仮想現実とグノーシス

アマプラで映画「マトリックス」の最新作を見たけど大して面白くなかった。20年以上前にこれの一作目が公開された時は非常に衝撃的で、映像の面でも世界観の面でもセンセーションを巻き起こしたけど、これの「実はこの世界は仮想現実である」という設定は、わりと古くからある考え方。

SF作家のP・K・ディックの著作を読んだら、巻末解説に「・・・ディックは国家権力に常に監視され嫌がらせを受けていたが~」とあった。その真偽はともかく、ディックはメンタル面で問題を抱えていた、とはよく言われる。その作風が官憲の気に触ってしまい目をつけられたのかもしれないが、ディックは「この世界は仮想現実である」という主張をしていたという。
「マトリックス」は、機械が世界を支配していて、人間はそこで生まれてずっと眠った状態で養分を吸い取られるだけの存在で、我々が見ているのはただの夢にすぎない―――みたいな話だったはず。だからそもそもこの世界は物質世界ではないのだ、ゆえにプログラムのコードみたいなのが世界の状態とシンクロしているような、そんな感じの設定だったよね?
ディックは1970年代にどこかの講演で、この世界は「マトリックス」のような仮想現実であるという話をしたそうだ。今から数十年前にはこういう考え方は存在していたわけだ。

「物質世界」の反語は「精神世界」だけど、つまりこういう考え方はグノーシス主義に関連する。
グノーシスは「この物質世界は悪である。それを創造したのは神だ。ゆえに神は悪である」とか「人類はエデンの園で蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べ、知恵を授かった。だから知恵を与えてくれた蛇を敬う」とか、他にも「神人一体思想(≒梵我一如)」など、ある種仏教的な考え方と言われて、単純なキリスト教的価値観の真逆みたいな考え方。
仮想現実というのはつまり「この世界は物質世界でなくて精神世界なのだ」と同義だから、「マトリックス」でも(俺の嫌いなエヴァンゲリオンでも)、グノーシスに関する単語がいっぱい登場する。ちなみにユングの著書「アイオーン」も、グノーシスの用語であるのは有名。

で、俺がしばしば書いた「ゾロアスター的秘儀」だが、こういうのは世界が純粋な物質世界であれば、到底あり得ないように思う。それは常識で考えればわかる。
じゃあもし世界が精神世界=仮想現実だったらどうだろう。あり得るかな?例えば「千里離れた場所を見る」とか「他人の心を覗き見る」とか「離れた場所に転移する」とか、そんな術も可能だろうか?なぜ外務省の情報局長だった某氏は、ゾロアスター教の国々に赴任してたのか?それにP・K・ディックが仮想現実を主張していて、官憲に目をつけられた理由は?
「卵が先かヒヨコが先か」じゃないけど、どっちが理由でどっちが目的なのか、その辺は大いなる謎である。いろんな分野に「こう考えないと説明がつかないけど、逆に考えないと説明がつかないことも同時に存在する」みたいなのはあるわけで・・・。そして科学は万能足り得ないし。

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