信用出来ない。もうこれまでの人生で、嫌というほどそれは理解した。とにかく日本人は信用出来ないのだ。たとえ教会に通って善人面している奴であっても。
あの世の審判官は、インドなら「ヤマ」だ。つまり閻魔である。俺は本名もヤマなのだが、あの世に行って審判を司る者になりたいと、真剣に思う。個人的な恨みを晴らすとかいうのではない。秘密警察の一員なんてのがどれだけ異常な存在なのか、考えてもわからないであろうバカな日本民族に、正義の鉄槌を喰らわしたいのだ。

3月 292017
 

あー前回の更新からもう2ヶ月以上経ってるのか。なぜこのブログの更新頻度がこんなに遅いかといえば、単に毎日の日常があまりにも平坦で、話題性に乏しいからである。
この2ヶ月は、読書・映画・ゲームの3本柱だった。PCゲームで「Divinity:Original Sin」とゆー最高に面白いRPGがあったので、寝る間も惜しんでやっていた。あとは映画を数十本見て、本を毎日読んでいた。
今は所謂「雌伏の時」だと思う。後々自分で小説を書くのに、役立つと思うことをやっている。映画だって読書だってその為のものだし、ゲームだってある意味そうだ。後になって何が役に立つかなんて、誰にもわからないのだ。
ここ数ヶ月で本をいろいろ読んで、自分の嗜好もわかりかけてきた。俺はどうやらSFが好きらしい。海外作家のSFには、面白いものがある。日本作家のSFにもある。反して一番嫌いなのは、なんちゃってファンタジー。日本の特にライトノベルには、どうっしようもないなんちゃってファンタジーが大量にあるが、俺はああいうのが一番嫌いだ。俺はミステリーとかよりも、SFを好む傾向があるというのを、最近になってようやくわかった、というか知った。
そういうわけで、将来立派なSF小説を書くためにも、SFを読んでみようと思い、ついさっきアマゾンでまた3冊注文してしまった。いやーしかし今はいいねえ、古本屋で買うのと同じ値段で、家にいながらネットで注文できる。思うに俺は、ネットを正しく利用する術に長けていると思う。映画もアマゾンビデオでいろいろ見てるし、俺の年代が正にネット進化とジャストミートで一致してるわけだが、「ある意味」いい時代に生まれたといえるかもしれない。
さてさて、そんなわけなので、新しい本が届くまでの間に、高校時代に読んで感動した「ソロモンの指環」をもう一度読もう。これはいい本だからみんなもオススメだよ。ローレンツ先生の動物に対する愛に溢れた名著!

1月 202017
 

最近、映画を毎日のように見て、マンガをたくさん読んで、小説も読んでいる。
前回、また性懲りもなく「作家になる」と宣言してしまったので、その為にも心を豊かにする必要があると思い、上記の行動を取っている。
俺はもう42歳だが・・・、本来ならこういうことは、学生時代にやっておかねばならないことだったと思う。もちろん俺だって、大学生の時には頻繁に映画も見てたし、本も無理してたくさん読んでた。けれど小説はあまり読まなかった。もっぱら勉強に関連のある参考書籍や、あとは寺山修司のエッセイなどを頻繁に読んでいた。
俺は文章を書くのは得意だし、好きだ。けれど「小説」を書くのには、あまりにもストーリーテラーとしての才能に欠けていると思う。それは俺が、若い頃からあまり物語・小説を読まなかったからだと思う。だからこそ最近は小説も読んで、自分で小説を書くための勉強にしている。
本来なら20年早くこういうことはしておくべきだったのだ・・・。けれど俺は往々にして、普通の人より成長が遅い面があると思う。社会常識や精神年齢に関して、普通の人より10年は遅れているなあと思うことが往々にしてある。だから俺が小説を読みはじめて、例えそれが20年遅れているとしても、ある意味俺らしいなあと思う。
人生は一度きり。ある人は「何かを始めるのに遅すぎるということはない」と言った。そう、俺が40歳を超えて文学に目覚めたのも、決して遅すぎるということではないかもしれない、のだ。むしろ他の面では、俺は早熟だったし。普通の人とは逆なのだ。
大作家だって40を過ぎてペンを取り始めた人もいるし、俺だってやれば出来るはずである。もうすぐ43歳になるが、俺が文学賞を獲るのが早いか、病気でくたばるのが早いか、運命と競争だ。なんてったって「人生は一度きり」なのだから。

1月 072017
 

どうも俺は、生きる時間に比例して不幸になっていっている、そんな気がする。
俺は今まで、自分の幸福よりも、他人の幸福を願っていたような気がする。自分のことはどうでもいいから他人に幸せになってほしい、そう思って生きてきた気がする。
けれどそういうのはもう止めだ。これからは、自分の幸せを願って生きることにする。他人がどれだけ不幸になっても、自分さえ幸せであればそれでいい。そう思って生きることにする。
これまで他人の幸せを願っていたというが、それは家族だったり、親戚だったり、そういう人たちが幸せならそれでいいと思っていた、ということだ。もちろんその思いは今でも変わらないし、これからも変わらない。だけど肝心の自分自身が不幸なら、何にもならないではないか。
俺が嫌いな言葉に「他人の不幸は蜜の味」というのがある。俺はこの言葉が大っ嫌いだ。俺は、他人が不幸なら、一緒になって悲しむ。他人の不幸を可哀想だと思う。けれどそういう甘っちょろい考えだから、自分自身が不幸なのを放置してきた。だけど「他人の不幸は蜜の味」だなんて思うことは出来ない。こういう俺の優しさにつけ込んで、不幸は俺に纏わりついてくる。
もういい。他人の幸せを願うのは止めだ。これからは、自分の幸せだけを考えて生きよう。自分さえ良ければそれでいいのだ。
世界が滅びますように・・・。

12月 102016
 

俺は昔から、子供の頃から、空を見るのが好きだった。青い空。その空は、あれから長い年月が経っても、変わらず頭上にあり、今でも青いままだ。
しかしいつからだろう。俺は空を見ても、昔のように青いとは思えなくなっている。青い空、それは確かに青いんだけれど、昔のようには俺の心を掴まえてはくれない。空を見ても、何か押しつぶそうとする天井のようなものを感じて、俺は素直に空が青いとは思えなくなっている。
俺は不幸だと思うし、事実そうだ。そうだと言ってくれる人もいる。その不幸が、空の青さを減じさせているのだろうか。だったら、俺はいつ幸せになって、その青さを再び素直に感じれるようになるのだろうか。
「逆境を撥ね退ける」--俺はもう長いこと、これを強いられている。学生時代から、俺を取り巻く世界はその姿を変え、俺に襲い掛かってくるような顔を見せる。大学を卒業する時、2013年に世界を変えた時、他にもあったかもしれないが、俺は逆境を撥ね退けてきた。そして今も、俺は逆境にある。それは、空を見ても青いと思えなくなっている現状、それが逆境それそのものだ。
俺は生まれてきて、皆と同じように生きている。けれど生まれてきたからには、生きているからには、その証を残したい。たとえ俺がかつて世界を変えたとしても、それを知る者は、いないように思える。だから明らかな形で、この世に自分が生きた証を残したい。
それと俺には年老いた両親がいる。彼らに恩返しするためにも、自分が生きた証をこの世に残したい。彼らは知らないだろうが、俺は両親に物凄く感謝していて、こんな高齢無職のダメ男にも愛情を持って接してくれる、そんな彼らに涙が出そうなほど感謝しているのだ。
だから俺は、もう一度小説を書いてみようと思う。生きた証、それになると思うからだ。また、俺が認められれば、両親に恩返しをすることにも繋がる。そう、俺にはもう、作家になるしか残された道は無いのである。だからやってみよう、その時に空を見て、綺麗な青空だと思うことが出来るためにも。

10月 252016
 

ノーベル賞をボブ・ディランが受賞したことが話題になっているが、俺はずっと長いこと、「死ぬまでにノーベル賞を獲る!」と思っていた。俺の専門は古代史で、大学では哲学科だったのだが、そういう分野で受賞することがあり得ないとわかるまで、ずっとノーベル賞を獲るんだと心に決めていた。
3年前、俺が叔父にメールを書いてその結果世界が変わった時、俺は思った。「ああ、どんなに頑張っても、賞とかを受けることは無いんだな」と。俺のお陰でアルカイダの親玉がイエメンだとわかっても、イラン問題が進展しても、天皇が死んだら火葬にすると発表しても、いろいろあったが、結局何らかのプライズを受けることは無いのだ。そこに気づくまで長いことかかった。
俺は確かにでかいことをやった。けれど世の中というのは、功績が正当に評価されないことの方が多いのだ。ノーベル賞にしても、功績に比例して正当に受賞してるとはいい難いし。俺のような「名も無き無名戦士」はいっぱいいて、でかいことをやっても皆に知られずそのまま消えていく者はいっぱいいるのだろうね。果たしてこの世の中で、俺がどれだけのことをしたか、その功績について知る者がどれだけいるのだろう?
「事実が大事」である。俺のやったことは確かに皆の知る所ではない。けれど俺が天才だということは、事実として、ある。俺は自分が天才であることを、事実として、歴史に刻んだ。歴史は知っている、俺が天才だという事実を。エジソンのように他人の発明を盗んで名声を高めても意味はない。テスラのように冷遇されても自分が天才だと名を残す方が、よっぽど価値がある。
歴史は知っている、俺が天才だと。そこに気づいてから、ノーベル賞を欲しいなどとは思わなくなった。仮に俺のやったことが何処かで評価されて、何らかのプライズを受けるようなことになったとしても、俺は辞退するだろう。サルトルだってそうだった。事実が大事なのである。俺は天才である、それでいいではないか。
世の中が今こうしてある、そこには、少なからず俺の功績がある。たとえ誰も知らなくても。

9月 152016
 

今でも忘れられないが、俺が大学を卒業して実家に戻ってきた直後、ネットゲームをやっていたのだが、そこでユーザー名とかパスワードを設定したことがあった。俺はみな適当に決め、傍にあったメモ用紙にそれぞれ書き留めていた。
そして書いたメモ用紙を見ると、以下のように書いてあった。

serpentkiller
heaven
none

俺は震え上がった。
一体自分は何を書いているんだと、狼狽して、メモ用紙を細かく破って丸めて捨てた。
・・・以前も書いたが、神は大自然の中に居ると思う。そして同時に、悪魔も確かに存在するのだ。俺は何気なくユーザー名やパスワードをメモっただけだったが、そういう何気ない行動の中に、悪魔は存在する、確かに。俺が不幸な人生を送っているのは、悪魔に魅入られているからではないかと、その時以来ずっと思っている。
とはいえ、これまでの人生でいろんな失敗を繰り返してきたが、致命的な失敗というのは、無い。絶体絶命の状況になったこともあるが、気が付くと何事も無く日常生活が送れている。これは俺が、強運の持ち主だからなのか、それとも世界一運が悪いからなのか、どっちなのか、自分でもわからない。いつか俺が現状の不幸を脱し、平和な人生になった時、今の状況を振り返ってどう思うか、幸運だったと思うのか、不幸の連続だったと思うのか、まだわからない。しかしただ一つだけ言えるのは、神は居て、俺を守ってくれている、大自然の中に居る神が、俺を守ってくれていることは、おそらく確かだと、それだけだ。その思いがあるから、俺は教会へ行っているのだ。