ソシモリについて想像

元々日本の神社で「神宮」とつくのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3つだけで、後者2つは祭神が武甕槌命と経津主命で天孫降臨に関する神であり、ゆえにとても社格が高いため神宮とつく。鹿島神宮の御神体はタケミカズチの剣だが、この神社の近くに「わに川」という一級河川が流れている。中村元は「金毘羅神はガンジス川のワニのクンピーラである」と述べるが、他にわにとつくのは百済系渡来人の和邇博士がおり、日本に仏教と漢字を伝えた人物として知られる。
建前上日本の仏教は大乗仏教で、北伝仏教がユーラシア大陸を北回りでバーミヤンや敦煌を経由して百済から日本に伝来したことになっている。だが建前上源平合戦で源氏が勝利して平氏が滅んだことになっているのと同様「建前」で、事実上日本仏教は非常に小乗的でとても衆生救済とは言い難い。その小乗仏教はインドから南回りで新羅を経由し国東半島で栄えたといわれる。その逆の「大乗仏教-百済-わに」は本来セットなので、近くをわに川が流れる鹿島神宮もそのグループに入るはずだから、金毘羅神つまりコンピラ様が鹿島の水軍だったことになる。
だが一部で「藤原氏のルーツは茨城県の鹿島地方」という嘘が流布されている。それは春日大社が鹿を重要視するのと混同されている部分もあると思う。藤原氏は元々中臣氏で大化の改新後に権勢を振るったから、日本書紀の「韓人、弓を射る」を考えれば渡来人系なのは自明。カラ人はCR人だから白つまり新羅のはずで、ならば百済と敵対する立場だから鹿島神宮とも反目するはずである。よって藤原氏のルーツが鹿島地方というのはあり得ない。
それなら天孫降臨神話の船/乗り物にあたる、香取神宮の経津主命の「フツ」とは何かといえば、おそらく千葉県富津市のフッツと同じはず。両者は共に千葉県内にあるが、房総半島西岸つまり内房に弓月君の港があり「君(キミ)の津」なので君津市というはず。富津市と君津市は隣接している。そしてその近郊で弓月君が居住していたのが久留里ではないかと思う。字を見れば「クルの里」だし、妙見神社つまり北極星を祀った神社もある。
香取神宮の経津主命が船/乗り物で、鹿島神宮の武甕槌命が先陣を切り、ニニギノミコトの天孫降臨が行われたと記紀神話にあるけれど、実際の船/乗り物は金毘羅様だったので鹿島地方にはわに川が流れており、ならば香取神宮の祭神が経津主命なのは君津市が弓月君の港だった事実と符合させるための虚偽ではないかと思う。なぜなら別の文に書いた通り千葉県は根の国と思われるからだ。八幡神社の祭神である応神天皇の和風諡号は「誉田別尊」だが外房線に誉田という駅がある。
そしていわゆる「ソシモリ」の意味や場所には諸説あるが、「ソ=蘇民将来の蘇」「モリ=森とか守」で「し=”する”の連用形」なら、それが久留里つまりクルの里でも不思議はないと思う。

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