住吉水軍の謎?

福岡には神功皇后に関連する神社がいくつかあるが、神功皇后の三韓征伐についてよく知らない。けどワニの姿で子供を産んでどうこう~というのは聞いたことがある。
日本の水軍に「住吉水軍」があり、住吉神社や住吉大社は各地にある。一説では住吉の「住」は、墨田川の「墨」や、大隅半島の「隅」と同じ意味という。烏賊(=「カラスの敵」と書く)の墨のことかもしれない。イカは「色が白く、頭が三角形、腕が十本の、海の生物」で、クラーケンはCRとつくし、聖書には「鱗のない魚を食べてはならない」とある。仏教の死に装束は「頭に三角形の白い布をつける」し、柳の木の下に幽霊がいて柳はリュウと読み~~等々。

住吉と聞いて思い出すのは、明石書店の書籍に「最後の弾左衛門の弾直樹は神戸市東灘区の住吉で生まれた」と書かれてたこと。それなら住吉水軍は平氏の側ということになるはず。
けれどちょっとネットを見たら、大阪の津守氏は大阪府大阪市住吉区にある住吉大社の宮司の一族で、楠木正成や南朝に関係あると書かれてるのがいっぱいあるんだけど・・・。なら源氏の側ということになるはずだが、どっちなのか?

ここで考えたいのは、いわゆる「あいりん地区」。これが大阪市西成区にあるのはもちろん知っているし、日本で事実上最後の最後に行き着くような場所なのは、もちろん知っている。「ナリ」というのはハンセン病患者を意味する古語らしいので、きっと大昔からそういう感じの場所だったのでは、と予想。
だけどここに例の解放同盟の本部ってなかったっけ?違ったかな。今ググってもなぜかハッキリわからんけど、だってあいりん地区つまり釜ヶ崎で闘争がどうこう~ってよく聞いた気が。でも結局彼らこそが平氏そのものというか、書いちゃうけど警察とイコールみたいなもんじゃん。だって江戸時代に彼らが弾左衛門の配下で警察機構を担ってたと中学歴史で習うし、伝七親分や銭形平次がカスリの着物を着て、帯刀を許されないから十手を持って~って常識だし。
つまりあいりん地区の人たちを虐めてるのがオマエラだろって。事実「オマエラが俺のことをずーーっと虐めてきたろうが!」という。だからコレも例によって「敵の土地に自分たちの拠点を置いて、立場を逆と見せかける」パターンだろ、もう言っちゃうけど。千葉市栄町や茨城県水戸市と同様。だって津守氏は南朝つまり源氏側らしいので。

つまり住吉水軍ってニ系統あるの?全然知らないけど。最近大幅にインターネット上の(特に日本語の)情報が刷新されててどれが本当かわからないし、そもそも俺の不勉強により書籍等の知識も不足。だから大昔の記憶に頼ってるが、神戸の弾左衛門=平氏側に由来するのか、それとも津守氏=南朝・源氏側に由来するのか、わかりません。
ちなみに民俗学者の折口信夫は大阪市西成の辺りの出身。彼は國學院大學卒だが、あそこは神道の学部があって神社の神主になる人が通う大学ですね。

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