それでも地球は回っている

本ウェブサイトを一覧してもらえればわかる通り、俺は飛行機が好きだ。ずっと昔まだ小学生だった頃、当時本屋によく売っていたポケットサイズの「○○大百科」というシリーズの中に「軍用機大百科」という本があって、それは飛行機の中でも軍用飛行機つまり戦闘機や攻撃機を写真付きで紹介している本だった。その本を親に買ってもらいたくさんの戦闘機の写真を見ているとものすごく興奮し「かっこいい!!」と思った。当時はテレビの「○○ロードショー」とか映画を放映する番組においてしばしば世界の戦闘機を紹介するプログラムが放送されることがあり、それを観ている時もやはりものすごく興奮した。とにかく「ものすごくかっこいい」と思い、それ以来飛行機(軍用機)がとても好きになった。

「航空ファン」「エアワールド」とか「丸」とかの航空(軍事)雑誌をその後頻繁に買っていたが、俺が中学生の頃に「F-19ステルス戦闘機」というのがよく話題になった。謎のベールに包まれたアメリカの最新鋭戦闘機で「レーダーに映らない」というのでかなり話題になっていたが、その実際の姿を見た者は誰もおらず、想像図として頻繁に画像が紹介された。それは「レーダーに映らないようにするためには機体を丸くする」という前提で描かれたものだったと思う。というか俺のような素人は「丸い機体ならレーダー波が反射しないからこうなってるのか」と単純素直に思ったし、多分世界中の人たちは全員そう思っていたはずだ。

その少し後、何の機会だったか忘れたがアメリカがステルス戦闘機の実機写真を公開した。そしたら皆驚いたが、丸い機体の正反対で角ばった機体だった。現在「F-117Aステルス戦闘機」としてよく名前を聞くあれだ。多分世界中の飛行機ファンが皆驚いたしもちろん俺も驚いた。いやだって「丸い機体ならレーダー波が反射しない」とみんな言ってたのに実際には「角ばった機体ならレーダーに映らない」ってのはどういうことなんですか、話が違うじゃないですか、と世界中がビックリした。この件について当時の航空雑誌に「今までステルス機は丸い機体をしているというのが定説だったのは実際の機体をカムフラージュするための情報操作だったのか」とか書かれてたのを覚えている。確かにSR-71は丸いフォルムをしているし、あれの発展系として皆例の画像を想像してたはずだ。F-117Aのステルス理論とかは俺はわからんが、とにかくそれ以来「ステルス=直線的」というイメージが定着したような気がする(多分)。B-2も直線的だしF-22も直線的だし、逆にロシアのSu-27は曲線的なフォルムをしているがステルス性が無いと言われている。そんなわけで、正にコペルニクス的転換という感じで俺の中学時代にステルス騒動(?)は一段落した。

話は変わるが、数年前から闇金融の話題が頻繁に取り上げられる。(日本の)夕方のTVニュースを見てると一時そればっかりやっていた。けれど闇金の話題が持ち上がる直前まで、TVの特に夕方のニュースで連日やっていたのは「マーキング」というやつだった。あれはつまり訪問販売の奴がマンションやアパート等の集合住宅へ来た際に、その家(部屋)の扉付近に意味不明&奇妙なマークを描き記していくというものだ。マーク(記号)を見ても何のことだか誰も意味がわからず、住人は気持ち悪いとか不気味だとか皆言っていた。番組内のコメントでは「訪問販売員が家(部屋)の住人の情報を後続の仲間に伝達するための独自の記号では」と言っていた。

歴史の本には「胡散臭い系の本」があるのは以前書いたが、それ系の本には「サンカ(山窩)」を扱ったものが大変多い。俺もそういうのは見かけたら読む方で、まあ大抵の本は三角寛の著作に拠る内容だろうが、中には興味深いことを書いているものもある。
以前読んだそういう本に「サンカは『符牒』というものを使っていて、仲間にその地域の情報を伝達するためのもの」と書いてあった。サンカというのは漂泊民として認知されていて、山の中を漂泊しながら箕作り等をしているとどの本にも書いてある。そういう漂泊の過程でどこかの村や集落に立ち寄った際、そこの情報例えば住民の性格とか何が盗み易いとか仲間への注意事項とかを後続のサンカに伝達するため、地面や樹木などに仲間内だけで通じる記号(符牒)を描く文化を持っている(いた)、とのことだった。
基本的に「漂泊民=常民の逆」みたいなイメージがあるが、現実としてそういう言わば不可触な存在に関して正確に全部わかっている者はいない。もしいてもそんなのを公表することはしないし出来ないので、今でも尚そういう存在である人々は謎のままだ。よってその代表としてサンカ(山窩)の名が挙げられてもそれに関してさえ正確なことは誰も知らない。俺の印象としては日本という国はいろいろな部族の集合体だと思うので、常民にもいろんな種類があって漂泊民にもいろんな種類があって、それは某団体の研究者でも認めるところだが、そういうのの一つとしてサンカというのがいたのかもしれない。その名前ばかりが異常なほど取り上げられて漂泊民の代名詞になっているが、もちろんこういうのも冒頭で述べたステルス同様何かのカムフラージュかもしれないし多分そうだろう。
ちなみに「山窩」という語は元々警察用語で「山の窩(あな)」という意味だそうだが、奈良時代頃の文献に「クグツシサムカ(傀儡子山窩)」という言葉が出てくるという話もある。幾つかの本屋に売ってる本を読んだ限りでは、「サンカ(山窩)=常民の逆=漂泊民の総称」みたいに結構強引に一括りにしたがってるような感じがするが、ここまでこの語が有名になったのはやはり三角寛が戦前にサンカ小説というのを流行らせたかららしい。俺は当時まだ生まれてなかったしその辺の詳細は知らないが、五木寛之の小説にもそういうのはあったし、やはり「不可触で知られざる存在」への関心は誰でも持っていてそれを題材にすると興味を惹くものだ。

そして興味深いことに、海外の漂泊民であるジプシーも全く同様の文化つまり符牒を持っている(いた)そうだ。彼らは現在でも「物を盗む」としてマイナスイメージを持たれているようだが、元々漂泊してどこかの町や村などに入った際、後続の仲間に情報を伝達する目的で同じように記号を描いていたという。こういうのを聞いて「じゃあジプシーとサンカは元々同族で西と東に別れたんだ」と思う者もいるが、そういうのを「短絡的で歴史にロマンを求めている」と考え「どこにでも似たようなものは現れるのだ」と言う者もいる。どっちが正しいのかはわからないし真偽を証明する手段も無い。ただ「自分が理解出来ない」とか「そんなのあるわけがない」と考え、否定する根拠も無いのに何かを否定するのは更におかしい。最近「トンデモ」という語が市民権を得て普通に使われるが、そもそもこの語を普及させた何某は何かを否定する根拠を持っていないように見える。「可能性」が0%というのは逆に殆どあり得ないので、何に関しても推定無罪的な態度で接するのは基本であり重要であると強く言っておきたい。

話を現在の訪問販売のマーキングに戻すと、こういう記号は昔からある符牒=一種の暗号と同様であって、じゃあ何故同様の発想が関係無いところに現れるのかといったら、現在の訪問販売をやってる連中が所謂サンカ等の不可触な存在と関係があるのかもしれない。言うまでもなくこんな商法をやってるのは胡散臭い連中なので、もしかしたらあるかもしれないとは言えるだろう。しかしその真偽を証明する方法は無いし、もしかしたら全然違う深遠な意味で描いてるのかもしれない。ひょっとしたらそのマークは宇宙人の文字で、プレデターみたいに姿が見えないのかもしれないのだ。つまりわからないことなんて世の中にはまだまだ腐るほどある。一説によれば、昆虫は地球の生命の歴史上突然現れるので、隕石にくっついてきた宇宙生命体だと言う者までいるのだ。もしそうだったら俺たちが学校で習ってきたのは全部間違いで、F-19(の想像図)とF-117Aがまるっきり違う形をしててみんな驚いたのと同様に「いや聞いてた話と全然違いますよ」ということが起こるかもしれない。

とまーここで結局何が書きたかったのか結論すると、ベルヌーイの定理つまり飛行機の飛ぶ原理が覆されるかもしれないという話をインターネットでちょっと読んだからだ。「飛行機の翼面が上面は膨らんでて下面は平べったい」というのは俺も知ってるが、高校時代理系科目のテストで0点を10数回とった俺にはベルヌーイ理論の説明なんて不可能。けど何となくわかっているつもりだ。要するに「流速の速い遅いで圧力が変わる」って話だろ?とにかくこれが100年ぶりだかで覆されるかもしれないという話で「水道から出ている水に手を近づけると水が曲がって手の表面を流れる」ことから説明出来るとか何とかそんな説みたいだが、もはや因数分解さえ忘れた俺には理解不能だ。けどそんな感じで「人類の定説」になってることでも覆されたら面白いし、ず~っと昔のイタリアで「それでも地球は回っている」と言った(らしい)人の例もあるので、この説を唱えた人=デビッド・アンダーソン氏が世界中を平伏させてほしいなーと思っている。ウェゲナーだってフロイトだってシュリーマンだって最初は気違い扱いだったんだから、やっぱり「結果オーライ」なのだ。というわけで俺もそうありたい。

[2008/12/20]

噂を広める実験?

俺が小学生の時に、子供たちの間でいろいろ「不気味な噂」が流れる、ということがあった。
例えば「サザエさんが終わる。皆が乗った飛行機が墜落して海に還る」とか、「ドラえもんが終わる。実はのび太は植物人間であれは全部のび太の見た夢」とか、「ファミコンの高橋名人がインチキをやってて逮捕された」とか。
こういう「不気味な噂」が子供たちの間で複数流れるという出来事が起こり、これは俺が当時読んでいた「ウータン」という学研の科学雑誌でも「最近子供たちの間で不気味な噂がいろいろ広まっている」と特集されていたのを覚えている。
俺が不思議だったのは、当時俺の住んでいた場所というのが「陸の孤島」みたいなところで、他所との交流がなく、他地域とも離れた場所にあったのに、それでもうちの小学校の生徒の間で噂が広まったことだった。だって他の場所から情報が入ってくることがない場所だから、噂の発信源はどこなの?と不思議だった。
これは今考えると、あくまで推測に過ぎないが、何者かが「噂を広める実験」をしていたのではないか、と思う。それが誰だったのかは知る由もないが、知識も教養も未成熟な子供たちの間でどれだけ噂を広めることができるか、という実験だったのではないか。当時何某かが、日本中の子供たちの中にいる「手下」に、意図的に同じ噂を流させ、その結果日本中のどこでも子供たちの間で同じ噂が流れた・・・というのが真相じゃないかな?俺はそう思っている。それが何を意図した実験だったのかは知る由もないが。
他にもテレビを見ていて不可解に思ったことがある。それは十数年前に、訪問販売のマーキングのことを盛んに特集していたことだ。一時夕方のニュースはその話題で持ちきりで、「訪問販売員が家の扉に不可解なマーキングを描いていく」とやっていて、毎日そのことばかり特集していたのに、ある日突然「ヤミ金問題」を報じるようになり、それ以来マーキングのことはパタッと取り上げなくなった。そして毎日ヤミ金のことを報じるようになった。
このマーキングというのは、要するに「符牒」で、古代史の本なんかを読むと、いわゆる漂泊民(サンカ)が、後続の仲間に地域の情報を伝えるために使っていた、と書かれていたのを覚えている。他にもジプシーが使っていたとか。今はどういう者たちに使われているのかなんとなく想像はつくが、訪問販売を行っているような連中のルーツを辿っていけば、元は漂泊民みたいなものだろうから、じゃあなんでそれを報道するのを突然不自然な形でやめたの、と勘ぐりたくなる。
俺があまり見ている人もいないこのブログにこういう事を書いたところで大した影響力はないだろうが、確かにマスコミや宣伝省にとって、ネットは危険な存在かもしれないね。2ちゃんねるくらいしか発言の場がなかった一昔前はともかく、SNSで大勢の人がネットに影響されるようになった現在は。だから為政者は、デジタル庁なんてのを作って規制しようとしてるんだろうが。

[2021/05/11]

過去に書いた古代史関連の文章について

※まず最初に以下を読まれたし。

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若い時に読んだ本に強く影響されてしまう、というのは誰でもあって、人によってはそれで右翼になったり左翼になったりするんだけど、恥ずかしいことに俺は「新國民社の本」に影響されていた。
新國民社は古代史関係の本を主に出版していた会社で、いわゆる「八切止夫みたいな」論調の本ばかり出していた、といえばわかりやすいかな?要するに胡散臭いというか、「偽史」みたいなのを大真面目に取り上げる会社である。
その著者の代表が鹿島昇で、知っている人は知っている、ある意味有名人だ。俺はこの人物の本を高校時代にたまたま古本屋で見つけて読んでみて、ものすごく衝撃というか、「えーこんな事実があったの!?」と驚愕して真に受けてしまったんだよね・・・。まあ仕方ないよね。まだ10代のすごく多感で未熟な頃に、こういう感じの本をいきなり読んだら、そりゃ影響されてしまう。
そのため俺はその後長い間、新國民社の本に書かれているような内容をずーっと信じていて、おかげで大学時代は授業を聞いても理解できなかったり、人と話してもトンチンカンなことを言ってしまったり、すごく悪影響を受けて苦労してしまった。その影響から脱却できたのは割と最近である。
だからこのブログの「古代史関連」の文章を読んでも、しばしば「ハァ?」という記述があると思う。ぶっちゃけそれは、新國民社の本の影響なのだ・・・(恥)。

前置きが長くなったが、最近になって鹿島昇についてネットで検索してみると、「韓国民団や統一教会が関係している」と書かれていたりする。例えばこのサイトとか。

https://ameblo.jp/39630110mpd/entry-12216420176.html

今思うと確かにそんな気がする。だって、やたらと「日本の~~は朝鮮起源」とか「日本古代史は朝鮮史をパクって捏造した」とか主張したり、「徳川家康は元々奴隷商人だった」とか日本の価値を下げようという主張をするし、果ては「日本人は奴隷に最適な民族です」って断言したり。昔はリベラルな奴とか思ってたけど、今考えるとものすごく変な奴だ。
それになぜか韓国の大学の教授を呼んできてシンポジウムを開いたり、明らかに偽書である「桓檀古記」なんてのを宣伝しまくったり、確かに韓国とか朝鮮の手先にも見える。

そしてもう一つ鹿島昇の特徴は、オカルティックな論を大真面目に論じるところ。特に日猶同祖論に関して、明らかにインチキなソースによる話を真剣に語る。例えば「大分の国東半島に東表国がありオッフルと呼ばれていて~」と言うが、これは国東の土着の蛇神であるトウベウと、オッフル・マズド(アフラ・マズダー)の組み合わせだろう。つまり国東半島にイラン系の文化とか蛇を敬う文化があった、と誰かに聞いたんだろう。他にも「現在の熊本県に多婆羅(たばら)国があり、製鉄系の国家だった」と言うが、これは田原坂(たばるざか)という地名があるのと、現在のトルコ東部にTABALという地域があり古代のヒッタイトがあった場所なので、タバルと製鉄で繋げたんだろう。
他にも、聖書のダゴン神殿の「ダゴン」と檀君朝鮮の「檀君」が音が似ているので同じだと主張したり、大物主をオーモンと読めばソロモンと同じだと主張したり。要するに日猶同祖論で登場するいくつかの要素を、似た者同士で繋いでしまっているケースが多々見られた。
こういうのは今になったらわかるけど、10代のころにはわかるわけもなく、俺はコロッと影響されてしまったんだよ・・・(恥)。

だけど確かに面白い記述があるのも事実。「なんでそんなこと知ってるの?」と訊きたくなるようなことが書かれているのは確かで、そういうのは今でも不思議に思う。
例えば「日本にはシノガラという秘密結社があって戦後の日本を支配していて~」としつこく書いてて、例えばロッキード事件の政治家がどうだとか、どこかの大学の総長がそうだとか何度も書いてる。そんで何かにつけて「サンカ」という単語を出し、日本のどこどこに彼らが多い~という地図が載ってて、見るとなぜか東海大学の付属高校がある場所だったり(笑)。あと板橋警察署にサンカの資料が大量に保管されてるとか、彼らは大きな河川をエリアの境界にして別れて住んでるとか、だから河川敷を土地転がししてる何某は~とか。他にも、木下藤吉郎は木影(このかげ)という忍びの出身で、元々「川の民」だったから墨俣一夜城ができたのだ、とも。真偽は不明だけど確かに面白いのは事実。
他には「日本が明治時代に朝鮮に侵略したのは、現地の歴史書を奪って焚書して、真実の歴史を隠すため」と言ってて、その時に奪った歴史書は天理大学の付属図書館に保存されているとも書いてた。
鹿島昇は「日本に文化をもたらしたのはとにかく朝鮮である」みたいな考えなので、もちろん天皇も朝鮮半島から渡来したと主張してた。「韓国では日本の天皇が百済の出身であることは国民的常識です」と言ってたけど、これはたぶん朝鮮の百済のエリアに「扶余」という古都があるのと、江上波夫の騎馬民族征服王朝説で沿海州の「扶餘」という国が出てくるので、両者を繋げたんじゃないかな。

個人的に一番面白いと思ったのは、鹿島昇とか八切止夫とかの対談文だったかな?そこに「祇園というのは、古代イランのスサで総督をしていたのがユダヤ人で、そこではGIONという神が祀られていて、スサはヤサカ川の流域にあり~」と書かれてて、これは実際に大学時代に俺の研究室の教授に話したら「僕も聞いたことがあるんです」と言ってた。
あと「朝鮮半島の南東部の、新羅があったエリアの〇〇道(名前失念)の出身者たちが、南北朝鮮両方の軍部の指導部になっているので、南北朝鮮はいつでも統一できる」と断言してた。これはその教授も知ってたし、パラグアイの日本人会の人も知ってたので、有名な話のようだ。

あーあと一番面白かったのは、「大分の国東半島で、九州大学の研究者が地元の居付サンカの某氏に製鉄遺跡に案内され、古い鉄剣を発見し、C14で測定したところ紀元前3世紀に製造された物だと判明した」と書かれてて、その研究者の名前も鉄剣の写真も載ってて、「現在国東半島の民俗館に展示されています」と書かれていた。それで学生時代に国東半島の役場に電話して聞いてみたら「そういうものがあると聞いたことはありますが、どこだかはわかりません。超古代史に関心のある人が問い合わせて来ますが~」って言葉を濁された。
これは国東半島に非常に古い文明が存在した、という論の根拠にされているようだ。本当ならすごく面白いけど。

あとは、新國民社の書籍リストを見てもわかるけど、なぜかこの会社は「東京相互銀行」というのを目の敵にしていた。鹿島昇以外にもいろいろ書いてる人がいて、一体なぜだろうと不思議だった。いわく「サンカ系の銀行」「女子行員を売り飛ばしてる」とか、ホントなの?と思ってたけど、小泉政権の時にその頭取だった長田庄一という人物が逮捕されてたので、あーホントだったのかなーと思った記憶がある。
「長田」について、神戸市の長田区は元々「長田」と書いて「ちよだ」と読んでいたとも言ってて、チヨダ族というのがいたと言い、「チヨダ族は神戸市長田から八ヶ岳や江戸や茨城を経由して、福島に異動した」と言う。これは江戸城を正式には千代田城というので、徳川家が江戸や水戸を拠点としてたことと、明治維新で薩長軍が会津藩を最後に攻めたことからだろう。以前「神戸市長田には奴らの拠点がある」と某掲示板に書かれてたが、何のことだろう?

ちなみにこの手のいわゆる「偽史」に関する本を読むと、100%登場するのが「ウガヤフキアエズ朝」だ。神武天皇の前にウガヤフキアエズ朝72代というのがあった、と全ての偽史に出てくるらしい。俺はもはや興味もないけど、昔「ウガヤ・ジャーナル」というサイトがあって、朝日新聞社員だった烏賀陽(うがや)という人物が文章を書いてて、内容は忘れたが、文中に「烏賀陽というのは珍しい姓で、京都に10数戸しかない」とか書かれてたはず。神戸市には葺合(ふきあえ)という地名があり、千葉県我孫子市には葺不合(ふきあえず)神社というのがあるようだ。

・・・とまあ、こんな感じの内容が書かれた本を、俺は未熟な10代の頃に読んでしまってめっちゃ影響されてしまい、そこから抜け出すのに苦労したのだ。しかもそれを書いた人物が韓国民団や統一教会と関係しているらしいと知って、ちょっと驚いている。であれば逆に、韓国や統一教会は日本についてこんな考えを持っている、という格好のサンプルかと思う。そして奴らが日本の古代史について「攪乱」するためにどんな説を流布しているか、という参考になると思う。
正直俺自身がそういう情報で攪乱させられてた当事者なので、反省も兼ねて書いてみました。
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・・・以上を前提に、過去に書いた文章を読まれたし。

⑬クル族について

前文明の末裔?

インド古代の十六大国時代にクルという国があり、場所はカシミールの周辺だったと伝えられている。ここまで再三述べた通り、クルはCRと書くべきで、CRESCENTの語源であるから、古代インドの月信仰の代表である。しかしアーリア人が月(三日月)信仰を元来持っていたのとは異なり、「太陽信仰に反する立場から」月信仰を標榜したのであって、純粋な月信仰とは異なる、というのが私の主張である。
古代に太陽信仰と月信仰の争いがあったとして、それが汎世界的に行われたとすると、月信仰側にクル族がいたことは疑いなく、彼らが海洋民族だったがゆえに、伝承や伝説の中では「水の中の龍」というモチーフで表される。秦氏も平氏も、加えてユダヤ人も航海民族であった。
世界中のユダヤ人の痕跡を探った所々の噂の中には、カシミールにユダヤ人の痕跡が残っている、という説もある。モーセやイエスが訪れた痕跡がある、という説もある。もちろんそれらはただの噂に過ぎず、日本にもキリストの墓伝説があるが、そういうものはモーセやイエス本人が来たという意味ではなくて、「ユダヤ人が何らかの関わりを持っていた」と考えるのが正しい。ユダヤ民族は世界中に散らばったので、世界各地にその痕跡を残している。それゆえカシミールにその痕跡が残っているのなら、そこにユダヤ人が居留していた可能性が高いということである。
私個人の意見を述べさせてもらうなら、現在の文明というのは人類にとって一度目の文明ではなく、何回目かの文明である可能性は非常に高いと思う。であれば前文明において、太陽信仰と月信仰の争いがあり、その結果前文明が滅んでしまったという可能性も否定できまい。そこには当然生き残った者もいたはずで、太陽信仰側の人々が現在のインドのアウトカーストや日本で銛を使って漁をする人々であり、月信仰側の人々がクル族の末裔であるユダヤ人ではないだろうか。クル族とユダヤ人が繋がるならば、クルという国があったカシミールにユダヤ人の痕跡が残っていても不思議はない。
地球が周期的に温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返す以上、海面の上昇と下降という現象も起こるわけで、その結果陸地の海岸線の前進と後退という現象も起こる。その結果、人類の文明が海に埋没することも当然起こるわけで、実際に海底から古代文明の遺物が見つかっている以上、数千年数万年という長いサイクルの中で人類文明が海に埋没し滅んだ、という出来事もあったはずである。古代の洪水伝説が世界共通のモチーフとして各地の文献や伝説に現れる以上、そういう出来事は確実に「一度」は起こっている。
「洪水」というのが実際の洪水だったのか、それとも世界的な大戦争の暗喩なのか、それはわからないが、少なくとも最後の洪水が起こった後、生き残ったのがユダヤ人である、というのが聖書の主張である。ユダヤ人とクル族が繋がるなら、航海民族であったクル族は、洪水の後に果たしてどこへ行ったのか。
例えばアフリカ東部のマダガスカル島は言語区分でインドと同じであり、実際に古代のシヴァ崇拝の痕跡が残っている、というのは前に述べた。つまりクル族は広範に海洋航海をしていたわけで、であればユーラシア大陸に移動した事実もあるはずだ。その中でも注目したいのはグルジア(ジョージア)で、この地名は元々「クルジア」という名称であり、シルクロードに弓月城と書いてクルジャと読む地名もあるから、つまり「弓月=三日月=クル」である。事実グルジアという国が国旗に三日月のマークを描いていた事実もある。
グルジアのあるコーカサス(カフカズ)地方には、ノアの箱舟が辿り着いたアララト山もあるから、古代に大洪水があったのなら、クル族は現在のグルジアに移動した可能性は極めて高い。現在の白人種はコーカソイドといい、コーカサス地方が起源だと言われているが、それは肌の色の白いクル族がグルジアから広まり現在の白人種になった、という事実を裏付けるものだろう。
ちなみにグルジアはスターリンの出身地であり、旧ソ連の体制がどのようなものであったかを考えれば、彼がクル族の流れを引く人間だった可能性は極めて高い。クレムリンというのもCRに由来する言葉であると思われる。ロシア革命はユダヤ人革命という色彩の濃い出来事であったと言われるが、クル族とユダヤ人が繋がるなら、その後のスターリン支配も当然だと言わざるを得まい。

八幡のルーツと弓月君

日本の八幡神は謎の多い神格で、未だに明確なルーツや「八幡」という言葉の起源なども明らかになっていない。八幡という言葉の起源については様々な説があり、中にはイスラエルの政治家が私見を述べたケースなどもあるようだが、未だ定説はない。八幡神社というのは日本で最も数の多い神社で、稲荷神社と並んで秦氏系の神社と言われる。総本社は大分の宇佐八幡宮で、製鉄神の側面もあると思われるが、航海神という色彩もある。
そもそも八幡神社のルーツは、応神天皇の時代に弓月君が秦氏を引き連れて日本に渡来し、秦氏がその恩に報いるために応神天皇を祭神にして日本各地に八幡神社を建立した、と言われている。この弓月君だが、弓月国から百済を経由して日本に渡来したと言われているが、そもそも弓月国というのはどこであるか。
再三述べてきた通り、「弓月=弓型の月=三日月」である。シルクロードに弓月城=クルジャという地名があるが、おそらく弓月国というのはコーカサス地方のグルジアであり、そこからシルクロードを経由して朝鮮半島に移動したのではないか。古代にインドからグルジアに船で移動したクル族の中に存在した彼らのリーダーが、その後東に移動し朝鮮半島を経由して日本に渡来したのではないか。それが八幡という名称の神社を建立したわけだから、八幡という言葉もクル族と関係があるはずである。
インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」は、全編クル族の物語であるが、古代の核戦争を描写したのではないかと言われる記述があることからも、その成立は大変古いものだと言われる。このバーラタつまりバラタ族は、クル族にとって象徴的な存在だろう。であれば、このバラタという言葉をどこかで蘇らせようとしても不思議ではない。私の推測だが、「八幡」というのは「バラタ」の音訳ではないか。「バラタ→バハタ→八幡」という転訛を辿った可能性もあると思う。
弓月君がクル族のリーダーであり、また秦氏はユダヤ人であるから同時にクル族でもあり、彼らが自らの記憶を持ったまま日本に渡来したのであれば、その建立する神社に自らの象徴である「バラタ」という名称をつけても不思議ではない。それが八幡神社ではないだろうか。その総本社は宇佐八幡宮だが、以前述べたように大分の宇佐地方は秦氏の初期の拠点があった場所で、古代には宇佐八幡宮は非常に強い権勢を誇っていた。
弓月君がその後どういう変遷を辿ったのか不明だが、現在も日本に存在するのか、それとも朝鮮半島に移動してかつてのソ連と同じような存在になっているのか、私にはわかりかねる。ただ日本が「日出る国」を自称する以上、もし仮にその象徴が弓月君であったなら、それは虚偽(false=ファールス)だろう。イザナギが誓約(うけい)を行った際に、右目からツクヨミが生まれ、左目からアマテラスが鼻からスサノヲが生まれたが、前に述べたようにツクヨミは性別もはっきりせず記紀神話での活躍もほとんど見られない神格である。弓月君のその後の消息がわからないのと同様、日本において月神の立ち位置もはっきりしないのである。

[2021/04/05]

⑫海洋民族と三叉戟

秦河勝という名前について

「秦河勝」という名前が、モーセと同じで、「海から掬われた者/拾われた者」を意味するというのは、よく知られている。この意味だが、こういうことだろう。まず「ハタ」は古代朝鮮語で「海」を意味し、「カワ」は現代日本語の「カラ」と同じで「from」の意味、「勝」は文字通りvictoryもしくはsaveの意味で「救う」「掬い上げる」を意味すると思われる。つまり「秦河勝」で「海から掬い上げる」という意味になる。
モーセは生まれた時、葦の葉の船に乗せられて海に流され、エジプトで紅海から拾われたのでこの名が付いたが、秦河勝が同じ意味の名を持っている。そもそも「救われる」というのが何から救われるかだが、ユダヤ人が自らを苦難の歴史の民族だと“自称”し、常にそこからの救いを求めているとされていること、またその姓に「海」という意味の字を冠していることからもわかる通り基本的に海洋民族だったユダヤ人=秦氏が、海から掬い上げられるという発想を持っていること、この両者から、「救う」「掬い上げる」という名前になったものと思われる。

天皇とミカド

福井県勝山市から、新嘗祭の際に稲穂が献上された。その際、神主の役を務めたのは「門(かど)」という姓の人物であったが、カドという言葉に尊称のミを付ければミカドである。おそらくこの門という家が、古代のミカドだったのではないか。現在の天皇家がいつから日本の支配層になったかは、以前述べた文章の通り、第二層の秦氏が日本を制圧し、その後第三層の天皇家が渡来してからだと思うが、それ以前に日本列島を統治していた第一層の支配層が、ミカドだったのではないかと思われる。おそらく、海洋的要素の希薄だった第一層の日本列島をミカドが支配しており、そこに海洋民族のユダヤ系民族=秦氏・天皇家が渡来し、そこで抗争が起こり、負けたミカド側が現在の福井県に流され、稲穂を献上する役割を担わされたものと思われる。
海洋的要素に関して言うと、一番大きな違いは「船を使うか」「どのように漁をするか」だろう。第一層の日本人は、船で外洋に出る文化ではなかったと思われる。彼らが漁をどのようにしていたかだが、銛(もり)を使って魚を突き刺すという、いわゆる海人(あま)型の原始的な漁だったろう。クジラ漁も元来銛で刺して捕るやり方だが、同じく第一層の文化に属すると思う。
では海洋民族はどうかというと、当然船に乗って外洋に出て、漁にも船を使う。地引網を使って魚を捕るという漁のやり方は、明らかに海洋民族のものだ。ユダヤ人は砂漠を放浪したとかシルクロードで交易をしたとか、陸地を移動するイメージで捉えられることが非常に多いが、実際には海洋民族で、そもそもカナンは海のほとりである。ペリシテ人が海洋民族でユダヤ人とは対立していたと言われているので、その海洋性が大きく取り上げられることがないが、実際にはユダヤ人は海洋民族である。ソロモン王の時代に「ソロモンの栄華」を支えたのはその大船団で、現在の太平洋のソロモン諸島もその時代にユダヤ人が来ていたからその名が付いたと言われている。日本における彼らの主神とも言えるスサノヲも、その職能は「海原の支配者」である。

この「海洋性」だが、古代の歴史を考える上で最も重要な要素で、古代民族にどれだけの航海技術があったか、それを認めるか否かで解釈は大きく変わる。一般的に古代民族にはそれほどの航海技術はなかったと考える向きがあるようだが、それこそが「歴史を解明されたくない者」の情報操作が多分に加わっていると言えるだろう。実際には古代から航海技術は非常に進んでいたと考えるべきで、実際古代エジプトの遺跡からは巨大な構造船の遺構が見つかっているし、日本の大阪からもエジプト船の遺物が発見されている。「歴史を解明されたくない者」とは取りも直さずユダヤ人のことであるが、彼らが自らが海洋民族であったことを隠し、古代の航海技術の高度な発達を隠していることが、世界の歴史の全体像を見えなくしている一番の要因である。

新嘗祭は謎の儀式と呼ばれ、稲穂を献上する風習もその理由ははっきりしていない。もし古代に稲作民と非稲作民の抗争があり、それが秦氏・天皇家=第二層・第三層と第一層の抗争であったならば、よく言われるように「弥生人が船で稲作と差別を持ち込んだ」とすると、前者が海洋民族で稲作を持ち込んだ弥生人だということになる。新嘗祭がこの両者の戦いの勝敗によって成立した儀式であるならば、ミカド側は稲作民たる天皇家に、敗者の証として稲穂を献上しているのではないだろうか。

銛と三叉戟

日本において第一層が非海洋民族で、漁の際には銛を使っていた、と述べた。もっと言うと、この「銛」というのは「三叉戟」である。私は地球の文明を汎世界的に考えたいので、日本において第一層があったならば、世界的にも同じように第一層的な文明が広がっていたと考えたい。それが日本において海洋民族の襲来と支配によって取って代わられたならば、世界的にも同じような抗争と支配被支配の動きがあったはずである。
インドにおいてカーリー/ドゥルガーが牛の姿をしたアスラを三叉戟で殺すという神話があるが、これは氾世界的に同じ形式の神話が広がっている。牛の角は三日月の形をしており、三日月はクルで、クルは龍なので、つまり「水の中の龍を(太陽)神が三叉戟で刺し殺す神話」である。これはメソポタミアにも、バビロニアにも、アフリカにもヨーロッパにも、果ては朝鮮半島や新大陸にまで存在する神話型である。これが日本における第一層と海洋民族の抗争と同じく「古層と侵略者との戦い」を表した神話であったとしたら、古代の世界には汎世界的に同一の文明層が広がっていて、どこでも海洋民族との戦いが起こったのだ、と考えられる。
インドにおいてカーリー/ドゥルガーは色の黒い神であり、土着信仰に基づく神だと思われ、太陽信仰側に属する神格である。それが三叉戟を使って牛の姿をしたアスラを殺すのは、月信仰側の勢力を倒したという比喩である。汎世界的にその神話があるのは、古代に世界規模で太陽信仰と月信仰の戦いがあったことを示している。水の中の龍を殺す際(太陽)神が三叉戟を使うのは、彼らが漁の際に銛つまり三叉戟を使うことの比喩、龍とは海洋民族の乗った船を意味する比喩だろう。三叉戟はその「海」「漁」という最も対照的な両者の要素を端的に表すシンボルとして、ここでは現れている。
龍はクルだから当然三日月で、以前述べた文章のクル族とも関連があり、これがユダヤ人なら、まさに海洋民族たるユダヤ人が汎世界的に古層つまり太陽信仰の人々と戦いになったことを意味する。龍は邪悪の象徴だから、ユダヤ人が悪魔であることの象徴でもある。太陽信仰と月信仰の争いが、古代まで遡ることの証左として、「水の中の龍を(太陽)神が三叉戟で刺し殺す神話」は汎世界的に広がっているのだ。

尊称の“ミ”

尊称には色々あるが、その中でも「ミ」という尊称は、太陽信仰側のものだった可能性が高い。そのルーツはインドにあると思われる。例えば太陽はスーリヤであるが、SURYAに尊称のミを付けるとミスラになる。また日本において一戸~九戸までの地名は東北地方に存在するが、これがユダヤ人のコロニーだとすると、十支族でありながら十番目が無い。以前述べたように「戸」は戸来村や戸隠村に付く漢字で、ヘブライを表す可能性があるが、十番目が無いのは不自然である。もし尊称のミがそれに付いて「ミ戸」ならば、茨城県には水戸という地名がある。利根川という名称は、もし根の国というのが千葉県を表すのであったならば、戸と根を区切る川であるから戸根川となり、そこから利根川になった可能性がある。
ミスラはミトラであるが、そこから来たミトラス教が12月25日にその冬至の祭りをしていたことからクリスマスの行事が生まれたことは知られている。キリスト教が本来太陽信仰側の宗教なのは自明であるが、それが尊称のミと結びついているのは決して偶然ではあるまい。

[2017/07/22]

⑪太陽を否定する者

アスラとユダヤ人

古代のインドにおいて、十六大国時代と呼ばれた時代があり、それぞれが太陽崇拝と月崇拝に分かれて争っていた、というのは以前述べた。それぞれどの国がどちらだったのか、ということは明白になっていないようだ。しかしインドにやって来た(というのが定説になっている)アーリア人が月信仰だったのは疑いない。それはシヴァがソーマナータ=月の王という異名を持っていることや、ソーマ酒を飲む慣習があったこと等から明白である。しかしここで一つ強調したいことは、月信仰にも二種類あったということだ。一つは純粋に月を崇拝する立場であるが、もう一つは反太陽信仰からの月信仰という立場である。前者はアーリア人であり、後者はクル族ではないかと私は思う。
クルという国は現在のカシミール辺りに存在したと思われ、CRESCENT(三日月)の語源になったことからも月信仰側なのは明白であるが、彼らこそがアスラだったのではないか。アスラという語はアフラ・マズダーのアフラが変化したという定説が出来上がっているが、ASURAという綴りは、SURAに否定のAが付いた形である。SURAは太陽だから、それに否定のAが付けば「反太陽・太陽を否定する者」という意味になる。それ故に三日月をシンボルにしたのではないか。つまり純粋な月信仰ではないと思われる。そして牛の角はその形が三日月に似ているので、(三日)月信仰と角(牛)信仰は同居しているケースが多い。よって牛を崇拝するアーリア人が三日月信仰を持っていたのであり、彼らのそれは純粋な月信仰だったと思われる。まとめると、クル族がアスラであり、反太陽から三日月をシンボルにしていた。アーリア人は牛を崇拝するので角の形と似ている三日月を崇拝していた。いつの間にかそれが混同されて、両者を同一だとする誤解が生まれた。
クル族がカシミールを拠点とするのであれば、肌の色は白かったはずだ。カシミールはユダヤ人の痕跡があると言われ、イエスの遠征伝説もある。ユダヤ人というのは要するに肌の色が白い排外的な民族であるので、彼らが色の黒いインドの土着の人々を蔑み、太陽信仰に反旗を翻し、三日月をシンボルにして戦いを挑んだ、というのが真相だろう。
ユダヤ人の行う「過ぎ越しの祭」があるが、これはニワトリの頭を切って軒先にぶら下げる。これはニワトリが太陽の到来を告げる鳥であり太陽信仰のある意味シンボルであるから、その首を切って軒先にぶら下げるという、ある意味悪魔崇拝的な発想からだろう。彼らはその切り落とした首を自らの崇拝する邪神アブラクサスの頭部にして悦に入っているのだ。正に「太陽を否定する者」である。結局インドのアスラはクル族でありユダヤ人でもある、と結論づけてよかろう。

シヴァの女王

サンスクリットにおいて、語尾がAで終わるものは男性名詞、Iで終わるものは女性名詞のはずである。それはDEVAが男神を意味し、DEVIが女神を意味することから確かだと思われる。実際、神の名前を列挙すればそれが事実だとわかる。クリシュナ、シヴァ、ブラフマー、ラーマ、ガネーシャ、スカンダ、カールティケーヤ、インドラ、バララーマ等、男神はみな語尾がAで終わっている。またサラスヴァティー、パールバティー、サティー、ラクシュミー、カーリー、ミーナークーシー等、女神はみな語尾がIで終わっている。
よってここで疑問を呈したいが、多くの神が持っている「異名」であるが、これが男性名詞と女性名詞の法則に則っていないケースが多々見られる。例えばシヴァの異名にはソーマナータやパシュパティがあるが、前者はAで終わるのに対し後者はIで終わっている。またパールバティーの異名にはウマーがあるが、これはAで終わっている。こういう基本法則を無視した異名が数多く存在するので、サンスクリットで男性名詞と女性名詞の厳密な区分は行われていないようだ。しかしこれらが全て混同によるものであり、元々は男性と女性の区分があったとしたら、どうだろうか。特にシヴァのパシュパティは「獣の王」という意味であるが、語尾がIで終わるため女性名詞であるとすると、その意味は「獣の女王」ということになり、であれば「獣の女王シヴァ=シヴァの女王」ということになる。
古くからシヴァの女王はどこにいたのかということが議論され、インドのシヴァ神がその候補に挙がることもあったといい、シヴァが男神だから当てはまらないと結論付けられてきたようだが、パシュパティが「シヴァの女王」を意味するなら、これに関しては再考の余地があるといえる。またシヴァは体に火葬場の灰を塗っているが、以前述べたように塗らなかったらその肌は白いのかもしれない。そして体に灰を塗っている女であれば、これは「灰かぶり」であるから、つまりシンデレラである。シンデレラの説話は多数のパターンと類型があるが、元はシヴァの女王を表したものかもしれない。

サタンとは何か

インドの神には、語尾がAとI以外で終わるものもある。例えばヴィシュヌはUで終わるし、ハヌマーンはNで終わる。私はこれらも、パターン化できると思う。ヴィシュヌがUで終わるのは、マヌ法典のマヌつまり最初の人が同様にUで終わるので「根本原理」を表すと思う。またハヌマーンは猿の神であるから人間ではなく、選民思想の代表であるバラモンもNで終わるので、これは「人間ではない」ものが語尾Nで終わると思う。
SとHは入れ替わるが、秦氏のHATAも場所によってはSATAになるはずである。それに「人間ではない」語尾Nが付けば、SATANつまりサタンである。秦氏のルーツがどこにあるか、その痕跡がインドにあるのか、明白ではないが、彼らがユダヤ人であるならば、それがサタンであるから、冒頭に述べた「太陽を否定する者」が正に悪魔であると集約できるのである。

[2016/06/27]