シリア問題とファティマ予言

10年前から続いていたが最近話題にならないシリア問題。そして今回は「ファティマ聖母」が関わってるよね?両者は関連がある。その理由は3つあって、
・シリアにアンティオキア教会があること
・ウマイヤ朝がシリア発祥であること
・シリアのダマスカスにサラディンの像が建っていること

以前ムーの飛鳥昭雄の本を一冊だけ読んだら、最後の3ページだけ例のオカルト調で綴ってるのに、それまではずーっとちゃんとした内容だった。だからこれが一番書きたかったことかなと思ったけど、キリスト教の初期教会の中で中心だったのはシリアのアンティオキア教会だと強調してた。パウロが独自に変質させる以前の本来のキリスト教は、アンティオキア教会が中心だと。無論パウロは最初は迫害者と呼ばれて後に改心した使徒の一人で、パリサイ派の語源はペルシャ(ファールス)だろう。
古代は識字率なんて1%くらいだったろうし、元々のキリスト教は聖書で教えを説いたり文献を読んだりなんてせず、ただ貧乏人や乞食に施しをするようなものだったろうから、そういう本来のキリスト教はシリアのアンティオキア教会なんだと、飛鳥昭雄は主張していた。

イベリア半島はイブリー=ヘブライに由来するので元々ユダヤ人が多く、スファルディムとは彼ら。シリアからはスンニ派ウマイヤ朝が起こったが、これは「四代目(三代目?)カリフの正統権をアリーと争って勝利したシリア総督ムアーウィヤ」が興した王朝。このウマイヤ朝がイスラム世界を拡大し、その中のベルベル人が北アフリカから北上してイベリア半島を征服(シュロモー・サンドは「ベルベル人は遠隔地ユダヤ人」との説)。またモロッコの国旗は「赤地にペンタグラム」で三日月がない。その後の後ウマイヤ朝の都はコルドバだが、アルゼンチンのコルドバに「ロムルスとレムルスが狼の乳を飲んでいるレリーフ」が飾られた公園があり、隣にコルドバ日本人会オフィスがあった。
ウマイヤ朝はイベリア半島を征服したのでスペインとポルトガルのユダヤ人からも恨みを買ってるだろうし、王朝の起源からしてもシーア派にとっての仇敵だろう。

またファーティマ朝エジプトはチュニジア発祥で、イスラム教だがイスマイル派つまりシーア派である。カイロを築き都にしたのはこの王朝。チュニジアはカルタゴ故地なのでそれが発祥の地なら、シーア派=クル族になる(ファーティマ朝とアラビア半島のカルマト派が関係あるとWikipediaにあるが詳細不明、もしかするとイエメンのシバの女王に関連するか)。
イスラム最大の英雄と言われるサラディンは元々ファーティマ朝エジプトで宰相だったが、国を乗っ取る形で支配し新たにアイユーブ朝を建国。彼がクルド族の出自でありクルド族は印欧語族で、元々アルメニアは傭兵国家といわれそこから移動してきたという。無論アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教にした国で、アララト山はかつてこの国の領内だった。そのサラディンが十字軍国家であるエルサレム王国を攻撃して占領したので、有名な第三次十字軍が遠征してきて結果的に彼と和解した。エルサレム王国を攻撃占領するということは、もはやサラディンの立場は言うまでもない。そしてそのサラディンの像は現在シリアのダマスカスに建っているという。

ファティマ予言のファティマ聖母は、ポルトガルのファティマという町で起きた奇跡だが、当然ラテン語スペイン語ポルトガル語でなくイスラム語「ファーティマ」に由来するはず。それはウマイヤ朝の征服時代についた地名だろう。もしそうならその土地はシーア派に関連するはずだが、イランのシーア派は女性迫害の拠点なのに、ではなぜその地名に「ファティマ聖母」が出現したのか?
不思議なのはエジプトの少数派キリスト教であるコプト教で、詳しく知らないが「アンク十字」をシンボルにし、これは「♀」つまり女・雌のマークと同型。「ウルティマⅣ」でアバタールが持つのはこのアンク十字である。サラディンはエジプトを支配していたファーティマ朝滅亡後にアイユーブ朝を建国したが、当地のコプト教と繋がりはなかったのか?
そしてクルド族は印欧語族だからおそらく「CREDO=信仰」のはずだが現在国を持たない民族と言われ、少数民族アッシリア人と一緒に暮らしているという。古代アッシリア帝国は北イスラエル王国を滅ぼし「Lost ten tribes」というが、もし彼らが連れ去ったか合流したなら、現在クルド族とどう結びついているか?その中にはダン族もいればナフタリ族もいるはずだ。

サラディンは一般にイスラム世界最大の英雄だと日本では習うけど、果たしてイスラム世界内部ではどうなんだろう?だって「同じ印欧語族の十字軍と和解した」わけで、アラブ系からもトルコ系からもよく思われてないと思うが。でもエルサレム王国を攻撃占領したなら確かに英雄的だし、でもルーツがアルメニアならキリスト教ってことになるし、果たして実際はイスラム世界でどんな立場なのか謎。アッシリア人と一緒に暮らす「CREDO=信仰」という民族なら、かつてイラクのフセインが毒ガスで虐殺したのはその中のどれだったのか?

チュニジア発祥の「アラブの春」騒乱は結局、元々欧米に接近しようとしていたアサドが民主化の敵として悪者にされ、日米というか安倍・オバマが「シリアが悪い」と言い、ロシアとイランがシリア側に立ち、なぜかフランスは立場を表明しなかった。要するになぜシリアを標的にして世界戦争を起こそうとしたかの理由は、アンティオキア教会の存在・ウマイヤ朝がシーア派の仇敵であること・サラディンがクルド族の出自であること、ではないか。キリスト教やファティマ予言そしてコプト教に関する何かだったんだろう、と予想。

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