広開土王碑についての考察

戦前の「満洲国」だが、この州というのは、カリフォルニア州とかペンシルバニア州とかの州とは無関係。満州の語源は「マンジュ」族の音写で、ツングース系女真族にマンジュという部族がいて、それは「三人寄れば文殊の知恵」の「文殊」からマンジュと自称するようになったらしい。いわゆる辮髪をトレードマークにする部族。

彼らは「清」を建国し、それが中国最後の帝国になったというのが映画「ラスト・エンペラー」。ではその前の「明」と何が違うかだが、これはおそらくルシファーの「光」や「(光)明」に由来するはず。五芒星(ペンタグラム)は金星の描く軌道に由来すると「ダ・ヴィンチ・コード」にあり、金星は天体で最も明るい星である。

いわゆる広開土王碑は、碑文に「高句麗」や「永楽」という言葉が見られるが、高句麗は「句麗(クル)の、高さん」のはず。また中国の明の永楽帝は有名。それが碑文に書かれてるので「広開土=コーカンド」で、コーカンド=ハン国つまり現在のウズベキスタンのフェルガナ地方であり、つまりゾロアスター教に由来するはず。

だから中国の明の鄭成功が、船団を率いて台湾や南方に航海したのは、結局「船で◯◯を運んで~」というカルタゴ的発想。Wikipediaに「鄭成功は日本国肥前国松浦郡平戸島で誕生」とあるが、松浦は古代の末盧(マツロ)国に由来し、インドのマドラスやマドゥライがマヅーラ水軍に由来するとの説もある。現在のインドネシアのジャワ島周辺にはマドゥラ島やマドゥラ海峡があり、ジャワ島にはスメル山がある。

つまり中国の明は、ゾロアスター教の影響下でルシファー崇拝をし、永楽という名の王を抱くカルタゴ的な国だった。だから北方のモンジュ族が「我々は清いのだ」と北方から攻撃して明を滅ぼし、代わって「清」を建国。その結果、明の内部にいたバラモンたちは江戸幕府を頼って日本に逃れて、それが実は黄檗宗だった・・・。だから黄檗宗は禅宗つまり「修行するぞー」というグノーシス主義。

江戸幕府は「天下泰平三百年」というのは大嘘で、日本中に関所を設けて民衆が自由に移動できないようにし、戸籍に登録されてない者がいたら佐渡金山に送って奴隷労働させた。徳川綱吉だけは「生類憐れみの令」で人外扱いされてた下層民を救おうとしたが、現在は天下の悪法と大嘘を流布されてる。

ちなみに千葉市の稲毛浅間神社のすぐ近くに、清朝皇帝溥儀の弟である愛新覚羅溥傑が晩年に住んだという家が今も残っている。

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