⑨雑多な思考による雑多な仮説(その1)

常に、そこにある道標

学問は自由足り得ないので、もし何かが明らかになってもそれを単純に積み重ねることが単純だとはいえない。よってそれを知った者が、どこかにそのモチーフを込めて何らかの作品を作ることもあるし、それらを隠喩暗喩などで著作に込めることもある。それが私のような一般人には知りえない/知ることは許されない事柄であっても、ある者は良心である者は別の意思で何らかの場所にそれを示して伝えんとすることは頻繁にある。手塚治虫の著作や「胡散臭い系の本」などには、そういう理由での彼らの何らかの発露がしばしば見られるため、有益であることが多い。全ての諸説は仮説であるので、その意味で私も如何なる情報も前提として、諸説の一つとしての仮説を自由に述べたい。

日本における別地域間の相関性

日本において、別地域(別領域)間に相関性があると考えられるケースはいろいろある。現代の県名でいえば、熊本ー山梨、大分ー群馬、大阪ー茨城、福岡ー青森、これらの相関性は種々の共通事項により可能性は高いと思う。
まず熊本ー山梨について。熊本は古代クマソのあった地域だが、手塚治虫の「火の鳥」にはヤマトタケルのクマソ征伐をモチーフにした一編があり、その中でクマソの首長の妹はカジカという名であるが、山梨県には鰍沢(かじかざわ)という地名がある(ある者は「大昔の鰍沢には幼子をかどわかしそこに連れてきて働かせる者がいた」と言う)。また「甲斐」という語は熊本地方で元々山中での荷物運搬を担う者の呼称だったという話もあるが、これは古くからの山梨の呼称でもある。また共に馬刺し=馬を食う文化があり、馬といえば山梨は武田騎馬軍団が有名だが、これは極端な話騎馬民族と同じタイプの軍といえる。山梨には甲斐駒ヶ岳や巨摩という地名もあるが、「こま」という発音は「高麗」と同じで「駒」は騎馬武者のことだ。日本においても高麗は騎馬民族だったという説は有力(のはず)だし、発音が同じであれば何らかの関連を持つのは当然なので、山梨が高麗(=騎馬民族?)と同じ「こま」という地名を持ち、そこに騎馬軍団で知られる一大勢力があったのは偶然ではない。クマソにしても本来「コマソウ」だろうから、熊本ー山梨両者の相関性はこれらから推測できる。
大分ー群馬については、まず足利尊氏は群馬で生まれたが大分の国東で死に、そこに墓がある。その際いわゆる神武の東征のルートを逆に辿って西へ向かったようだが、詳細は不明だ。両者に高崎山があり、また群馬県からは有力な(主流派の)政治家が複数出ている。高麗(高句麗)が騎馬民族だったかはともかく群馬の「馬」が何を意味するかだが、仏教の馬頭天王との関係があるならば、例えば同じく騎馬民族であるモンゴルも馬・馬頭を崇めるので、仏教において釈迦の下に牛頭・馬頭の2者がおり高麗が騎馬民族であったならば、その両者の流れを汲む者が現在の大分・群馬にそれぞれ存在したかもしれない。
また大阪ー茨城は、以前も述べたが、百済系(?)の勢力が大阪から茨城へ移動した経緯があり、鹿島神宮も同様に遷移してきたという説がある。「佐竹氏」は常陸の大名として有名だがこれも元々大阪の一族である。また利根川を「坂東太郎」と呼ぶことは知られるが、この言葉は近畿地方でも別の何らかを指す言葉である(それが何かは失念)。それに福岡ー青森は、棟方や太宰という姓の人物が青森から出たが、福岡には同名の大神社がある。(※博多の町の東端に川が流れていて「千鳥橋」という橋が掛かっておりそれを渡ると千代町であるが、「千の鳥=鶴」である)
上記に述べたいくつかの別地域間の相関性については、特定の姓(苗字)が多く両者に存在することも、関連を推測できる理由である。

重なり合う別概念の航海

キリスト教のいわゆる異端の一つであるネストリウス派は、古代中国の秦帝国に伝わり、そこで「景教」と呼ばれ盛んだったことが知られている。その際「大秦景教流行碑」という碑が建てられたのは有名で、これは日本の高校でも習う話だ。また古代日本に秦氏と呼ばれる強力な部族が存在したことも有名で、これは秦帝国の残党が朝鮮半島へ移動し、そこから応神天皇に招かれて日本に渡来したと言われる。その際の彼らのリーダーが「弓月の君」で、彼らはその恩として、八幡神社を各地に建て応神天皇をその祭神にしたといわれる。また、日本の全ての神社の8割は彼らに由来するとも言われる。(※言うまでもなく弓月=三日月)
埴原和郎の二重構造モデルは、南方系モンゴロイドが東南アジアから北上しそこから日本に渡来、その後北方系モンゴロイドが同様に渡来したとする。「呉越同舟」という言葉があるがこれはそれぞれ古代中国の地方国名であり、「越」は現在のベトナム地域をも指し(ベトナム=越南)、日本では「越=加賀地方」を指す。また、「呉」は現在の広島県にある町だが「くれ」と読み、「GO」はサンスクリットで牛の意味である。では日本における越の国つまり加賀だが、ここには白山と白山比咩(しらやまひめ)神社があり白山神社の総本社だ。この地方は一向宗の支配した地域だが、一向宗つまり浄土真宗は下層民の支持を受けた(もしくは下層民を支持した)宗派で、その勢力地に白山信仰(神社)の総本社が鎮守するのは自然である。その町名は元々「鶴来町」で、やはり「鶴」の字がつく。また「加賀=カガ」だが、日本の古語で蛇を「カガ・カカ・ハハ」といい、シラヤマヒメ自身も女性である。広島県には古代に秦王国があったといわれるが、秦氏の出自が判然としなくとも、古代中国の秦帝国の要素やその地で盛んだったネストリウス派キリスト教=景教の影響を日本に持ち込んだことは疑い無いし、これに関してはずっと昔から多くの者が指摘する通りだ。
では「呉越同舟」が「犬猿の仲の両者が同じ船に乗る」ことを意味し、つまり呉と越が本来対立するのであれば、その両者が付かず離れずの関係を維持し続けるのは何故か。浄土真宗とキリスト教の関連、いやむしろ共通性は、日本においては頻繁に語られる(ようだ)。それは浄土真宗が「念ずれば誰でも浄土へ行ける」、キリスト教が「聖書と神を信じれば誰でも救われる」という、共通したコンセプトを持つからだとある者は言う。日本では「誰でも=どんな身分でも」という意味だろう。私の考えでは、これはある意味「信仰の強制」で、逆に言えば「念じなければ浄土へ行けない/信じなければ救われない」と同意なので、つまりガネーシャの「信仰を怠ると災いがある」と同意だと思う。もっと言えば、そもそも「浄土へ行く/天国へ行く」も、前者が「=解脱」後者が「=永遠の命」ならば、グノーシス的な梵我一如と同一コンセプトでないかと思う。結局「成仏=仏になる=覚者になる」「永遠の命=神同様に永遠に生きる力を得る」というコンセプトなら、この考え方は実際には最も自力本願的であって、よって南伝仏教的で、それならば二重構造モデルにおける南方系モンゴロイドがそれを持ったまま北上しその後日本に渡来して、新羅仏教としてまずは国東に影響を及ぼした、と考えられる。ゆえに国東には「光は東方より」に由来する東光教があり、つまり「東から来た光が自分たちをそのまま西の方向へ連れて行ってくれる」と考え、西方浄土というコンセプトを作ったのかもしれない。
そして少なくとも日本においては、越つまり奴隷カーストと呉つまり支配カースト、もちろんそれはインドのカーストに当てはめての呼称であるが、これが「かごめかごめ」の歌詞に出てくる「鶴と亀」である。イスラエル六芒星をカゴメ紋と呼ぶが、スペイン北部のバスク地方の名産は「籠」で、ある者はインドから航海した人々がそこを勢力地にしたと言うが、ロシア南部の黒海つまり黒い海の東岸のグルジアも同様に彼らの勢力地であったと言う。以前述べたようにグルジアはキリスト教国ながら旧国旗には三日月が描かれ、(その近隣の?)クルジャという国は弓月国と書かれた。10進数なら 1→10→100→1000→10000 となるが、10=十=JEW、100=百=百歳(ひゃくさい)=百済、1000=千=千歳・千代=鶴、10000=万=万歳・万代・万世=亀、である。イスラエル族は12の支族によって成り立つはずだが、では他の2つはどこへ行ったのか。本来13の支族により成っているはずなのにそれを12にした理由は私には不明である。

忌むべき武神の末裔

仏教でインドラは帝釈天であるが、釋提桓因/帝釈天桓因ともいう。釋は釈と同義、提桓因は天主の意というが、堤は菩提の一字である。現在の朝鮮では「壇君朝鮮」という神話上の最初の王朝について教育しているらしく、壇君は壇君桓因といい桓因は帝釈天桓因つまりインドラだという。「桓」という字に理由・ルーツを意味する「因」を付けて「桓因」、つまり「桓のルーツ」ということだろう。「壇=ダン」だが日本の低カーストの尊崇の対象かもしれない。インドラは武神で、インドラに捧げられたヴェーダ内の賛歌を見ると、ある種狂信的な崇拝が感じられる。その後インドラは唾棄され罵られるようになり存在は地に堕ちるが、武神つまり将軍インドラ=帝釈天桓因は現在朝鮮でその祖として皆に崇拝を求めているようだ。北朝鮮の指導者の名である「日成」は「太陽に成る」、「正日」は「正しい太陽」の意といわれ、日と書いてイルと読むが、イランとイラクはIRAN、IRAQと書き双方「IR」と付く。モンゴル帝国が分裂すると当域は「イル-khan」国の統治下になったが、もし「IR=イル=日」で「AN=天神」「AQ=水(神)」ならば、日本語で太陽が出ている時間をヒルといい、HIRUと書いても言語によってはHを発音せずにイルと読むので「イラン=IRAN=IR+AN=天の太陽」になる。であればもう一つの悪の枢軸である北朝鮮の指導者の名に「太陽」という字がついても不思議は無いし、自らの存在を逆だと欺くのは彼らにとって基本である。一般的に「IRAN」はアーリアンに由来しそれは更に「アールヤ=輝く」に由来するというが、言語の相関関係と何者かによる作為の存在を考慮すれば、上述の内容も一考すべきである。加えて赤い旗をシンボルにする平氏は桓武平氏といい桓武は「桓の武」と書くが、その都の平安京にも「平」の字がつき、太平と書けばタタラと読める。平氏が厳島神社に奉じたスズキという魚は、「鱸=魚へんにタタラ」である。

神の隠し子の島?

イタリア南部のシチリア島はシチリアマフィアで知られるが、彼らはそれを「COSA NOSTRA=私達のもの」と呼ぶといわれる。シチリア島は元々アスクレピオスを信仰するギリシャ人の入植地だったらしい。現代になって、古代ローマで製作された「イエス・キリストの子供時代の像」を見たある者が、それを「アスクレピオスの像と同じである」と述べたらしい。現代キリスト教の隆盛はパウロの功績だといわれ、元々パリサイ派としてイエスを迫害する立場だったパウロが改心後、その教義を独自に変容させ実際に即した形に修正した結果、キリスト教の普及が加速したといわれる。パウロはその伝道の過程で地中海を航海中にシチリア島沖で遭難しており、その後再び伝道を続けるが、おそらくシチリア島民に救出されたはずだ。ではその人々の信仰する神アスクレピオスの像と、イエスの像が同じであるなら、その島を「私達のもの」と呼ぶのはどういう理由であるか。シチリアマフィアは大変熱心なキリスト教信者であるらしく、アスクレピオスは医療の神で、古代ギリシャでも蛇は医療のシンボルである。そしてパウロは「海から救われた」。「ダ・ヴィンチ・コード」のような事実がもしかしたら存在するのかもしれない。

[2009/07/30]

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