ダン族について

イスラエル十二支族のダン族については再三書いたし、古代史の文章にも書いてあるのでそちらを読まれたい。

旧約聖書の創世記の第49章にイスラエル十二支族の紹介文が書かれているが、この章は不思議な文章で、ヤコブの祝福というが単純な「祝福」ではない。
その中でダン族について書かれた一説が、聖書の版によって微妙に違うようだ。
大抵の版では、

Dan will judge his people (ダンはおのれの民を裁く)
as one of the tribes of Israel. (イスラエルの部族の一つとして)

とあるが、「New International Version」という版を見ると、

Dan will provide justice for his people (ダンはおのれの民に正義を供給する)
as one of the tribes of Israel. (イスラエルの部族の一つとして)

となっている。
前者の「ダンはおのれの民を裁く」とは、judgeとあるから単純に裁判所のことだろうか。
後者の「ダンはおのれの民に正義を供給する」とは、単純に同胞を法的に守ってやるという意味だろうか。であれば警察とか治安機構だろうか。
これに関しては、江戸時代の弾左衛門の配下の穢多身分が、警察や司法の仕事に携わっていた事実とシンクロしていて興味深い。

だが「おのれの民」を「裁く」とは、つまり「同胞を吊るし上げる」「同胞を生贄にする」ということかもしれない。それは彼らが同じ日本人を迫害したり、日本人を利用して自分たちの利益にしようとしたり、そういう行動を取ることのメタファーかもしれない。
そしてイエスこそ、同胞の手によって磔刑に処された人物である。

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