弧毒男

6月 292016
 

昨日、約2年ぶりにホームページを更新した。半ば放置状態だった本サイトも、新しい文章を載せたことにより息を吹き返した感がある。2013年に俺がいろいろ考えて得た知識のごく一部を文章にまとめたような感じである。
俺のホームページの文章の中で、歴史に関する考察の部分は、ひょっとしたら世界の核心を突いているのかもしれない。そのお陰で2013年の俺の活躍があったからだ。だから今回の文章の追加も、ひょっとしたら世の中が変わる端緒になるかもしれない、まあわからないけど。
最近思うが、人の人生というのは、その一歩一歩に意味があるのだ、ということ。長い人生の道のりの中で、小さな一歩を重ねながら人は生きるが、その一歩毎に何らかの意味がある、何らかの切っ掛けになる。最近すごくそう思う。どんな小さな行動であっても、それが因果を持ち、後の何らかの出来事に繋がってくる。未来に繋がっていく。どんな小さな行動であっても、それが後の自分を左右する切っ掛けになる。
そう考えながら生きると、どんなちっぽけで些細なことであっても、大事にしようという気になってくる。こうしてブログを書いても、その書く文章の内容によっては、後々自分に予期せぬ形で返ってくるかもしれないのだ。だからホームページに文章を書いたけど、それがまた何か後々の思いもよらぬ出来事に繋がっていくかもしれない。「因果応報」というのかな、こういうのは。
今を生きる。それだけで精一杯かもしれない。けれど生きているその「今」は、未来の予期せぬ展開に繋がっていく。生きている以上、それは未来を見ながら進んでいるのだーーと言えるだろう。だから俺は思う。「狭き門よ終われ」と。

6月 092016
 

自分のこれまでの生涯を思い起こすと、確かに不幸だったと思う。そしてその原因を招いたのは何か・・・自分が悪かったのかもしれない。悪くなかったのかもしれない。この是非は死ぬまでわからないだろうけど、後悔はしている。もっと真面目にやっとくべきだった、ってね。
そしてそのために巻き込まれた不可解な出来事・・・。なぜ俺だけこんな目に、と何度も思ったが、逆に考えると、世の中の裏を知ることが出来たのは、ある意味良かったのかもしれない。世の中や世界の出来事には、確かに「裏」がある。陰謀論者が馬鹿にされる風潮があるが、陰謀は確かに存在し、この世の中の事象には、確実に「裏」がある。それは確信を持って言える。
俺は程度の大小はともかく、そういう世の中の「裏」の面に巻き込まれ、ある時期は当事者だった。心を読む能力、地デジTVによる盗撮、その他諸々・・・。ある時期は、俺を中心に世界が回ってると、そういう錯覚を起こさせるような、世の中の「裏」を見た。
こういうことを聞いても、ほとんど全ての人は、一笑に付するだけだろう。「おまえの妄想だ」とね。しかし世の中は、一般人に計り知れるほど単純ではないし、一般人が何もかもを経験できるほど小さくない。世の中は謎と陰謀で満ち満ちている、のだ。
俺が生まれてきた意味は何だろう?2013年に世界を変えた、その為?イスラムに引導を渡すこと?それだけなのだろうか。もう少し生きてみなければわからないが、10年以上前にリネージュの会話ウィンドウに書き込まれたポーの詩、あれが何を意味するのか、果たして未来を見ることは出来るのか、もう少し刮目してみたい。

4月 142016
 

つい最近、誕生日を迎えて、晴れて42歳となってしまった。
厄年である。
う~ん・・・ずっとこのままの生活を続けていていいわけがないよなあ・・・。けど仕事はしたくないし。どうすればいいんだろ。ハロワで職業訓練の口とかあるのかな。あったら受けてみたいが。
先月だが、外に出ると、黒猫が前を横切った。また何かあるのだろうか。前回は遠隔操作ウイルス事件とかあったし、違法ダウンロード法成立とかあったし、まあそれを乗り切ってから俺の大活躍があったわけだが。つい最近うちの近所で殺人事件があってまだ容疑者も特定できていないようだが、それが今回の黒猫と関係あるだろうか。それを乗り切ったら俺の人生に一大転機があるとか・・・もうあんな怖い思いはしたくないが。
とにかく、このまま独りぼっちで死ぬのは嫌だ。俺だって生涯の伴侶が欲しいし、子供だって欲しい。そのためには前へ進まねばならない。けどそれを邪魔する「悪の勢力」は確実に存在し、逆に俺に味方してくれる「正義の勢力」もちゃんと存在する。そういう謎の勢力の繰り広げる戦いに巻き込まれているのが、俺だ。
今はよく考えたい。考えても考えても答えの出ないことかもしれないが、急くことはあるまい。

2月 212016
 

ああ~小説を書こうと思って試しに書いてみてたけど、やっぱダメだわ~。俺は文章を書くのは得意なんだけど、ストーリーテラーとしての才能は無いということがよくわかった。書いてて「これってつまらないよな」というのが自覚できる駄文しか書けないわ。
そもそも俺は文章を書くのは得意なんだけど、本をあまり読む方ではない。だから「典型的な文章の書き方」もよくわからない。とにかく筆が進まないし、書いても書いても「これってつまらないよな」という駄文しか書けない。
というわけで、小説書くのは断念する。残念だが仕方あるまい。今回ほど俺に才能が無いことをまざまざと自覚できるイベントはなかった。ガックリ。

1月 212016
 

前回「小説を書く!」と宣言してしまったけど、実際に書いてみると全く上手く書けない。ライトノベルを書いてるつもりはないけど、何かこうスラスラっといかないというか、筆が上手く運ばないというか、とにかく文章が頭から湧いてこないのだ。ライトノベルを読んだことはあるが、確かに文章は稚拙だと思う。けれど何というか、スラスラっと書いてるなあという印象は受ける。俺がPCの前に座ってキーボードを叩いても、文章が湧いてこない。何故なんだろう。
多分、俺が変にブンガクを意識してしまうからだと思う。稚拙なライトノベル向けの文章を書けないのも、開き直りが足りないからだと思う。もっと、こう、開き直って、しょうもないライトノベルみたいな稚拙な文章をズラズラ書けばいいんだよ!と頭ではわかっているけど、何かこうブンガクを意識した上で書かなきゃならないという先入観が邪魔するのだ。
そもそも俺は文章を書くのは得意だけども、読書量という点では全然多くない。俺より本をたくさん読む人間なんていっぱいいるだろう。そういう人でも小説なんて上手く書けないだろうから、俺ごときが小説を書くなんて、おこがましいのかもしれない。う~ん、早速挫折しかかってきたぞ・・・。
まあいい。賞の締め切りまではまだまだ時間がある。最後まで悪あがきをして、一本は書き上げてみる。今に見てろ。

12月 272015
 

俺は文章を書くのは得意だ。何故得意かというのは、自分ではわからない。ただ文章を書くことは好きだし、俺の文章を読んだ人から「文才がある」と言われたこともある。思い返せば小中学生の時、作文や読書感想文で何回も表彰されて、市や県の文集に作品が載ったこともある。世の中には文章を書くことが駄目なタイプの人がいて、そういう人は作文すら書けない。けれど俺はスラスラ書くことができる。こういうのは文才つまり文章の才能に左右されるので、出来る人は出来るし出来ない人は出来ない。
最近夢想するのが、作家になれたらなあということ。文章を書いて金が貰えるなんて、夢のような職業ではないか。俺だって生まれてきたからには「生きた証」をこの世に残したいと思う。もし作家になれたら、自分の書いた本がずっと本屋に並ぶことになる。生きた証、生まれてきた証として、自分の作品が本屋に並んでくれたら、これほど誇らしいことはない。しかも印税というのは結構な額になるようで、今現在は不甲斐ない無職ニートの俺だが、一気に富裕層の仲間入りだ。そんなことを考えていたら、最近無性に「作家になりたい」との思いが強くなってきた。
俺は確かに文章を書くのは得意だ。けれどストーリーテラーとしての才能があるかと問われれば、正直「う~ん・・・」と言葉に窮さざるを得ない。毎晩布団に入る度に、自分が小説を書くならどういう内容がいいかと頭を捻るも、なかなか独創的なアイデアは浮かんでこない。純文学か一般小説か、SFか恋愛物か、考えれば考えるほどこんがらがってくる。昔「サルでも描けるまんが教室」という漫画があったが、あれも新連載を始めるのに際してどういう内容がいいかと悩む描写が出てきたが、確かにあの通りで、上手いアイデアというのは一朝一夕には浮かんでこないものだ。
まあいい。つらつら述べてきたが、俺は試しに小説を書いてみる。電撃小説大賞、あれに応募してみる。締め切りは来年の4月だから、年が明けるまでにアイデアを煮詰めて、処女作を書いてみよう。小説にこだわる一番の理由は、やはり「生きた証を残したい」からだが、曲がりなりにも旧帝大文学部を出ている俺の意地でもある。あの中で一番優れているのは俺だという証にもなるからな。よし、やってみよう。

11月 242015
 

テレビでいろんな人がインタビューされてるのが放映されるが、ああいうのを聞いているといつも「何故抽象的な話しかできないのか」と不思議に思う。外国人であれば直接言いたいことを言ったり、上手な比喩を使ったり、いろいろ工夫した言い方で返すのに、日本人というのはいつも決まって抽象的なことしか言わない。例えばサッカーだったら、外国人なら「何番の動きが悪かった」とか「真ん中に切り込むパスが足りなかった」とか「あのプレイでは何番が動くべきだった」とか具体的に言うのに、日本人は「結果を出すためにはもっと積極的に行かないと」とか「精神力で負けないチームにしたい」とか「次のどこどこ戦に向けて悪いところを治したい」とか、何故かこう抽象的な物言いに終始している。
これはずっと昔から思っていたのだが、日本語というのは欠陥のある劣等言語ではないだろうか。日本人がはっきりした物言いが出来ないのは、そういうレベルの低い物言いを許容するようなバカな風土が原因なのかもしれないけど、実は日本語そのものが根本的に劣った言語で、ハッキリ物を言うことにすら向いていない劣等言語ではないのか、と、しばしば思う。
言語に優劣はないと思いたいが、この我が祖国が大昔からずーっと曖昧な物言いでTVでもどこでも通じてしまうのは、もちろんそれを許容する低レベルな風土も原因なのだけど、言語的に問題のある民族だからなのでは、と杞憂が頭をもたげてしまう。いや、はたして杞憂なのだろうか・・・。