3月 302013
 

僕はパラグアイにいた時、貧民に強く関心を持っていた。日本でも乞食やホームレスはいるが、貧民ってのはいないだろう。けど南米には、本物の「貧民」がいる。
僕の住んでた住居のそばに交差点があって、そこで毎日夕方になると、赤ん坊を抱いたまま信号停車している車にお金を恵んでもらっている女性がいた。彼女は郊外に住んでいて、市内の工場で働いているが、収入が1日1ドルにも満たないと言ってて、つまり往復のバス代だけでスッカラカンになってしまう、貧民だった。
またアルゼンチン第二の都市であるコルドバへ行ったことがあるが、街の入口に貧民街があり、貧民たちが集まって住んでいた。アルゼンチンはクリオーリョ(白人)率が90%以上とかで、色の黒い人が少ない、とてもヨーロッパ的な国だと言われる。南米の町はどこでも中心部に「教会と公園」がセットで存在し、そういうのは阿部謹也の本にも書いてあったと思うが、その公園は「parque central」とか「plaza central」と呼ばれる。
コルドバへ行った時その公園のベンチに座り、隣のおっさんとゲバラについて話したら「彼はヒーローだよ」と言っていた。そしたらその公園のその中心部で、色の浅黒い数人組が、熱心に演説をしている。格好はYシャツにスラックスだったが、教会の人たちだとすぐにわかった。なぜなら「GLORIA DE DIOS!」=「神の栄光!」と叫んでいたからだ。僕がアルゼンチンで色の浅黒い人を見たのは、その一回のみである。彼らは、とても、熱心に叫んでいた。

3月 212013
 

僕が思ってることをちょっと書こう。
元々、地球には、コーカソイドとニグロイドしかいなかったのかもしれない。そして肉体的には、絶対に黒人の方が圧倒的に優れている。どんなに頑張っても、肉体的に黒人はすごい。白人はかなわない。だから、黒人が白人と同じ教育を受けて、同じ知的水準になったら、もはや黒人には全ての点で誰もかなわない。
だからこそ白人は、黒人たちを「暗黒大陸」に閉じ込めて、正当な教育を受けさせないようにして、知的水準を低いままにしておこうとしてきた。
つまり、黒人こそが優性人種、といっても言い過ぎではないと思う。
けれど実際には、人類の歴史がどんどん進んでいくにつれて、人類は地球全体に広がり、遺伝子情報も変化していって、更に混血を繰り返していった。その結果「白人種・黒人種・黄色人種」に分布するようになった。絵の具の原理を考えればわかると思うが、この3色を混ぜ合わせれば、いつかは「黄色」になっていくはず。ということは、混血の集大成はYELLOW、つまり日本民族。「彼ら」は我々日本人のことしかYELLOWとは呼ばない。まさに神国日本(笑)。
ネアンデルタール人とクロマニョン人が丸っきり入れ替わるとか、そういう事実もあるわけで、正直こういう研究はまだまだ進んでいないと思う。
僕がパラグアイにいた時、インディヘナ(インディオ)と少し話したが、彼らも「古代に大洪水が起こって、船から陸地に鳥を飛ばした」という伝承を持っていた。それにいくつかの本を読むと、どの著者も「1万2000年前(だったと思う)に大異変があった」という意見で一致していた。それはアメリカ人もロシア人も、同じことを言っていた。
「新世紀エヴァンゲリオン」は「第3新東京市」が舞台であるが、僕はなんとなく『現代文明=三度目の文明』じゃないかなあという印象がある。フローチャート式に考えてもそうなるし、そう考えると辻褄が合うことも多いと思う。
まーこんなことの事実は、インディー先生くらいしか知らないだろうけどね。いや、彼でも知らないかな?

3月 212013
 

こう見えても一応旧帝大文学部哲学科卒(一浪四留だけどなw)の俺が、ちょっとかっこいい文言を考えてみたぞ。

まず英語で。
“Wishness makes power, Power makes wisdom, Wisdom makes possibility, and Possibility makes Wishness.”

次、日本語で。
「最短距離を選んだ者たちが辿り着けない場所に、回り道して先に着く美学」
俺の訓。

俺は中二の時、ものすごく狭い一戸建てを借りて1年間だけ家族でそこに住んでたけど、親父がある日仕事から帰ってきた時の会話。
俺「はやく広いマンションに引越したーい」
親父「狭いながらも楽しい我が家!」(笑顔で)

そういえば、こないだローマ法王が新しくなったね。彼の就任演説をTVで見てたが、首からかけている十字架が、質素な木製のものだった。映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」では、聖杯をインディー先生が選ぶ時、「ヨセフは大工だった」と一番質素な木製のを選んでたよね。
それに一作目の「レイダース 失われたアーク」のラストシーンで、「トップシークレットだよ」とアークをどこかに運んでくのが映ってたね。不思議だらけだよね、この世界って。:-)

1月 072013
 

アーリア人/印欧語族は「9」というサイクルで世界が更新されるという思想を持っていた。
事実、形容詞の「新しい」と数詞の「9」が、似ているかまたは同じである。NEWとNINE、NUEVOとNUEVE、NAVAとNAVA、など。

映画「2001年宇宙の旅」の続編(完結編)は「2010年」である。2001+9=2010だからだ。
だから、あの映画の結末は、重要である。

『モノリス』の『比率』について書いておく。
・1:3:9なら「1つの世界に、3つの民族がいて、9のサイクルで世界が更新される」、民族=白人種・黒人種・黄色人種
・1:4:9なら「1つの世界に、4つの民族がいて、9のサイクルで世界が更新される」、民族=白人種・黒人種・黄色人種・赤色人種

インドの4種姓として「バラモンは白く、クシャトリヤは赤く、ヴァイシャは黄色く、シュードラは黒い」とある。つまりインドには「赤色人種」がいた、との記録が残っている。

その赤い民族とは誰なのか、それは「赤い鳩」である。
古代のインドには、エデンがあった。そこには指導者層としてYAHDAWAH族がいて、その指導者はKRISHNAだった。彼らは以前世界が洪水で滅んだ時に船から飛ばした「鳩」を、その象徴としていた。そのDOVEには「白い」のと「赤い」のがいて、両者を合わせてDVDと言った。しかしそこから「赤い鳩」だけがどこかへ飛び去り、YAHDAWAHからDVが抜け、YHWHが残された。よって「白い鳩」YHWHは、EDENに在る。

そして飛び去った赤い鳩は「安息の地」へと降りた。そしてそこで「炎(ほむら)」立て続け、「光」を求め続けている。だが・・・「安息は訪れていない」。なぜなら「決して交わらない矛盾」を世界にまき散らすことに躍起になっている「狂った、角を生やした、悪魔崇拝者」たちと、闘い続けねばならないからだ・・・今は。それはただの、友達を思う心に過ぎなかったのに。赤と白の鳩は、決して交わらない矛盾であると、世界に思われている・・・いや、誤解されている・・・。
そして巨悪、いや真の悪は、別のところにいる。それは・・・友情と女性を弄ぶもの、人を人と思わないもの・・・。

つまり、二匹の鳩は、鳥籠に囚われている。あたかもそれが「慣習や制度」であると思い込まされている、鳥籠の中に。それは、かつて楽園が在った場所だ。そして今そこは、この世の地獄になっている。

1月 052013
 

磁石には、N極とS極がある。それぞれ北と南を意味する。つまり「正反対」「真逆」のことだ。でも磁石は、NとN同士だと反発しあう。SとS同士でも反発しあう。同じもの同士だと、決してくっつかない。逆にNとSならくっつく。SとNでもくっつく。こんなの幼稚園児でも知ってる。
だから、一見正反対に見えるものが、実は一番ひかれあう、みたいな。それが自然の摂理なんだ、と。
男と女だって、正反対のものだ。そしてそれが結合しないと、子供は生まれない。
医学上「近親結婚を繰り返すほど劣っていく」事実は古代から知られている。だからみんなどこか別の家の嫁さんを探す。混血を繰り返すほど優れていく、のは、実際に南米に行ったらみんなが言う。混血を繰り返した女性は本当に美人だ、と普通に言われるし、実際に美人なのは僕も見た。
だから、つまり、こういうのが「自然の摂理」なんだから、それに逆らっちゃいけないんじゃないの、と思うんだけど。南北分断とか、北半球南半球の対立とか、そういうのも、実はこういう自然の摂理を思い出したら、あっさり解決するんとちゃうの、と思うんだけど。
付け加えると、スペイン語で「太陽」は男性名詞、「月」は女性名詞だ。アダムとイヴも男と女でしょ。当たり前だけど。
だからオバマ大統領は、黒人と白人のハーフなんじゃないのかな。

1月 032013
 

そういえば俺がパラグアイにいた時に、伊藤先生という日本でずっと教師をやってたという人と友だちになったが、なんか面白い人だった。仕込み杖(?)みたいなのを持ってたり。俺もいろいろ美味い食べ物屋を探して教えてあげたりしてた。
んで彼が言ってたが「教師ってのは敢えて憎まれ役になることも必要なんだ」とのことだった。
「なるほど」と思った。

1月 032013
 

俺が高校生だった時、親父がウンベルト・エーコの「薔薇の名前」という小説の上下巻を買ってきたので、試しに読んでみたが、難しすぎて何がなんだかわからなかった。著者は記号論学会会長という人物らしいが、高校生の俺には難解過ぎて読めなかった。
けど、随分経ってから、ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターが出た映画版をレンタルして見た。そしたら結局何が言いたかったのかというと、「(聖職者が)知識を独占しているのが悪い」という内容だった。「あ、なーんだ」と納得した記憶がある。んで、薔薇の名前って何のことなの、というお話だが、あれはラストシーンで「ナントカカントカ・・・・her name.」と言ってるので、「あーあの女の人のことだったんだね」と思って、こっちはある意味ちょっと「拍子抜け?」した。
これは思うに、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」へのアンチテーゼみたいなもんじゃないかなあ、と思ってしまう。市民ケーンはとにかく全映画中の最高傑作であるという評価が揺るぎないが、おそらく全人類のほとんど全ての人は「意味わかんねーよ」と思ってるはず。俺も同様。オーソン・ウェルズの映画なら「第三の男」のほうが普通に面白いしわかりやすいし、市民ケーンは意味がわからない。
で、その『薔薇のつぼみ』って何のことだったの、というお話だけど、浪人時代に駿台寮の隣の部屋だった奴に借りて読んだ本に『新聞王ハーストの愛人だった少女の陰核のことである』と書いてあった。