発達障害という語に注意

最近はわざわざ用語を増やして「何でもかんでも精神疾患にしてしまえ」という意図が進行している、のは皆知ってる通り。

例えば発達障害という言葉がある。これはつまり「人間として正常な発達ができなかったので、結果として精神的に異常である」という理屈。だがそれなら「正常」とは何をもって正常とみなすのか?が不明、というよりそもそも正常な発達なんて定義は存在しない。
要するに「決められた人生のレールの上をそのまま走って機械の一部になる=正常」というテンプレがあり、ではそのレールというのが所謂「小中高と勉強して大学に入り、モラトリアム期間を過ごした後に就職、若いうちに友人と人間関係を学んで恋愛も経験して、成人したら企業に勤めて一人前の”社会人”になり、働いて給料をもらって家族を養ってそのまま定年まで・・・」というもの。
日本は一度レールを踏み外すと元に戻るのが非常に困難な社会といわれるが、つまりこのテンプレから外れてはならない、という不文律が存在するため。もちろんみんな判ってるが。そしてこれが「正常な発達」とイコールみたいなもの。
だからここから外れた人間は正常な発達ができていないと類型化されたようなものゆえ、皆必死にレールから外れないように生きようとする。でないと就職も恋愛も結婚もできず一生孤独を強いられてしまうからだ。ゆえに日本の精神医学はこういうレールから外れた人間がいると、正常な発達ができていないと「発達障害」に認定する口実にする。正常に生きることこそ美徳である、できていない者は正常でなく異常なのだ、つまり精神病なのだ・・・という理論いや理屈。

一言でいえばこれが「多様性を認めない」価値観の最たるものであるのは誰だって判るだろう。日本の精神医学は人間の心理に何らかの”傾向”つまり”特徴”があると、それに目をつけて病気だと言いがかりをつける口実にする。特定のフレーム(!)からはみ出した部分は誰だってあるのに、それをあげつらって「病気の兆候」「病的傾向」と言いがかりをつける。端的に言えば「人間の個性を認めない」と同義。
そして付け加えるなら、自分の経験からいえば、無理やり社会から追い出してしまえばその人物はもう正常ではないつまり精神病なのだとレッテル貼りをすることができる。仕事をしても解雇するなり学校に通っても排斥するなり人間関係を遮断するなりその他。そうやって意図的に「発達障害者」を作り出すという方針で日本社会は公式の精神障害者を生産している、というのが現実。

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