千葉と南朝の後醍醐天皇

徳島県を「阿波」といい、千葉県南部を「安房」という。黒潮に乗って徳島の人たちが船で千葉県南部に移動してきたといわれ、両者に共通の地名がいくつかあり、徳島には「養老の滝」伝説があるが、千葉県にも養老渓谷がある。
徳島は後藤田正晴の出身地だが、徳島市に金刀比羅神社があり、その大鳥居には県下一の大注連縄が掛かっているという。大注連縄は「蛇を敬う古層文化」に由来するので国津神系の神社のはずであり、コンピラはクンピーラで「ガンジス川のワニ」だ。山口組の初代は徳島の漁師らしいので、おそらくこの信仰の人たちではないかと思う。
だから阿波の人たちが黒潮に乗って安房に渡来したなら、安房地方が日蓮の出身地であり彼がアンベードカル博士と同じ思想なのは、一言で言えば「源氏系」ということ。

そして館山市には安房高校があるが、ここは柔道の古豪で、世界チャンピオンを複数輩出した学校。ここ出身の柔道選手に「醍醐敏郎」という人物がおり、講道館十段である。
「醍醐」という語はサンスクリットの「ウルマンダ」で、徳島県にも醍醐という地名がある。いわゆる南北朝時代の後醍醐天皇だが、大覚寺統についてなど詳しく知らない。だが後醍醐天皇の忠臣に楠木正成や新田義貞がいたことが知られるが、彼らが源氏であるのは明白なようだ。であれば「醍醐」という語は彼らに関連する語かもしれない(あいにく意味を知らない)。
ちなみに北朝側である足利尊氏の墓は国東半島にあり、見に行ったことがあるが、物凄く貧相な墓で逆に驚いたくらいだ。彼は晩年、神武東征のルートを逆に辿って九州に逃れたようだが詳細は不明。
つまり南朝吉野朝廷のその後についてなど全く知らないが、千葉県の安房地方から「醍醐」姓の柔道選手が出ているのは、つまり木村政彦と同様の人ではなかったか、南米移民は源氏の子孫なので、後醍醐天皇と何らかの関係はないのか?と興味深い。

仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタは、ネパールのルンピニーで生まれたとされ、この地のシャカ族の王子だったと一般に言われる。
けれどヨーロッパの学者の説に、かつて中央アジアやインド北部で広大な領土を誇ったサカ族の名を挙げ、実際はこれがシャカ族ではないかというのがある。サカ族はアーリア系遊牧(騎馬)民族で、SAKAと書くがSAKAIとかSAKAEとも書くらしい。「とんがり帽子のサカ」はこれのことで「尖ったコーン状の帽子を被った戦士」の像が今も残る。そして一説によるとSAKAEは「鹿」を意味するといい、ゆえにお釈迦様は鹿野園で初めての説法をした~と繋がるらしい。言うまでもなくインドのカースト制においてゴータマはクシャトリヤの出身だからつまり戦士階級であり、それならアーリア系騎馬民族のサカ族の可能性もある。
そもそもサンスクリットはデーヴァナガリで書かれたものをローマナイズしてから読むが、同じSであっても・を付けたり-を付けたりして、なぜか発音を混乱させてる。例えばシヴァ神をシヴァーといったりシャイヴァといったり、シュリーをスリといったりスリーといったり、またサニーをシャニといったり。こういうのは「単なるアルファベットで読む」べき。だからシャカについてもサカでよいと思う。

そしてもしゴータマ・シッダールタ=お釈迦様が、実はサカ族の王子だったなら、結局彼は「アーリア系騎馬部族の戦士階級」だったわけで、つまり菅原道真が大自在天でシヴァなのと全く同様ということになる。スペイン語でドイツ人をALEMANというがアレマンはゾロアスター教の悪神アーリマンと発音が似ているし、実際LとRの違いなんてものはない。ゲルマン民族大移動の東ゴート族の首長はケルスキーだし「G←→C」転訛法則よりゲルマンもケルマンも要するに同じなので、ゲルマンは「ケル人」だからクル族のことだろう。インドの「マハーバーラタ」のバラタ族はクル人なので「バラタ=バハタ=八幡」より「源八幡太郎義家」という名前も鎌倉の鶴岡八幡宮も、源氏武士団は騎馬部族に由来する戦士階級なので~となる。
要するにゾロアスター教の善悪二元論における悪神アーリマンとは「≒アレマン=ドイツ人=ゲルマン民族」としか思えない。アーリマンをアリヤマン/アリャマンと呼ぶ場合もあるがスペルがARYAMANなら「arya+man」でそのままアーリア人だ。なら国家社会主義ドイツ労働者党が「我々はアーリア人である!」と宣言したのは「我々はゾロアスター教を滅亡させる!」と宣言したのと同義だろうと。
スペイン語のルーツはラテン語つまりローマ帝国の公用語なのでそこではドイツ人をアーリア人と呼び、ドイツ人は自らをクル人と自称、勿論「三日月は牛の角に形が似ているしシヴァの頭には牛の角が生えている」から「獣の主シヴァが邪悪なシオニストを殲滅する!」とWWⅡに・・・と考えても全く辻褄が合ってしまう(笑)。イランにケルマーンシャーという州があり有名なベヒストゥン碑文があるが、勿論「ケル人の王」州でそこにアケメネス朝ペルシャの記念碑があるなら、実はその地が元来逆の勢力の拠点だったので戦後に征服の証として碑を建てたはず。
結局ゲバラもお釈迦様も、自分自身が高い教育を受けた最上位カーストの生まれだったわけで、そういう人の中には「俺らの中に貧乏人や弱い者を虐めてるクズがいるので許せん!」と決起しただけの話。日本なら大塩平八郎や平将門も一緒。つまりユーラシア大陸でも例えばクル族の中に同様な考えの人がいたから、しばしばゲルマン民族大移動や国家社会主義ドイツ労働者党が決起し~ということ。

そして聖書における究極バカ与太話といえばコレ!の『神はイサクに自分の子供を生贄として捧げるように命じた』というエピソード。そしてその結果ユダヤ人は生贄として山羊を捧げるようになったので「贖罪の山羊=スケープゴート」という言葉ができた~という余りにも有名なフランス小咄。そりゃ「ゴート」なんてついてたら東西ゴート族は怒り狂って進撃してくるよなーというのが結論です。

寺のバラモン坊主は「仏教は宗教思想だから武器なんか持ってなくて修行してたんですよ~」と嘘を流布してるが、多分ネパールはお釈迦様と何にも関係がない場所かもしれない。少なくとも「菩提樹の下で瞑想して悟りを開いた」人物はとんがり帽子のサカと無関係だろう(十六大国のカンボージャのボージャは菩提と関係ないのか?)。もちろんイエスの出身部族のナフタリ族は「牝鹿」なのでSAKAEが鹿を意味しても不思議はないし、クリシュナは最期「猟師に誤って踵を弓で射られ、鹿に姿を変えて森の中に消えてゆく」。ちなみに「ハリハラ」とは「ヴィシュヌ(クリシュナ)とシヴァ」の二つ巴だが、どんな概念か知らない。

また浪人時代に京都市に住んでいたが、四条河原町のアーケード街にスーパーのダイエーの店舗があり、入り口の上部にシンボルマークが描かれ、横にアルファベットで「SAKAE」と書かれてたのを覚えている。ダイエーは大栄である。
また千葉市の千葉神社は北辰(妙見)信仰だが、北辰信仰は北極星の信仰で「北辰」とは勝海舟や坂本龍馬の北辰一刀流のそれだ。この二人は咸臨丸でわかる通り「船の民」であり、船乗りは北極星を目印に航海するので「北辰」だと思われる。
先日その千葉神社へ行くと時間外で中に入れなかったが、ネットを見ると摂社に「千葉天神」があるそうだ。これは大神社内の摂社が「占領軍の神社内に、元々あった神社が取り込まれてる」例。他にも新旧神格の関係には「本殿に、元々の神格と占領軍側の神格が並べてある」のもあり、氷川神社はそうらしい。もちろん「大神社の敷地の片隅に、小さな元々の神社が建っている」とかもある。
よって千葉市という場所も、ずーっと古来は天神系つまり源氏の土地だったかもしれないし、だから稲毛地区のルーツは平将門の乱の落ち武者つまり源氏の隠れ里であり、黒砂浅間神社は菅原道真霊が祭神である・・・のかもしれない。

要するに千葉神社は風俗街である栄町の近くに建っているが、その「栄」という地名は「SAKAE」だから、実はルーツはサカ族つまりアーリア人戦士階級のお釈迦様に由来し、ゆえに摂社として千葉天神つまり菅原道真神社が建っているのでは、というのは多分事実だろう。もちろん蘇我地区も、元々は大化の改新以前の蘇我氏つまり百済系の王仁天皇(「わに」と読む)の土地だったはず。
前々から述べている通り、平氏秦氏チヨダは「占領した場所に自分たちの拠点をおいて、元々そこは自分たちの土地なんだ~と嘘を流布する」パターンが十八番なので、やはり千葉市もそうなんだと確認できたわけである。蘇我も栄町も古来は良い場所だったということ。
三島由紀夫の「潮騒」は伊勢湾の小島が舞台である。

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