弧毒男

10月 262019
 

俺の読んでいるブログの主が、アフィリエイトを貼って小銭を稼いでいるという。
そういう「ネットで小銭を稼ぐ」というのは、一昔前にはずいぶんもてはやされた話題で、俺も興味があった。事実、俺も昔運営していたホームページには、アフィリエイトの広告を貼っていたものである。
しかし今や、そういうので稼ぐのはまず不可能だということを皆がわかってしまったので、そういう話題に騙される奴はさすがにもういなくなったのではないだろうか。
そのブログ主も、最初は頻繁に日記を更新してPV稼ぎに四苦八苦していたようだが、最近は更新頻度もめっきり減ってしまったので、多分ネットで金を稼ぐなんてことはまず無理だということがわかったのだと思われる。
俺のホームページはかれこれ15年前に作って昨年までずーっと公開していたのだが、内容は「PCゲームの紹介・音楽CDの紹介・エッセイ・自作小説・歴史の考察・ブログ・掲示板」と、なかなか盛り沢山だった。作って数年後にはSSHが使えるサーバを借りて独自ドメインを取り、CGIなども使っていた。NAMAZUのサイト内検索も設置していた。なんというか、ああいう「古き良きホームページ文化」の時代は終わってしまったと思ったので、消してしまったが。
けどYahoo!カテゴリにも登録されてたし、ゲームの名前でググると全てのページ中の一番上に検索結果が出たり、ユニークアクセスで50000人以上来たから、割と良いホームページだったと思う。
思い出されるのは、南米にいた頃、ある零細SEO企業からメールが来て、「広告を載せてくれたら謝礼を払います」と言ってきたことだ。これは確か一ヶ月で1500円だか3000円だかの稼ぎになったんだったかな。認められた気分がして、結構嬉しかったな。その他アマゾンのアフィリエイトも貼ってて、合計で月に数千円の収入があった時期もある。結局「個人ホームページで広告を貼るのは邪道だ」とかわけのわからん強迫観念が出てきて、全部剥がしてしまったが。
当時のホームページのパーツは今でも全部とってあるが、素材は全てフリーソフトで作った。ン万円もするフォトショとかを使えばすぐに出来ることを、複数のフリーソフトで工夫して組み合わせて使い、いろんな素材を作ったのが懐かしい。
せっかくだから、当時の俺のホームページのバナーを参考までに貼ってみる。当時から飛行機とフライトシムが好きだった俺の、情熱の欠片である。いい思い出だ・・・。
 

10月 142019
 

若い頃に読んだ書物に影響される、という経験は、誰しもあると思う。大抵の人は、そういうのは思想の本だったりする。マルクスに傾倒したり、仏教の教えに傾倒したり、そういうのが一般的だと思う。
俺はどうかと言うと、歴史学の本に影響された。それも幸か不幸か、古代史の本、それも「鹿島昇や八切止夫のような人の本」に、ぶっちゃけ多大な影響を受けた。彼らの本を初めて読んだのは高校3年の終わり。近所の古本屋で新国民社の本を買い、適当に読んでみたところ、当時「純粋な少年」だった俺は(当然のことながら)多大な影響を受け、そしてそれは20年以上俺に良くも悪くも影響を与え続けた。
今となっては、そういう本の悪いところはよくわかる(もちろん良いところも)し、むやみに信じたりはしない。けれどたかが18歳の高校3年生の少年は、ああいうのに影響されると、なかなかその影響下からは抜け出せないものなのだ・・・。そのせいで大学では苦労した。歴史学の授業を受けても頭に入ってこないし、人と話す時もトンチンカンなことを言ってしまったりする。
今思えば、ああいう人たち、特に鹿島昇なんて人は、朝鮮人とか韓国のスパイなのではないか、と思う。ああいう人たちの言ってることを第三者の視点から冷静に観察してみると、マスコミの連中が朝鮮を大好きなのも同じ心情なのではないか、と思える。なんつーか「朝鮮第一主義」みたいな・・・。
けれどああいう人たちというのは、60歳とか70歳になっても尚、ああいう朝鮮第一主義に凝り固まって、おそらくそのまま死んでいくのだ。俺の叔父の一人もそういう人種なので、そういう連中の実態というのは何となくわかる。ある意味恐ろしい。ああいう考えの人間が、日本の上層部には少なからずいるはずである。どうりで日本は朝鮮の言いなりなはずである。
しかし、ああいう本を読んで影響を受けたことで、なんというか俺も「斜め上から物事を見る」という習慣ができたことは、素直に良かったと思える。学問に関して大事なことは「まず信じる」ではなく「まず疑う」ことである。俺はそれが行き過ぎて何でもかんでも疑うようになってしまったので、大学時代は苦労したが、けれど歴史学や神話学をやる上で、まず疑って斜め上から物事を見る傾向、それが身に付いたのは良かったと思える。
俺がああ言う書物の影響から抜け出れたのは40歳を超えてからだが、未だに何にもわかってない同期の連中の考えなどを知ると、逆に良かったのかもしれないな、とも思う。少なくとも、俺はある意味「結果を出している」ので、その通過点の経験としては間違っていなかったのだろう、多分。

10月 072019
 

ふと思い立って、「神無月の巫女」を見返してみた。思えば15年前、まだ俺が若かった頃、まだ俺に希望が少しは残っていた頃、まだ俺が外を出歩いていた頃・・・。そんな往時のアニメである。
実に懐かしい。当時は「女が女をレイプする」とか言われてかなり話題になったアニメだが、今見返してみても絵柄も古くないし、16:9のスクリーン比率だし、今でも充分に見れるアニメだった。
このアニメは主題歌がいいんだよな。KOTOKOのリサブがOPで、当時この曲は相当流行って、アキバに行くとどこの店でもこの曲のPVを流していたことを思い出す。あれからもう15年かぁ・・・。怖くなるくらい時の経つのは早い。
当時、俺は自作ホームページを作ったばっかりで、確か日記にこのアニメのことを書いた記憶がある。輪廻転生がどうこうとか、前世の記憶がどうこうとか、そういうことを書いたな、確か。自分の精神構造を探ってみると、当時からあまり進歩がないこともまたわかる。
このアニメは非常にロマンチックな話だと思うのだが、男と女では圧倒的に男のほうがロマンチストだろう。俺がそうだからよくわかる。輪廻転生とか前世の記憶とか、運命の人とか、そういうのに憧れるのは、一見女のように見えて、実際には男だと思うね、俺は。
まがりなりにも大学時代からインドのことや神道のことを勉強していた俺にとって、このアニメはどストライクだった。いつか見返そう見返そうと思っていたが、この度ついに見返した。やっぱいいわ、神無月の巫女は。AT-Xでやらないかな。

10月 042019
 

関西電力の経営陣が、地元の助役に脅されて金品を授与されて大問題になっているが・・・。
可哀想だよね、これ。あの助役が同和の大ボスで、無理矢理言うことを聞かされていたっていうのは、ネットには散々書かれている。俺は同和のクズさ加減は嫌というほど知っているから、ああいうどうしようもない輩がいても不思議ではないとわかっている。
まだテレビや新聞では「同和」の文字は全く出ていないが、ネット全盛社会のこのご時世、ネットに散々同和の仕業だと書かれているのに、果たして大マスコミがいつまで口をつぐんでいられるのか・・・。
小泉政権の時代なら、多分「同和」という言葉もテレビで取り上げられたと思うけどね。いろいろ批判もある小泉政権時代だが、同和利権にメスを入れたという点では評価されるべきだった。あの時期には関西の同和のドンのハンナンの社長も逮捕されたし、旧東京相互銀行の頭取も逮捕されたから、もし関西電力の事件があったら、同和に絡めて追求してくれたと思う。
それとも今回の事件を機に、また同和を非難する論調が再燃することになるのかな。それだったらいいんだけど。あのクズどもにはいい加減にわからせてやらないといかんからなあ。
思えば、南米に行った時も、あいつらに迷惑させられたな。南米移民なんて要するに同和の子孫だし、あいつらはどこに行ってもどうしようもない。子供たちは素直で可愛いのに、なぜ大人になるとああどうしようもなくなるのか。子供たちが可哀想でならなかったな。
あいつらがユダヤ人の子孫だなんて、誰がわかっているだろう。俺の歴史の文章を読んだ人間ならばなんとなくわかっているかもしれないが、外国人が同和のことを仮に知っても理解できないらしいからな。国家権力と結びついているから誰も逆らえないし。ほんと日本のガンだよ、同和は。
そういえば昔偶然発見して、非常に興味深いのでちょくちょく見ていた海外の「Israel’s Symbols」というサイト。残念ながら現在は閉鎖してしまっているが、今でもインターネットアーカイブで見ることができる。ここによると、「DAN」の「WAITING」の欄に「JUDGE」と書かれているが、よくわかっている人が作ったサイトのようだ。聖書を読んでも、歴史を勉強しても、あいつらには裁きが待っているだけだとわかるが、本人たちは死ぬまでわかるまい。ほんと「バカは死ぬまで治らない」じゃなくて「バカは死んでも治らない」んだよ。

https://web.archive.org/web/20180118210238/http://asis.com/users/stag/symbols.html

9月 162019
 

昨日うちで、遅い暑気払いがあった。弟夫婦と妹家族がやって来て、みんなで飲み食いした。
俺は・・・相変わらず無職童貞の実家おじさん。正直家族に合わせる顔がない。けれど長男ゆえ出席しないわけにもいかないので、最初だけ顔を出した。
飯はカーチャンが作ったご馳走なので、ありがたくバカ食いした。相当食ったと思う。腹いっぱい食い、酒もほどほどに飲んだところで、自室に避難した。
そして日曜恒例のラジオを聴いたりしながら、時々宴会に顔を出して、時々兄弟と会話をしつつ、居間と自室を行ったり来たりしていた。こういう俺の行動は、もう宴会の時のお馴染みなので、みんなも何も言わない。
それで夜7時半にお開きになった。
まあ兄弟は俺に気を遣ってくれるからいいんだけどね・・・。その旦那も奥さんも、俺が「可哀想な実家おじさん」なのはわかっているので、敢えて非難するようなことはしない。適当に会話していれば、相槌を打ってくれる。けれど子供は正直なので、妹夫婦の子供、つまり姪っ子たちは俺に怪訝な態度を取る。「なんでこのおじさんは時々いなくなるの?」みたいな・・・。
最近は姪っ子たちがうちに遊びに来ても、俺のことを無視することがちょくちょく増えてきたので、やはり「ねえママ、なんで○○おじさんは毎日家にいるの?働いてないの?」的な会話が繰り広げられているのではないだろうか。そんでもって帰る時に「○○ちゃんバイバイ」と言っても返事をしてくれない・・・。やはり子供は正直なので、俺のことは胡散臭いダメおやじだと思っているのだろう、多分。悲しいね・・・。
そんで体重は、食い始める前より2kg増えてしまった。せっかくこの2ヶ月で3kg減ったのに、昨日のバカ食いでまた増えてしまった。ううむ、今年のうちに95kgになるという目標が見えてきたのだから、また痩せなくてはならないな。
けど思ったのは、俺は若い頃からあまり見た目に変化がないのだけれど、弟がずいぶん老けたな、ということ。やはり社会人としていっぱしの経験を積んできた男だから、苦労が顔に現れている。話してる内容もすごく大人っぽい社会の話だし・・・。俺はそういう話についていけないので、余計に疎外感が沸いてくる。子供の頃はキャッキャ言ってたガキンチョだったのに、いつの間にこんな差がついたのか・・・。
というわけで、今年も多少鬱になる暑気払いだった。いつの日か俺も堂々とみんなの輪に入って持論を語れるいいお兄ちゃんになれるのだろうか・・・。

9月 072019
 

俺はしょっちゅうアニメキャラに恋してしまうのだが、今期のアニメでは、「ソウナンですか?」の鈴森明日香ちゃんと、「ダンベル何キロ持てる?」の紗倉ひびきちゃんに恋している。
そう、俺は自分でもよくわかっていなかったのだが、「明るい娘」が好きらしいのだ。
思えば俺が今まで恋してきたアニメキャラは、みんな明るい娘だったような気がする。「恋した」というのが重要だ。「オナネタにした」ならもっといっぱい、いやい~っぱいいるが、そういう娘は大人しい娘が多かったと思う。オナニーの時に陵辱ネタばかり考える俺は、オナネタにする娘は大人しい娘のほうがいいのだ。なぜなら真正のサドだからである。
けれど恋をしたアニメキャラは、「明るい娘」か「明るいギャル」が多かったように思う。俺の女の好みというのは、そういう娘を志向するらしい。最近自覚したことだが。
そんなわけで、俺が今まで現実世界で恋をした女性で、今まで一日たりとも忘れることが出来ないくらい好きな女というのがいる。名前は「美穂ちゃん」というのだが、彼女はまさに「明るい(ギャル?)」だったと思う。金髪気味に染めた髪、バッチリメイク、コンサバ系の服装・・・まさに美穂ちゃんはそれだった。俺は美穂ちゃんのことを一日たりとも忘れたことはない。というか忘れられない。向こうも俺に好意を見せてくれたから、余計に忘れられない。
俺は勝手に、美穂ちゃんこそ自分の「運命の女」だと思っていて、彼女のことを考えるだけで今でも飯が三杯は食える。彼女のことを考えているだけで幸せな気分になる。それくらい好きだ
年齢は俺より10歳年下で、出会った当時、彼女は19歳だった。しかも最高なことに、すごく「処女臭かった」ので、マジで最高の女だった。あの時は俺もまだ20代だったけど、もし彼女に出来てたらそのまま結婚していただろうなあ・・・。もう一度会うことを夢見てもう10数年経った。たった3ヶ月半一緒にアルバイトをしただけの女だったけど、俺は美穂ちゃんに心を奪われてしまい、文字通りハートを盗まれてしまったので、もう恋なんて出来ない。
向こうも俺のことを覚えててくれてるかな?けどよく言うように、女は好きな男を上書き保存、男は別名保存だというので、もうとっくに忘れてるだろうね。まああの娘が誰かと一緒になって幸せになってくれていればそれでいいのだが。
話が脱線したが、俺はとにかく「明るい娘」が好きだ。だから今期は、鈴森明日香ちゃんと紗倉ひびきちゃんがイチオシだ。オナネタにもしているので、そのうち同人が出たら集めよう。

8月 312019
 

もう教会に行かなくなって1年半以上経つなあ・・・。みんなどうしてるのかな。
このブログの過去記事で何回か書いたが、俺は盲目的にキリスト教を信じているわけではないので、礼拝に出るのがつらい。信徒のみんなは一生懸命お祈りを捧げて熱心に礼拝式文を読み、真面目に礼拝に参加しているが、俺はどうしてもそういう気分になれない・・・。
というか、俺が他人に「何の神様を信じているのですか」と問われたら、「イエス・キリストです」とは答えない。俺の答えは「インドのクリシュナ神です」だ。
俺のように古代の情景にとりつかれた者にとって、クリシュナは非常に魅力的な神に映る。古代に自由のために戦った神、神の愛を説いた神、美男子で女の憧れでモテモテだった神、戦いにめっぽう強かった神・・・。要するに「ヒーロー」だ。
海外には「ハレハレ・クリシュナ」などという新興宗教もあるようだが、まあ要するにクリシュナというのはそれだけ魅力的な神格なのである。なにせ「クライスト」の語源と言われているからな。南米で会った不信心者のアメリカ人宣教師も、日本の教会で会った別の教会の牧師もクリシュナのことは知っていて、「一般常識的に知られている」と言っていた。
その割にキリスト教ってのはろくでもないけどな。俺はインドに行ったことはないが、現地のクリシュナ教徒というのはどういう生活を送っているのだろう。アンベードカルもクリシュナ教に改宗すればよかったのに。まあ所詮はヒンドゥーの括りの中にある一派だから、今のインド人はクリシュナの本質とかは、わかってないのかもね。
俺がもし人前で「クリシュナを信じています」と言ったら、「じゃあハレハレ・クリシュナの信者ですか?」とか勘違いされそうだが、そういうのではない。あくまでも大学でインドのことを学び、その結果としてのクリシュナ信者である。
仏教になぜクリシュナが取り入れられていないのか、その辺のこともバカなインド研究者にはろくすっぽわからないだろう。クリシュナと同じ側にある神はカーリーなどだろうが、その辺もわからないだろうね。日本の研究者のレベルは意外なほど低い。
よし、決めた。今から俺はクリシュナ信者になる。アンベードカルは死ぬ直前に仏教徒になったが、俺は40ウン歳にして、クリシュナ信者になる。インドの色の黒い神、救済の神。俺は全身全霊をクリシュナ信仰に捧げよう。さらばキリスト教、洗礼まで受けて聖書も持っているけど、俺は今日から異教徒だ。というかキリスト教は本来クリシュナ教であるべきなのだから、俺のほうが正しい。みんな俺に続け!