心理戦ねぇ(汗

日本のチヨダ軍団の「心理戦」は、下から煽って煽ってコントロール~である。それもそのはず、拠って立つユング心理学が「心理コントロール術」だから。対象を煽って煽って「~だと『思い込ませ』て」、その結果何らかの行動を起こさせる、という。これまで有名人たちが取り巻きにノセられて煽られて操られて、最後に持ち上げられて↑落っことされた↓のと同じ。
去年ガーシーとかいう反社カスが頻繁にTVで報じられて「~は勘弁して下さい」と泣き真似してたが、あの時Yahooニュースに「心理戦はまだ続きそうだ」と書いてたので、え、これが心理戦のつもりだったの!?と逆に驚いた記憶。あれも結局「~だと思い込ませる」の一環でチヨダ軍団の手法。

心理学は他人の心理をコントロールするための学問じゃなくて、他人の心理を推測するためのもの。誰だってまともな家庭なら「他人の気持ちがわかる人になりなさい」と教えられるけど、あれと同じ。学問をやろうがやるまいが、他人の気持ちがわかることが心理分析。他人の気持ちをわかった上でどう接するか、が人のあり方。
他人の心理を推測した上で、それをコントロールするために集団で煽って煽って操るのは心理の学問でも何でもなく、ユング派とはまさにこれ。

だから「心理戦」もさ、たぶん他の国では全然違うセオリーだと思うよ。事実これまでチヨダ軍団のはみんな見破られてるし。「~だと思い込ませる」っつーけど、事実はこうだとわかったらんなの思い込まない。
以上、チラ裏。

キーワード会話について

ガスライティング/集団ストーカー犯罪の具体的手口について書いてみる。
典型なのは「キーワード会話」で、これは標的である人間の近くで複数の人間が会話をし、その会話文中に「特定のワード」を混ぜるというもの。以前書いたようにそのキーワードはあらかじめ一個人に「刷り込み」をしておく。一個人に同じ単語を執拗に浴びせて、その語を聞くと「自分のことを言っているのか」と反応してしまうように、日常生活で前もって工作をしておく。そして任意の場所で複数の人間が会話をしながらそのワードを会話文中に混ぜ、耳に入った一個人が自然とその会話に反応してしまい、集中力を削がれてしまうようにする、というのがキーワード会話。
もちろんそのワードは「一個人のプライバシーに関するもの」「一個人本人しか知らないもの」の場合もある。そういう語のほうが聞いた本人は当然「なぜそのことを知っているんだ?」と不安になるので、効果は倍増する。この行為の目的は「一個人の集中力を削ぐため」であり、同時に「監視されていると思わせるため」なので、実行は一日一度でよい。もしくは一個人が遠出をした時や重要施設にいる時に行われることが多い。また会話文中でなく、外で少し離れた場所から大声でキーワードを叫ぶ場合もある。
学校や職場などで「実行者が一個人より精神的に優位に立つため」に行われる場合もある。もし初対面の相手が会話中にキーワードを(不自然に)混ぜてきたら、一個人は「こいつもあいつらの仲間か」と思うし、相手が何らかの集団・組織の一員だと思うから、その後の人間関係で実行者は圧迫的な精神関係に立つことができるからだ。そういう目的でわざと実行し、一個人を精神的に排除するのもよく行われる。
付け加えると、キーワードは言葉でなく共通の「音」や「声」、例えばクシャミや咳や口笛などが使われる場合もある。どこに行っても周囲で同じ音声を立てるのもよく使われる手法。

そしてこの行為の特徴は、実行者が絶対に反撃されない状況で行われること。もし一個人と実行者たちのみしかいない場所で行われたら、一個人は実行者に詰め寄って口論になったり喧嘩になったりするが、実際は周囲に他の人がいて「世間体的に」反撃しにくい状況で行われる。客がたくさんいる店で買い物中とか、食事客がたくさんいる店で食事中とか、人がたくさんいる映画館で映画を見ている最中とか、そういう周りに人がいる時なら、実行者はいざとなったら周りの人を味方につけてしらばっくれられるし、もし喧嘩になったら「言いがかりを付けられた」と警察を呼んだりできる。つまり一個人を挑発して警察に逮捕させるのも目的である。もちろん学校や職場なら喧嘩をしたら退学や退職になってしまうので、それを狙って行われることもある。
 

個人的な印象では、実行者が一人の時に一対一で詰め寄ると、ビビって隠れたり逃げたり言い訳したりなど、反撃すらしてこない本当の腰抜けが多いような気がする。また会話中にワードを混ぜる以上常に複数で行動するのも、一人で何もできない腰抜けの典型パターンのように思う。それにキーワードを(不自然に)発話した時点で「自分は何らかの集団・組織の一員だ」と宣言したのと同じことだから、自分で正体をバラしてるだけなので、後になって困ることになる。
これが「特定の人種」によるものなら、まさに「戦争に行けない逃亡人種」「兵役逃れ」に相応しい行動パターン。

精神科に通院してる人に言いたいんだけどさ

ずーっと思ってるんだけど、精神科に通院してる奴は考え直したほうがいい。
あのさ、心の問題があるからって、なぜいちいち他人に頼ろうとするの?そりゃ「悩みがあるから相談に乗ってほしい」というのは判る。でもその相手が精神科医ってのがおかしい。だって医者だってただの人間だし、判らないこともいっぱいある。
そもそもなぜ医者に相談するかといったら「専門家だし~」という理由だろうけど、専門家といったってただの「医学マニュアルに書いてあることをそのまま履行してるだけの単なる人間」で、そのマニュアルに間違ったことや嘘が書いてあったらどうすんの?という発想はないのだろうか。実際に他者をコントロールするために嘘を言うことだってあるのに。
昔どっかで「ナチス式対話術」とかなんとかいう本を見たことがあるけど、そういう「対話のテクニック」を使ってクライアントを煙に巻こうとするのが精神科医や特にカウンセラーで、彼らは心の病気を治すというんじゃなく相手の心をコントロールするために心理を研究している、それが現実。だから彼らを信用しきって相談すると、簡単に騙されてしまう。「権威のある人が嘘なんてつくはずがない」というのは、人が良すぎ。

別に心理学を専門に学んだこともないし、フロイト理論について勉強したこともなく本を多少読んだ程度だけど、でも「問題がある際に他人に依存してしまうのを否定する考え方」とあったぞ。だから何か心に問題があったらいちいち精神科~というのが変。ただの人間が医学マニュアル通りに受け答えしてるだけで、彼ら自身は神でもなんでもないし、判らないこともいっぱいあるし、そしてとにかく「薬を飲め」の一点張り。
事実、精神科にずーっと通っても良くならないだろ?それを医者は「薬が足りないからだ」「あなたの心に問題があるからだ」と言うのみだが、実際は単に精神科なんて頼りにならないから良くならないというだけの話。

もし悩みを相談したいのなら、寺の住職とか教会の牧師や神父に相談するとか、他にも人生経験の豊富な人に相談するとか、本来そういう選択をするべき。もしお釈迦様がいたらお釈迦様に相談すればいいし、キリストがいたらキリストに相談すればいいけど、実際はいないから、じゃあ自分で本を読んで勉強するなりすればいいしそういう本はゴマンと売ってるんだから、自分で努力しろよ。
いわゆるメンヘラの人と話すと、自分がメンヘラなのに酔ってるというか、いちいち「私は精神病だから仕方ないんです」とか、「こうこうしたらいいんじゃないの」と言っても「いえ私は精神病だから無理なんです」と繰り返す人とか、なんというか「自分は精神病だ。だから諦めて精神病でいよう」と嬉々として通院してる人によく会う。なぜ自分が病気だと思うなら、病気を克服しようと思わないのか。言うまでもなく「病気は自分が治したいと思わない限り治癒しない」から。
よく考えようよ。

入院者を心理的に屈服させるノウハウ

精神病院に入院させられる場合、それが短期だろうと長期だろうと、病院側は患者を心理的に屈服させて言うことをきかせる必要があるのは当然。そのための典型的なテクニックに、保護室に入れる、がある。
保護室は3~4畳ほどの狭い密室で、簡易トイレと寝具のみが置かれていて、定時に食事と投薬が行われるだけ。そして特徴としてナースコールが無い。普通の病院なら看護師を呼ぶためのナースコールが必置のはずだが、精神科にはその義務がないので、保護室にもナースコールが設置されていない。これがミソ。
建前上、保護室というのは「精神的に興奮している患者を落ち着かせるために一時的に収容する」部屋となっている。だから当然、部屋の壁を叩いたり、扉を叩いたり、室内で大声を出したりすると、それは「興奮している」とみなされて保護室から出してもらえない理由にされてしまう。しかし保護室にいても当然、患者は種々の用事で看護師を呼ばねばならない場合がある。トイレの紙が切れたとか、体調が悪いとか、水が飲みたいとか、その他。ではそういう場合にナースコールが無いならどうしたらいいのか?と言ったら、大声を出して看護師を呼ぶか、それで来なければ部屋の扉を叩くとか、それでも来なかったら渾身の力で扉をガンガン蹴りまくるとか、そうやってナースステーションに意思を伝えねばならない。だがこういう行為を取ると、病院側は「患者はまだ興奮している」と言いがかりをつける口実にして、結果的に保護室留置が長引くことになってしまう。
本来ナースコールを設置しておいてそれを押したら看護師が即来るのが病院のはずなのに、精神病院にはそれが無いので、患者は大声や騒音で看護師を呼ぶしかなく、しかしそれをすると結果的に「まだ病状が悪いまま」とみなす口実にされてしまい逆効果・・・。つまり何か問題があってもひたすら我慢して保護室内で耐えていなければ、そこから出してもらえない。こうやって病院側は、患者を心理的に屈服させようとする。
その「扉をガンガン叩く」際も明らかにナースステーションに聞こえているのに、看護師はわざと聞こえないふりをして、一定時間が経たないと来ないことが多い。その時間も適当に長短コントロールしてすぐ来たり来なかったりする。そうやって患者の心理状態を不安定にすると同時に、看護師は「患者に舐められないようにする」というか、正確には「わざと信頼関係を結ばないようにする」テクニックを使う。患者は「こないだはすぐ来たのに今回はなかなか来ない。どうなってるんだ」と不安に思い、看護師を信頼できなくなり、その結果看護師が患者に対し心理的に優位に立ちコントロールしやすくするのが目的。当然扉をガンガン叩く回数は増えていくから、病院側が「まだ病状が悪いまま」と言いがかりをつける口実は更に増す、というわけだ。
こういう「看護師が患者より心理的に優位に立つための」テクニックにはいろいろあり、例えば食事をたまに部屋の入口から持ってこずに反対側の差入口から入れてみたり、他にも患者がトイレで用を足している最中に持ってきてわざと床に置いたり、布団を「季節が代わった」と理由をつけて一枚取りあげたり、他にも。
結局、日本の精神病院というのは「合法的収容所」だから、そこに収容されている「患者」を心理的に屈服させるのが病院側の意図で、事実ある病院では「政治犯が収容されている」と聞いたことがあるし、中には糖尿病患者に対して投薬を禁じられているジフレキサを入眠前に眠剤と称し処方した例も知っている。
もう繰り返すまでもないが、日本の精神医療は医学でもなんでもないのである。

”奴隷薬”は実在する?

「イスラエル秘密捜査事件の真相」というブログがある。
https://nobuaki22.seesaa.net/
http://www5e.biglobe.ne.jp/~NOBUAKI/

ここで「奴隷薬」というのが取り上げられている。
日本の精神科はとにかく「薬を飲むことを金科玉条にする」が、当然「なぜ向精神薬を飲まねばならないのか?」と疑問を持つ人間(患者)もいる。だが気がつくと皆が飲むようになる。俺自身の経験から言うと、通院を繰り返すうちに、いつの間にか「疑いを抱くことができなくなる」というか「精神的な抵抗力を削がれてしまう」感じだった。つまり医師の言いなりになるという「精神的奴隷化」をされていた印象。
上記のブログの内容は虚偽が意図的に混入されているようだが、実際「奴隷薬」は存在する、というのが俺の意見である。それは向精神薬、おそらく一種類や二種類ではないだろうが、それに”ある成分”が含まれていて、それを服用することで「他人に反論する意思が削がれてしまう」「他人に反抗する意欲が削がれてしまう」ようになり、結果的に精神的な奴隷にされ医師の言いなりになってしまう・・・そういう”成分”があるはず。それがイコール奴隷薬だろう。

日本の精神科医が「薬を飲むことを金科玉条にする」のは周知の事実で、仮に飲まない者(患者)がいたら、例によって病院に家族と一緒に呼び出して飲むことを強制したり、家族に命じて本人の食事にコッソリ混ぜさせたり、無論「言うことを聞かないから」という理由で強制入院させたり、ありとあらゆる手段を使って飲むことを強制する。言うまでもなく「向精神薬を飲まねばならない法的義務は存在しない」がそんなのはお構いなし。

日本が精神医学界や薬剤メーカーの食い物・実験場にされているのは、世界の精神病床の25%が集中していることからも自明で、もちろん風俗店で強制売春を強いられたりAV出演を強制されている女性が精神病になっているケースも多いし、以前「うつはこころの風邪。悩みがあったらすぐ病院へ」などと国民に精神科通院を奨励するTVCMを放映していたのを見ても、国を挙げて精神医学界にご奉仕する体制。なにせ「統合失調症は100人に一人が発症する」というとんでもない与太話を公式にアナウンスしている国である。
以前述べたように、薬剤メーカーはフランスとスイスの「社会ダーウィニズム/優生学派閥」が強いので、その利益のための餌場になっているのが日本国である。広義の意味で覚醒剤もドラッグも「薬剤」だが、MEDICINEの語源である一族との関連など知らん。市民に言うことを聞かせたいならそれこそ「奴隷薬」を使うだろうし、精神病患者で実験するのも自然だろう。

紹介状制度が諸悪の根源

一度精神科に罹ってしまうと、下手すればず~っと一生付き纏われる。これは自分で通院を止めても「保健所に連絡する」と脅されて、連絡されたら拘束されて強制入院させられてしまうので、結局通院を続けざるを得ない。また免許証を更新するのに医師の診断書が必要だとされてしまえば、仮に通院を止めたら診断書が貰えなくなるので、やはりそれを貰うために通院を続けざるを得ない。
こういう感じで、この国では「一度精神科に罹ってしまったら普通の生活が送れなくなる」仕組みがあちこちに張り巡らされている。そして基本的に「精神病は一度罹ったら完治は不可能」とされていて、医師も「上手に病気と付き合いながら生活しなければならない」と公言するので、精神病院アリジゴクから逃れるのは極めて困難である。

これを支えるのが紹介状制度で、もし別の病院に転院しようとしても、その際「紹介状を持参してくるように」要請される。おそらく紹介状なしに転院を受け付ける精神科というのはほぼ皆無ではないか。この紹介状は密封されていて、中に何が書いてあるのか確認することができない。その文字も(わざと?)読みにくいようにミミズがのたくったような文字で書かれることが多く、では何が書いてあるかを実際にどうやって伝達しているのか?が疑問である。
言うまでもなくこの内容には事実無根のことも平気で書かれる場合があり、俺も転院先で身に覚えのないことを言われたことがあるし、「病状」が深刻だとあれこれ尾ひれをつけて書かれるのも普通。医師によって短文のこともあれば、長文や超長文の場合もある。そして密封されているから患者が確認できないのをいいことに、事実上の「手配書」のような機能を持つと、個人的には思う。患者本人の観察記録でなくその家族からの伝聞情報も書かれるので、それに尾ひれがついて「どこからそんな話が出たのか」という言葉が医師の口から出ることもある。

繰り返すように日本の精神医療は「気に入らない奴」を監視下においてコントロールするのが主目的なので、一度精神科に罹ってしまったら最後、何年何十年後まで「密封された手配資料」である紹介状に書かれたことを前提に医師が接してくるので、もはや普通の自由な生活を送ることは事実上不可能に近い。もちろん医師の裁量次第なので、本人が「気に入らない奴」でなければ解放される可能性はあるかもしれないが。