ヒクソスと「彦」

ヒクソスについて聞いたことがあるのは、
・民族系統は不明だがセム系の民族だったと言われる
・褐色の(有色の)肌の人々
・車輪のついた戦車を用いて戦争を戦った
・カナン地方から南下しエジプトを一時期支配しその後消えた
・「ヒク」は日本の「ヒコ(彦)」と同じ意味である

歴史年表でエジプトの項を見るとゴチャゴチャしてるけど、要するに「ヒクソス侵入→新王国時代→イクナートンの宗教改革→出エジプト」の流れだが、ヒクソスを追放した勢力が新王国を築いたのか、それともヒクソスが新王国そのものだったのか。またその後のイクナートン時代までの宗教や信仰の推移はどうだったのか、僕は知らない。ただフロイトは「イクナートンの宗教改革で暴政を敷いたユダヤ人が追放された事実が、出エジプトの正体だ」と書いてたはずなので、なら上記の一連の主体はみなヒクソスということになる。

しばしば「ヒクソスの『ヒク』は日本の『ヒコ』と同じ意味だ」と見る。日本語にはいろいろな尊称があって、君主の呼び方もいろいろある。「王=オウ」「主=シュ」「君=キミ」「尊=ミコト」「上=カミ」「彦=ヒコ」などいろいろ。古代には列島内にいろいろな領国が乱立しててそれぞれが各々の尊称を使ってたろうから、意宇(オウ)族は君主を王と呼んだろうし、秦氏は君と呼んだろうし、ミコトとかヒコとか呼んでた勢力もあって、それが征服被征服の過程で勝者に単語が取り込まれ、同じ意味でも複数の語・発音が存在するように纏まっていった。万世一系の系図が複数の系図の合成なのと同じ理屈。
だから日本で元々「尊称のヒコ」を使ってたのはどの勢力か?というと、例えば神武天皇の和風諡号は「神倭伊波礼毘古命」で「カミとヤマトのいわれ(=ルーツ)であるヒコのミコト」だし、天孫降臨の道案内つまり尖兵をした猿田彦にもヒコとつくから、天皇家は最初から尊称のヒコを使っていたと推測できる。

フロイトは出エジプトで追放されたユダヤ人がその後どうしたかまでは書いていないが、レビ族のモーセに率いられたユダヤ人がその後カナンの地に戻り~という聖書のストーリー通りならそれがヒクソスの末裔ということになるし、なら尊称のヒコを使っていた繋がりでイスラエルと天皇家の同祖論が成立する。
政治に疎いので現在のネタニヤフ政権が最も右寄りと言われるとかよく判らないが、以前新聞に「司法制度改革に反対している勢力は市民のうちの何々と、軍部の何々である」と書かれてたはず。だから今のイスラエル国が聖書の12支族の構成をそのまま保ってるかも知らないしユダヤ教各宗派の差異もよく知らないけど、明らかに「法(JUDGE)による支配」をよしとしている勢力が多くおり、それが司法制度改革に反対していて政権内にもいるので、首相は身動き取れず戦争継続するしかなく、メディアも「司法制度改革は政治による司法の侵害だ」と誤印象を与える報道をするのでずっと難航している・・・という印象。
結局イスラエルを法が支配しているならその法を支配する者が真の支配者で、それが「ヒコ」で繋がる日本のダン族の親分、それが居ます日高見の高麗神社は法曹関係者の崇敬を集め・・・と以前書いた通り。

またヒコの星といえば「織姫と彦星」つまり七夕星だが、織姫はハタ織りの女で牽牛は牛(バアル?)飼いの男である。こと座のベガとわし座のアルタイルにはくちょう座のデネブで夏の大三角を形成する。例によって三角形だが、デネブのWikipediaに「西暦10000年の前後数世紀には、北極星になると予測されている」とある。やはり北極星と出てきたが、この辺は占星術の知識があるわけでないので僕には判らない。
付記すると、3月3日はひな祭り、5月5日はこどもの日、7月7日は七夕の日、3+5+7=15で15歳は元服の年齢、「しめ縄=注連縄=七五三縄」は蛇を意匠した国津神のシンボルである。

仏教≒フロイト思想

長年ユング派と称する心理学の連中に付き纏われてたのでどうしてもそれを考慮に入れてしまうが、彼らの基本は「似たようなものは偶然である」。言うまでもなく共時性(synchronicity)は「似たものが複数現れるのは偶然」「別地域の神話が似ているのは普遍的無意識によるもの」という主張で、その詳説は知る必要もないが、要するに2つの似たものに因果関係はないという考え方。
反してフロイト理論は、物事には必ず起因する理由があると考える。何にでもルーツがある、つまり因果が存在するという考え方。両者を比べたら、前者は一言で言えばオカルトである。事象には必ず理由や由来があるのは言うまでもないのに、何でもかんでも「それは偶然だ」「似たようなものはどこでも現れるのだ」と主張し、ではその理論・理屈の「理由・由来」とは何ですか、と問うても答えられない。フロイトは科学でユングはオカルトと海外で言われる所以である。

そして仏教の根本思想も縁起説と因果説であり、物事にはルーツがあると考える。だが古代インドにおいてバラモンという魔術師が社会システムの頂点にいてまさにオカルトを根本原理にして支配していたわけで、それは科学的摂理の反対である。中村元は「特に初期の大乗仏教は、呪術魔法を排斥し合理主義的な思想をもって社会を変革しようとし、そのために一般民衆に向かって訴えた」と述べるが、つまり古代の未開な呪術的原理の社会において、本来の仏教はオカルト的でなく論理的な主張を民衆に対しストレートに述べていた。だから「物事には必ずルーツがある」という縁起説と因果説をその根幹におき、それは現在の(日本の)仏教寺院における呪術まじない的な要素とは真逆だった。
そして同時に智慧の獲得を重視したが、これはグノーシス的な智恵ではなく、無知の打破つまり「一部の人間による知識の独占を許すな」という主張だった。ブッダは覚者と訳され額の第三の目は智慧に目覚めた印とされるが、それはグノーシス的な呪術魔法に開眼したという意味でなく、古代の未開社会において「無知を打破する」という意味での、智慧の獲得を意味していた。
以上から、仏教は本来極めて合理主義的なロジカルな思想だったわけである。

小乗仏教と大乗仏教の正体はよくわからないが、ネパール北西部にラマ山という未踏峰があり、「ラマ」がもともと古代イスラエルの宗教職であったこと、ラーマ王子と発音が同じでタイのアユタヤ王朝が「アヨーディヤー」の音写だという説があること、チベット仏教がラマ教と称されること、それらとお釈迦様がネパール出身であるという定説がどう関連するのか?そしてSMRに由来する須弥山思想。
戦時中のドイツのようにいつの間にか内部からヤツラに侵食されて本来の姿を捻じ曲げられ悪者にされてしまった例もあるし、仏教もおそらく後世にデタラメや誤謬が大量に付記されて本来の教えからかけ離れたものになったはず。ゆえにインドでは仏教はいつしか存在意義を失い消えてしまった。だが中村元が著書の巻末にほんのちょっとだけ書いてくれてた内容から、本来の仏教は極めて科学的かつ論理的な「フロイト思想」的な教えだっただろうと推測できる。

日本のユング派の拠点は京都大学、日本仏教の中枢があるのも京都、それが古都でありバラモンの都。

「法」=水が引く?

諸説あるかもだけど、CHINAの語源はCHINつまり秦で、始皇帝が自身を朕と自称したのもCHINより。その呼称を使っている者がどこかにいるとして、以前5chに「◯◯は苗字がないが、本当は『徐』という苗字だ」とあったが真偽不明。その「徐」に海の神である七福神の「福」で、徐福。秦の始皇帝の子分だが、蓬莱山伝説は日本各地にあるという。

「始皇帝は『法』による支配を推し進めた」というが別にフェアな法治国家を目指したとかではない。「法」はインドならダルマ(dharma)と訳されるが、果たして社会システムのLAWと同義かどうか、多分違うだろう。始皇帝による「法」とは皇帝が法を作るもので、普通の法治国家とは違うらしい。性善説=孔子、性悪説=韓非子だが、後者の法家思想とどう違うのか。
よく為政者が「法による支配~」とアピールするがこの辺がミソで、フェアにルールに基づいて物事が判断されるのとは異なるようで。だから今回イスラエルの司法制度改革が難航している最中に中東紛争が起きたり。
ちなみに「法」の部首は「サンズイに去る」だから、水が引くみたいな意味?なら太古に大洪水が起こり水が引いた後~のような意味だろうか(想像)。

そして「法」といえば気になるのが、魔術師として有名なアレイスター・クロウリーの「法の書」。読んだことないがこの人物に傾倒するミュージシャンが極めて多いことで有名。「カシミール」を書いたレッド・ツェッペリンも傾倒してたのは知られる。

神武と白山比咩について補足

日猶同祖論を自治体がアピールしている例は普通にあって、この村もその一つ。
http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/

ここに「父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガという」とある。「父=男=アヤ」「母=女=ガガ」となっている。
あやとりというのは糸を取って遊ぶ遊びなので「アヤ=糸」、また操り人形は「糸で吊った人形」だから「アヤ吊り=糸吊り」なのでやはり「アヤ=糸」である。おそらく糸の古語をアヤと言ったのだろう。そして糸は発音がイトなので伊都国の伊都と同じ。つまり「父=男=アヤ=糸=伊都」とは神武天皇である。
また蛇の古語をカカ/ガガ/カガといい、G↔K転訛法則により「GAGA=KHAKHA=HAHA」である。だから「母=女=ガガ/カカ/ハハ」であり「女は蛇」である。カガは加賀地方に白山があり白山比咩神社があるから、これは女神なのでその性格を考えても「蛇の女」である。
上記URLに「ヘブライ語で父親をアヤ母親をガガという」とあるから、日本で「神武天皇=アヤ=父」「白山比咩=ガガ=母」に対応し、つまり両者は夫婦ということになる。福岡県北部に細石神社(さざれいしじんじゃ)があり「君が代」の原型があることを考えると神武の妻は磐長姫と思われるが、もう一人白山比咩の存在も挙がるわけだ。
(※崇神神武説についてはこの際不問)

本地垂迹説の白山権現は多面の観音菩薩でまた千手観音なので「何でも見通していていろいろな操作・作為(コントロール)を行う」みたいな思想らしい。それが以前述べたように「白山比咩=菊理媛=コウクリヒメ」だから、山の上から下界を監視して操っているAll Seeing Eyeは神武天皇が統べていることになる。だから高麗神社のある埼玉県日高市は「日高見の国」に由来する。
もちろん仏教用語の「上座部」とは「(山の)上の方に座っている奴ら」の意。

ダンは高麗犬の子

関西で医師がALS患者を安楽死させて嘱託殺人で懲役18年と報じられたのを見て、やっぱりこの国は「人の幸せ」を全く考えてない、というか考えてない奴が支配する国だなーと思った。
俺がいつも見てる5chの某板には、しょうもない工作員みたいなのが常駐しててず~っと荒らし行為をしているけど、ソイツラが以前書いた内容でよく覚えてるのが「この世の中はずっと悪く、これからも悪く、それを良くしようと思う者は裁かれるんだわ」というカキコ。これを読めば一目瞭然、世の中を悪くすることしか考えておらず、コイツラこそ法の番人。

入門 白山信仰—白山比咩の謎に迫る(内海邦彦/著)」という書籍があるが、これを読んで興味深かったのが以下のページ。

高麗神社(高句麗神社)は埼玉県日高市にあるが、言うまでもなく日高は「日高見の国」に由来する。
「ダンはおのれの民を裁く」と「裁く=JUDGE」という語が聖書に書かれたのはもう2000年前。そして「あなたの救いを待ち望む」とも書かれてる。「ダンは獅子の子」とあり、高麗犬こそ獅子。
世の中を悪くすることしか考えてない輩は「=悪魔」だから、共存するのは無理かなあ、と。

「Fall=秋」だけど?

Hammer to Fallというが「Fall=秋」。
記紀神話で「トンボがたくさん飛んでいる。トンボはアキツという。じゃあトンボが飛ぶから秋津島」というくだりがあるが、アキの津のアキは安芸だろう。つまり広島。
「Hammer to Fall=アキへの鉄槌」。
ちなみに「トンボ=Dragon Fly=ドラゴンが飛ぶ」なので「秋津島=ドラゴンが飛ぶ島」。つまり水の中の龍=レヴィアタン。LeviathanだからLeviとついてるので、隠れ十三番目の支族であるレビはこの国のどこかだろう。

余談だがまな板は魚を切る板で、古代イスラエルで「マナ=聖なる食べ物」だが、航海民族のユダヤ人にとってそれは魚であり、ゆえに日本でまなとは魚のことだという説がある。