弧毒男

6月 142013
 

「新世紀エヴァンゲリオン」は第3新東京市が舞台になっていて、それまでの都市が水没したとか崩壊したという描写が見られる。あれは本当に謎の多い作品だけど、その辺はまあいい。ではその「第3」新東京市という名称はどういう意味を持つのか。単純に考えて「3番目の」「3度目の」という意味だ。
僕は前々から、現在の文明は人類にとって最初の文明ではなく、何回か崩壊→再生を経て現在の形になったのではないか、と思っていた。それは世界各地から不可解な遺物が発掘されるいわゆるオーパーツの存在や、インドの古典である「マハーバーラタ」を読んだ者の多くが「古代の大戦争を描写したものだ」と主張していること、そういうのも理由の一つである。もしエヴァンゲリオンがそういう「事実(?)」を下敷きにして作られたものであるならば、「第3」新東京市という名称は、そのまま「=現在の文明は3度目の文明である」ということを視聴者に伝えんとしているのかもしれない。
古代に大洪水があったと聖書は述べる。そしてこれは聖書圏以外にも世界各地にある説話で、アメリカのインディオも同様だ。皆一様に「大洪水が起こり船に乗って難を逃れ、陸地に向かって鳥を飛ばした」と語る。だから多分、これが「1度目の世界崩壊=ファーストインパクト」だったんだろう。そしてそこから2度目の文明が始まり、それも発展するがやがて大戦争により崩壊する。それがマハーバーラタの大戦争だったのでは。だからこれが「2度目の世界崩壊=セカンドインパクト」に当たるんだろう。
上に述べたことはあくまで「仮説」だが、アメリカ大陸のインディオの言語に多数の孤立言語が存在することや、インダス遺跡から世界各地の骨が出てくること、また不可解なオーパーツの存在など、不思議な事実はいくらでもある。僕が思うのは、古代の前文明の時代にも世界各地の人々がいろんな土地に移り住んでいて、あちこちに「人種のるつぼ」みたいな場所があったんじゃないかな、ということ。だから孤立言語や様々な骨のような現象が現れるのではないか、と思う。そもそも地球の地軸が昔は数度傾いていたわけだし、それを踏まえて黒又山の公的調査などもあるわけだし。また言うまでもなく大陸は徐々に移動するし、海岸線も今とは全く違っていた。
エヴァンゲリオンの新劇場版4作目はまだやっていないし、前3作で言いたいこともよくわからない。しかし第3新東京市という名称は、間違いなく「=現在の文明は3度目なのだ」と言わんとしているはずだ、その真偽は不明だが。歴史学は自由足り得ない学問ゆえ、これらが解明されることは多分ないだろう。それをエヴァンゲリオンは代弁しているのかもしれない。4作目が楽しみだ。

 
・・・と、ここでちょいと追記。惣流・アスカ・ラングレーという名前を眺めてて思ったが、惣流=ソウル(=瀬織津姫)とすると、「片目」は製鉄を表し、「赤」は平氏の赤旗とか秦氏の色とかを表す?千葉市にちょうどそれに当たる蘇我という地名があるが。またアスカ=飛鳥なので、飛鳥時代なら、つまり蘇我入鹿?それならシンジは聖徳太子?厩戸皇子は言うまでもなくイエスの誕生説話を借用してるが。またアメリカにはラングレーという地名があるようだ。90年代映画版では弐号機が量産型に喰い殺されるので、アスカ=プロメテウスだが。あー製鉄をするのには火が必要なんだね。

6月 132013
 

最近、卒業した大学の所属研究室に電話をかける機会があり、かけてみて「◯◯年卒業の◯◯という者ですが」と言ったら、電話に出た女学生が「噂の空白期間の・・・!」と言っていた。「噂の空白期間」というのは笑えるな。そう、俺が卒業する年度だけ、あの研究室には教授も助教授もいなかった。その後研究室のまとめ役と話したところ、「そういう時期だったから」と苦し紛れに言っていた。バカバカしい。

人と人間の違いなんてのはどうでもいい。人というのは、単純に自分の能力を高めることにのみ注力すればいいのだ。そこで他人を低めて相対的に自分が高くなろうと画策するならば、それはただの時間の無駄で、バカのやることだ。
幸福と不幸の関係もそれと同じだ。人は皆、自分の幸福を追い求めることだけ考えればいい。自身の絶対的な幸福度を上げることのみを考えればいいのだ。もしそこで、幸福という概念を相対的なものだと考えるならば、他人を不幸にしてその結果自身の幸福度を相対的に上げようと考えるだろう。ここが人としてどうであるか、という分岐点だ。
程度の低い者は、能力にしろ幸福にしろ、絶対的な要素が低いので、相対的にそれを上げようとする。その行為が、正常な人々にとっての足枷となり災いとなる。要するに北朝鮮みたいなもので、言ってしまえば「人類の敵」だ。パラグアイにいた時も思ったが、こういう相対的に自身を高めようとする者は、どこにでもいるようだ。その結果として自身は低いままであるのも、どこでも一緒だ。それは個人の問題だけでなく、団体であろうが組織であろうが国であろうが、何でも同じだろう。

そして、ジグムント・フロイトが言ったように「人は組織の力によって強いのではなく、個人の意志の力によってのみ強い」のだ。この世の真理は、これ以上でも以下でもない。

6月 102013
 

昔読んだ本に「アマテラスは元々男神だった」と書いてあった。まあこれは自然だろう。どこでも太陽神は男神だし、日本だけが女神で特異だからだ(調べてみたら他地域にも少数ながら例はあるようだが)。そもそも大地母神信仰が存在した古代、大地が女性なら空の太陽が男性なのは普通だ。
以前「日本は女性が支配する国」だと書いたが、つまりそうなった時点で、元々男神だった太陽神が、女神アマテラスに変わったんだろう。それは多分、シラヤマヒメとかククリ(=高句麗)ヒメとか、そういうのが大きな勢力を獲得したのと同じ時期だったはずだ。じゃあ元々の太陽神と大地母神は何だったのか、という話だけど、これはよくわからない。太陽神がアラハバキだったとしても、地神が何だったのかは判然としない。記紀を見ても、地神が誰なのかは明白になってないし。ツクヨミは何となく男神っぽいから、要するに記紀神話ができた時点で旧来の神話体系は払拭されたんだろううね、当たり前だけど。

こんなこと書いていいのかわかんないけど、女というのは、「月に命じられるまま血を流す生き物」だ。そして出産に耐えるため痛みにも強く、また血を恐れない。だからこそ「女は血を恐れない最強の戦士」であると同時に、「月に従い血を流す宿命の者」だ。こういうのも、古来から女性が迫害される原因だったんだろうね。だってこの文言だけ見たら、もう「≒悪魔」でしょ。
だからまあ、あくまでも文章で表現するならば、『我々男の役目は、女達を月から太陽の元に取り戻すこと』なんだろうね。そして医学的にそれが不可能である以上、科学は万能足りえず、逆に科学や医学に反するような観念論や神話体系は、バカバカしいということなんだろうね。

6月 082013
 

4月に自宅に戻ってくる途中、家の近所で、虎猫と黒猫が喧嘩してた。親父と車で走ってたら道の真ん中に動物が二匹いて、遠くから「なんだあれ?」って思いながら近づくと、二匹の猫だった。虎猫が毛を逆立て、黒猫を睨みつけて威嚇してた。親父がクラクション鳴らしても一歩もどかずに、睨み合ってた。
俺は昭和49年生まれの寅年だ。黒猫は・・・まあいい。不吉の象徴だなんてのは誰だって知ってる。だからその黒猫に、虎猫が毛を逆立てて思いっきり睨んで威嚇して喧嘩してたというのは、神様が俺に「頑張れ」とエールを贈ってくれてたんだろうね。
考えたら、俺を構成するいろんな要素が、この半年ちょいでいろいろ発揮されたと思う、良かれ悪しかれ。俺はずっと前から気づいてたけど、これは神様が作った筋書きなんだろうね。だからこそ、ポールは「Mother Mary Whisper “Let it be”.」と歌っている。スペイン語で希望=esperanzaは、待つ=esperarから来ているし。神の御心のままに、というか神のみぞ知る、ってところだな。

6月 042013
 

至極当たり前のことを一言書こう。

『言語は思考を規定する』

これは例えば、英語と日本語の違いを考えればいい。英語の文型はSVO、日本語はSOVだ。つまり英語は最初にSVという結論ありきの言語構造で、故に英語で話す人は最初に結論を述べるのと同義だ。よく「欧米人は物事をハッキリと言う」と言われるが、これはその使用言語がSVOという「まず結論を述べる」構造だからである。最初に結論=意図を伝えてしまうのだ。それに反して日本語は、SとVの間にOが入る。複数のOが入ることもある。つまりどんなに長い文になっても最後のVで結論を出すという言語構造で、故にその文を話している際、「どう結論づけようか」と考えつつ話し、結論のVを発言して初めて意図を伝える、となっている。故に「日本人は物事をハッキリと言わない」という印象を外国人に与える。最後まで聞かないと意図が伝わらないからだ。
僕は言語学には詳しくないが、中国語もSVO型らしいので、よく「中国人は我が強い」「中国人は自己主張が激しい」と言われるのも、この文型の問題に由来しているだろう。SOV型になっているのは韓国語とかハンガリー語も同様だと聞いた記憶があるが、彼らの評価はどうなんだろう、興味がある。

ここまで書いたことは至極当然のことで、つまり『言語は思考を規定する』のだ。言語が先だったのか思考が先だったのか、成立の順序はわからない。けれど喋っている言語を使って頭で考えるので、SVO言語の人々はなんでもハッキリ言うだろうし、行動もストレートだろう。逆にSOV言語の人々はなかなか言いたいことを言わない(ように感じられる)だろうし、行動もストレートには起こさないだろう。だから人間の行動様式というのは、容易に変えられるものではないのだ。
また、歌に歌詞をつける時も、詩を書く時も、はたまた哲学的思索に耽る時も、この文型の違いは大きく影響してくるはず。個人的には日本の俳句や短歌はとても美しいと思うし、作ろうとするとパズルみたいな要素があるので楽しい。

とまあ、わかりきったことを今回書いてみた。僕は語学力はさして高くないので念のため。
スカイリムはクリアしたので、明日からはドラクエⅤをやる予定。その後のSTEAM投げ売りゲームもいくつか候補があるので、仕事もやりつつ楽しもう。

6月 022013
 

スペイン語で「土曜日」を「SABADO」という。これは「サバト」から来た言葉だ。サバトというと悪魔崇拝を想像しがちだが、実際にはユダヤ教での安息日をシャバトといい、これがサバトである。つまりスペイン語では、土曜日が安息日を意味するのだ。安息日というのは、聖書で神が天地創造をした際に、七日目に休んだからその日が安息日になったといわれる。だから聖書では、七番目の安息日が日曜日だ。
数字の「7」は「SEVEN」だが、このSEVENは「S_EVEN」と読める。そしてSという文字は、見ればわかるが蛇である(カドケウスに絡みついているのを想像されたい)。つまり「7は蛇に等しい」のだ、現代英語では。一週間を日曜日から始めれば、七番目に来るのは土曜日であり、月曜日から始めれば、七番目に来るのは日曜日である。現在の聖書では、天地の創造の七日目に休み安息日になったと書かれているので、つまり「安息日=日曜日=太陽の日=七=蛇に等しい」となる。
インドに九耀というのがあり、スーリヤという。この七番目はシャニという人物だが、彼は熱心なクリシュナ崇拝者だった。シャニとはサニーとも言い、つまりSUNNYだ。さらに彼は九耀では土星であり、土であるからアダマ=アダムでもある。またスーリヤという語は太陽という意味もある。つまり七番目であるから、ここでも「SUNNY=太陽=蛇に等しい」となっている。
冒頭で述べたようにスペイン語では土曜日が安息日という意味だ。つまり天地の創造が日曜日に始まったという前提になっている。そして七番目は蛇に等しく、それが土=アダマ=アダムの土曜日である。天地の創造を日曜日に始めても、月曜日に始めても、どちらでも七番目は蛇に等しくされてしまう。これはつまり、この世が太陽=善から始まったか、もしくは月=悪から始まったか、という問題に繋がると思う。もっと言えば「男から始まったか、女から始まったか」という問題だ。聖書ではアダムからエヴァが作られるので、つまり太陽から始まっている。
また土曜日はSATURDAY、土星はSATURNだが、これはおそらくサタン=SATANに関連付けられた言葉のはずだ(もちろん語源学上は別の理由があるのだろうが、実際には)。土はアダムだが、それがサタンであるのが現代英語だ。シャニは妻に呪いをかけられて邪視(EVIL EYE)にされたが、これが関係しているだろう。また、スペイン語含む古い言語では土曜日が安息日を意味するので、元々天地の創造は日曜日からだったのだろう。つまり元々この世は太陽からスタートしているわけで、現在の聖書がそうでないのは、月信仰の者による改竄ではないだろうか。

6月 012013
 

日本語の標準語が人造語であることは有名だ。そもそも東京方言というのは元々ちゃんとあって、江戸弁のことだが、それは現代の標準語とは違う。江戸弁は「さ行」と「は行」の区別がつかないというあれだが(SとHの転訛を考えればわかる)、標準語というのは明治時代になってから、全国の国語教育で施行するために人造的に作られた言葉である。よって東京方言=江戸弁とは異なる。
同じく英語も、人造語だと僕は思う。印欧語から派生して出来上がったのは確かだろうが、それでも「世界標準言語」とするために、様々な人為的な手が加わった人造語だと思う。よって、その中には様々な恣意が入り込んでいる。もっと言うと、言語の中に「暗号」が隠されているケースがあると思う。
例えば「REMEMBER」は「=RE_MEMBER」つまり「再び仲間になる(ために思い出す)」という意味が含まれると思うし、「FORGET」は「=FOR_GET」つまり「得るために(忘れる)」という意味が含まれると思う。それに「BELIEVE」は「=BE_LIVE」つまり「生きる(ために信じる)」という意味が含まれると思う。他にもいろいろあるだろう。例えば「RAPE」は「=RE_APE」つまり「再び猿になる(のが強姦である)」という意味だと思う。
そしてサンスクリット語にもこういうのはあると思う。「クリシュナ」は「KRISHNA」であるが、これは「KR_ISH_NA」だと思う。「KR=make」「ISH=イーシュ=アダム」「NA=奴=he・someone」ではないだろうか。つまり「make adam him」もしくは「make adam someone」だ。『クリシュナはアダムを彼にする』?もしくは『クリシュナはアダムを誰かにする』?
あーそうそう、昔から思ってることを付け加えとく。日本語と欧米語、これって概念の時点で逆になってることがしばしばある。例えば英語で「YES」は肯定、「NO」は否定だが、日本語ではYESと音が似ている「いいえ」が否定で、NOと音が似ている「能」は「能く(よく)」とか言うので肯定だ。また、スペイン語でYESに相当する「Si」は日本語なら「死」というネガティブな発音である。またYESを「ヤー」と言うこともあるが、日本語では「やー=嫌(いや)」である。それに日本語で肯定する時「うん」と言うが、英語などで「UN」と付けば当然これは否定になる。
とまあ、言語というのはこういう不思議なことがいろいろあるのだ。多かれ少なかれ、全ての言語には人為的な恣意が入っているんだろうね。暗号といえば、フランシス・ベーコンは暗号学の始祖と呼ばれているが、一説によるとシェイクスピアの正体はベーコンらしい。何というか実に興味深いなw。フィネガンズ・ウェイクなんて本もあったが僕は未読だ。そういやバベルの塔の話だっけ?神が人々の言葉をバラバラにして互いに通じなくしたのって。