天神信仰=天部

天津神と国津神というのがあり、しばしば天津神と天神信仰は同一と誤解している意見を見るが、両者は全く別。天津神は「天つ=天の」神であり、アマとは海のこと。天孫降臨が天鳥船によって行われたことからも判る通り、船に乗って海の向こうからやって来るのを天から下ると表現した。
それに反して天神とは天の神であり、これはインドの「天部」に由来する。天部はインドのDEVA神群であり「天」を意味し、つまりインド=アーリアンの神を指す。その主神がシヴァであり漢訳なら大自在天で、菅原道真が菅原大自在天道真と書かれるので、つまり天神信仰イコール菅原道真への信仰と同義。
日本には明神信仰というのもあるが、この「明」は中国の明帝国と同じで、ルシファーがLucisつまり「光明」を語源に持つのと同じ意味。金星を明けの明星と呼ぶのも同じ。
少なくない人が「スサノヲは国津神」と誤解しているようだが、実際はスサノヲは天津神であり、それが単に地上に降りてきたつまり「堕天」しただけ。あくまでスサノヲは天津神であり、よって出雲神話で八俣大蛇を退治してその子孫が大国主命で~というのも間違い。大国主命はダイコク様で大黒様だから「大黒=マハーカーラ」でこれはシヴァの異名である。出雲国風土記にスサノヲの八俣大蛇退治説話は記述がないから、つまり彼らに無関係な話が記紀にねじ込まれているだけ。
日本において天津神と国津神の対立があり、天神信仰は国津神の側についた。だから出雲圏もダイコクつまりシヴァ・天神信仰の土地だったが、スサノヲは占領軍としてそこを征服したに過ぎない。
東京の神田明神は平将門を祀るが、平将門は平氏なので明神であり海の神のヱビスさまも祀られている。けれど民衆の側に立って戦った人物ゆえその側の大己貴命つまりダイコク様も合祀されている。
なお神社の境内の注連縄が蛇を意匠し、国津神が蛇を崇拝していたのは吉野裕子も指摘する。インドのシャカ族もナーガ族だったといわれる。

日本に歴史教育はないというが・・・

YouTubeで「日本には歴史教育がない。普通の国では歴史教育の授業があるのに、日本は社会科の一部として行われているだけで、普通の歴史教育の時間というのが存在しない」と見た。だからか知らんが社会科の歴史は出来事の羅列と年号の暗記に終始しているとよく言われる。
そもそも天皇家の万世一系なんて非科学的であり得ないし、戦後すぐ「そんなのは実際なかった」と東大の教授でさえ言っている(井上光貞とか)。日本列島は広いから古代に各地に小国が乱立していたはずで、征服被征服を繰り返して現在の皇室に王統が統一され、各国の系図が纏められて万世一系の系図が偽造されたと皆知ってる(キセル系図というらしい)。例えば「孝昭・孝安・孝霊」と三代続く天皇名は、全てに「孝」とつくのが天皇のネーミング法則から外れているらしく、明らかに系図偽造の際にねじ込まれたどこかの王名だという。また神武崇仁説があるが要するに神武天皇は架空の人物であり、実際は朝鮮半島からの渡来人が九州北部に伊都国を建てた。
日本の地名を見たらどこどこに小国家があったかなんとなく推測できるのもある。例えば佐賀県には三養基(みやぎ)とか吉野ヶ里とか南朝に由来するものがあるし、宮崎県は神武東征が始まったから「宮様の崎」だし、太白山のある宮城県は「宮様の城」だし、戎神社のある西宮市は「西の宮」だし、那智勝浦のある新宮市は「新しい宮」とか。また学校で「邪馬台国は卑弥呼の後に壱与という後継者が現れ~」と習うが、現在の愛媛県は伊予国でともに「いよ」で、愛媛県は「愛しい媛の県」と書く。また富士山の麓には富士宮市があるがやはり「富士の宮」である。
だから古代日本にいろんな国家が乱立してたのは疑いなく、ではそういうのは何に書いてるのかといったらよくわからん。風土記を注意深く読むとか郷土史を調べれば判るかもしれないが、一番簡単なのは他国の史料だろう。日本は文献学といっても基本的に国内史料しか見ないようだし、その時代のことが他国の史料にはどう書いてあるか全く議論もされない。せいぜい邪馬台国論争くらいか。

「文献に嘘が書いてあったらどうするんですか」という発想を持つことを学校教育で教えない愚民化政策ゆえか、我々はアジア諸国の文献史料に古代日本がどう書いてあるか全く知らされてない。海外は基本地続きの国ばかりなので比較史学が基本といい、例えばエジプトとヒッタイトが戦争をした時の史料には、両方とも「自分たちが勝った」と書いてあるので、史料や遺物を相互に比較して正確な歴史像を復元したという。
もし日本でこれをやったら一番困るのは為政者なのは当然で、島国に国民を無知なまま閉じ込めるのが基本政策だから、朝鮮や中国その他の史料と比較してどうこうなんて聞いたことがない(門外漢だから実際はやってても知らないだけかも)。だから昨今よく聞く「聖徳太子は実在しなかった」という説、これについても、聖徳太子が遣隋使を派遣して「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書簡を渡したというが、当時の中国の「隋書」には一切そんな記述はなく、日本の責任者の名前も「阿毎多利思比孤(アメタリシヒコ)」と書いてあるという。あたまに「アメ」と付いているから「アマ=海」のことで、つまり当時の日本で実権を握っていたのは海民だったと、ある書籍にあった。
ちなみに「全国アホ・バカ分布考」という本が昔あったが、あれは「日本列島は細長い国土であり、中心部である京の都・背骨である陸地部分・外郭である海岸部分」の3つに国土が分けられるとして、要するに京の都と海岸部分の人種が同一だと言いたいだけの気がする。だって結論として両者の方言が新旧イコールだ、と言ってるし。よくあるブラフ学説本だろう。

江上波夫の騎馬民族征服王朝説からも判るが、結局「自分たちは騎馬部族ということにしたい」「海民である事実を隠したい」のが天皇家。つまり古来からの日本人ではないので万世一系などあり得ない。

荒城の月

元号はちゃんと意味があって、「平成」は「平に成る」だから「平氏の世の中に成る」であり、その30年の間にGDPは一気に転落、円の価値も暴落、給料は一切上がらない、司法制度改悪などでさらなる人権後進国に、地域的にも千葉市中心部を店舗が一軒もないゴーストタウンにしたり、秋葉原の電気街を衰退させ御茶ノ水の書店街を撤去させ上野バイク街を消滅させ、文化でも代理店とつるんで愚民化教育を進め英語すら話せない人間を量産したり、AVと風俗店で溢れかえる性犯罪大国にしたり。
要するに島国だから他所と比較ができないので普通だと思ってたら、実はこの30年間で文明の発展から取り残された国になってたのがこの国。「令和」は「倭人をorder/支配する」だから発想的には一緒だろうし、事実昨今になっても明るい兆しなんてどこにもない。

聖書の「自分の家族が敵になる」を実行しているのがサタンだと以前書いたが、要するに「特定のグループだけが子孫を残せばいい」と考えて、それ以外の国民を排除したり人権弾圧したりして断種してしまえと画策し、その家族を破壊したり女を売り飛ばしたりしている。源氏の女は女郎にされ源氏名をつけられて子孫を残せないようにさせられるのも、桓武平氏の国是。だから選民思想つまり「自分たちだけが人間だ」、別の言い方ではWHITE POWERともいう。彼らはバラモンである。
その手先が江戸時代の弾左衛門が担っていた長吏身分の子孫で、彼らは単なる「特定のグループのガードマン」。自分たちでネットにいろいろ書いてたが、世の中を悪くすることしか考えていない。インドのカースト制度について「シュードラ=奴隷」と習うがこれは正確ではなく、実際は「召使」。シュードラは英語ならservantであり奴隷ではなく、ダーサがslaveで、両者は別物。もちろん日本のガードマン身分はバラモンのservantである。
某団体の「荊冠旗」は、彼らservantが主人であるガネーシャを「油を注がれるもの」、つまり偽メシアとして崇めることから掲げている。そしてS←→H転訛法則によりSYUDRAはHYUDRAだから、ヒュドラつまりヒドラであって、彼らは「魔物」「悪魔」というわけだ。

ヒクソスと「彦」

ヒクソスについて聞いたことがあるのは、
・民族系統は不明だがセム系の民族だったと言われる
・褐色の(有色の)肌の人々
・車輪のついた戦車を用いて戦争を戦った
・カナン地方から南下しエジプトを一時期支配しその後消えた
・「ヒク」は日本の「ヒコ(彦)」と同じ意味である

歴史年表でエジプトの項を見るとゴチャゴチャしてるけど、要するに「ヒクソス侵入→新王国時代→イクナートンの宗教改革→出エジプト」の流れだが、ヒクソスを追放した勢力が新王国を築いたのか、それともヒクソスが新王国そのものだったのか。またその後のイクナートン時代までの宗教や信仰の推移はどうだったのか、僕は知らない。ただフロイトは「イクナートンの宗教改革で暴政を敷いたユダヤ人が追放された事実が、出エジプトの正体だ」と書いてたはずなので、なら上記の一連の主体はみなヒクソスということになる。

しばしば「ヒクソスの『ヒク』は日本の『ヒコ』と同じ意味だ」と見る。日本語にはいろいろな尊称があって、君主の呼び方もいろいろある。「王=オウ」「主=シュ」「君=キミ」「尊=ミコト」「上=カミ」「彦=ヒコ」などいろいろ。古代には列島内にいろいろな領国が乱立しててそれぞれが各々の尊称を使ってたろうから、意宇(オウ)族は君主を王と呼んだろうし、秦氏は君と呼んだろうし、ミコトとかヒコとか呼んでた勢力もあって、それが征服被征服の過程で勝者に単語が取り込まれ、同じ意味でも複数の語・発音が存在するように纏まっていった。万世一系の系図が複数の系図の合成なのと同じ理屈。
だから日本で元々「尊称のヒコ」を使ってたのはどの勢力か?というと、例えば神武天皇の和風諡号は「神倭伊波礼毘古命」で「カミとヤマトのいわれ(=ルーツ)であるヒコのミコト」だし、天孫降臨の道案内つまり尖兵をした猿田彦にもヒコとつくから、天皇家は最初から尊称のヒコを使っていたと推測できる。

フロイトは出エジプトで追放されたユダヤ人がその後どうしたかまでは書いていないが、レビ族のモーセに率いられたユダヤ人がその後カナンの地に戻り~という聖書のストーリー通りならそれがヒクソスの末裔ということになるし、なら尊称のヒコを使っていた繋がりでイスラエルと天皇家の同祖論が成立する。
政治に疎いので現在のネタニヤフ政権が最も右寄りと言われるとかよく判らないが、以前新聞に「司法制度改革に反対している勢力は市民のうちの何々と、軍部の何々である」と書かれてたはず。だから今のイスラエル国が聖書の12支族の構成をそのまま保ってるかも知らないしユダヤ教各宗派の差異もよく知らないけど、明らかに「法(JUDGE)による支配」をよしとしている勢力が多くおり、それが司法制度改革に反対していて政権内にもいるので、首相は身動き取れず戦争継続するしかなく、メディアも「司法制度改革は政治による司法の侵害だ」と誤印象を与える報道をするのでずっと難航している・・・という印象。
結局イスラエルを法が支配しているならその法を支配する者が真の支配者で、それが「ヒコ」で繋がる日本のダン族の親分、それが居ます日高見の高麗神社は法曹関係者の崇敬を集め・・・と以前書いた通り。

またヒコの星といえば「織姫と彦星」つまり七夕星だが、織姫はハタ織りの女で牽牛は牛(バアル?)飼いの男である。こと座のベガとわし座のアルタイルにはくちょう座のデネブで夏の大三角を形成する。例によって三角形だが、デネブのWikipediaに「西暦10000年の前後数世紀には、北極星になると予測されている」とある。やはり北極星と出てきたが、この辺は占星術の知識があるわけでないので僕には判らない。
付記すると、3月3日はひな祭り、5月5日はこどもの日、7月7日は七夕の日、3+5+7=15で15歳は元服の年齢、「しめ縄=注連縄=七五三縄」は蛇を意匠した国津神のシンボルである。

仏教≒フロイト思想

長年ユング派と称する心理学の連中に付き纏われてたのでどうしてもそれを考慮に入れてしまうが、彼らの基本は「似たようなものは偶然である」。言うまでもなく共時性(synchronicity)は「似たものが複数現れるのは偶然」「別地域の神話が似ているのは普遍的無意識によるもの」という主張で、その詳説は知る必要もないが、要するに2つの似たものに因果関係はないという考え方。
反してフロイト理論は、物事には必ず起因する理由があると考える。何にでもルーツがある、つまり因果が存在するという考え方。両者を比べたら、前者は一言で言えばオカルトである。事象には必ず理由や由来があるのは言うまでもないのに、何でもかんでも「それは偶然だ」「似たようなものはどこでも現れるのだ」と主張し、ではその理論・理屈の「理由・由来」とは何ですか、と問うても答えられない。フロイトは科学でユングはオカルトと海外で言われる所以である。

そして仏教の根本思想も縁起説と因果説であり、物事にはルーツがあると考える。だが古代インドにおいてバラモンという魔術師が社会システムの頂点にいてまさにオカルトを根本原理にして支配していたわけで、それは科学的摂理の反対である。中村元は「特に初期の大乗仏教は、呪術魔法を排斥し合理主義的な思想をもって社会を変革しようとし、そのために一般民衆に向かって訴えた」と述べるが、つまり古代の未開な呪術的原理の社会において、本来の仏教はオカルト的でなく論理的な主張を民衆に対しストレートに述べていた。だから「物事には必ずルーツがある」という縁起説と因果説をその根幹におき、それは現在の(日本の)仏教寺院における呪術まじない的な要素とは真逆だった。
そして同時に智慧の獲得を重視したが、これはグノーシス的な智恵ではなく、無知の打破つまり「一部の人間による知識の独占を許すな」という主張だった。ブッダは覚者と訳され額の第三の目は智慧に目覚めた印とされるが、それはグノーシス的な呪術魔法に開眼したという意味でなく、古代の未開社会において「無知を打破する」という意味での、智慧の獲得を意味していた。
以上から、仏教は本来極めて合理主義的なロジカルな思想だったわけである。

小乗仏教と大乗仏教の正体はよくわからないが、ネパール北西部にラマ山という未踏峰があり、「ラマ」がもともと古代イスラエルの宗教職であったこと、ラーマ王子と発音が同じでタイのアユタヤ王朝が「アヨーディヤー」の音写だという説があること、チベット仏教がラマ教と称されること、それらとお釈迦様がネパール出身であるという定説がどう関連するのか?そしてSMRに由来する須弥山思想。
戦時中のドイツのようにいつの間にか内部からヤツラに侵食されて本来の姿を捻じ曲げられ悪者にされてしまった例もあるし、仏教もおそらく後世にデタラメや誤謬が大量に付記されて本来の教えからかけ離れたものになったはず。ゆえにインドでは仏教はいつしか存在意義を失い消えてしまった。だが中村元が著書の巻末にほんのちょっとだけ書いてくれてた内容から、本来の仏教は極めて科学的かつ論理的な「フロイト思想」的な教えだっただろうと推測できる。

日本のユング派の拠点は京都大学、日本仏教の中枢があるのも京都、それが古都でありバラモンの都。

「法」=水が引く?

諸説あるかもだけど、CHINAの語源はCHINつまり秦で、始皇帝が自身を朕と自称したのもCHINより。その呼称を使っている者がどこかにいるとして、以前5chに「◯◯は苗字がないが、本当は『徐』という苗字だ」とあったが真偽不明。その「徐」に海の神である七福神の「福」で、徐福。秦の始皇帝の子分だが、蓬莱山伝説は日本各地にあるという。

「始皇帝は『法』による支配を推し進めた」というが別にフェアな法治国家を目指したとかではない。「法」はインドならダルマ(dharma)と訳されるが、果たして社会システムのLAWと同義かどうか、多分違うだろう。始皇帝による「法」とは皇帝が法を作るもので、普通の法治国家とは違うらしい。性善説=孔子、性悪説=韓非子だが、後者の法家思想とどう違うのか。
よく為政者が「法による支配~」とアピールするがこの辺がミソで、フェアにルールに基づいて物事が判断されるのとは異なるようで。だから今回イスラエルの司法制度改革が難航している最中に中東紛争が起きたり。
ちなみに「法」の部首は「サンズイに去る」だから、水が引くみたいな意味?なら太古に大洪水が起こり水が引いた後~のような意味だろうか(想像)。

そして「法」といえば気になるのが、魔術師として有名なアレイスター・クロウリーの「法の書」。読んだことないがこの人物に傾倒するミュージシャンが極めて多いことで有名。「カシミール」を書いたレッド・ツェッペリンも傾倒してたのは知られる。