「法」=水が引く?

諸説あるかもだけど、CHINAの語源はCHINつまり秦で、始皇帝が自身を朕と自称したのもCHINより。その呼称を使っている者がどこかにいるとして、以前5chに「◯◯は苗字がないが、本当は『徐』という苗字だ」とあったが真偽不明。その「徐」に海の神である七福神の「福」で、徐福。秦の始皇帝の子分だが、蓬莱山伝説は日本各地にあるという。

「始皇帝は『法』による支配を推し進めた」というが別にフェアな法治国家を目指したとかではない。「法」はインドならダルマ(dharma)と訳されるが、果たして社会システムのLAWと同義かどうか、多分違うだろう。始皇帝による「法」とは皇帝が法を作るもので、普通の法治国家とは違うらしい。性善説=孔子、性悪説=韓非子だが、後者の法家思想とどう違うのか。
よく為政者が「法による支配~」とアピールするがこの辺がミソで、フェアにルールに基づいて物事が判断されるのとは異なるようで。だから今回イスラエルの司法制度改革が難航している最中に中東紛争が起きたり。
ちなみに「法」の部首は「サンズイに去る」だから、水が引くみたいな意味?なら太古に大洪水が起こり水が引いた後~のような意味だろうか(想像)。

そして「法」といえば気になるのが、魔術師として有名なアレイスター・クロウリーの「法の書」。読んだことないがこの人物に傾倒するミュージシャンが極めて多いことで有名。「カシミール」を書いたレッド・ツェッペリンも傾倒してたのは知られる。

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